国際人類学民族学会議がこのほど日本で開かれ、その中で、今日人種という概念をどのように理解すればよいのかを考える学際的なシンポジウムが、京都で開かれました。シンポジウムのオルガナイザーの京都大学人文科学研究所助教授で文化人類学者の竹沢泰子さんに伺います。


Q1 人種というと多くの日本人は、白人、黒人、黄色人種、あるいはコーカソイド、ネグロイド、モンゴロイドといったように大きく三つに分けた人種を思い浮かべると思います。最近では、海外ではこのような言葉を使うのをやめて、ヨーロッパ人、アフリカ人、アジア人と地理的な呼び方をする研究者も増えています。このような分け方は、いつ頃、何をもとにできあがったのでしょうか?

A1 皮膚の色や頭の骨など目に見える身体の特徴を基本にして人間を分ける「人種」 という考え方は、生物を分類する博物学から出発して、18世紀後半に、ドイツの医学者であり人類学の父と呼ばれるブルーメンバッハが基本を築きました。ブルーメンバッハは、「コーカサス」「モンゴル」「エチオピア」「アメリカ」「マレー」という五つに人間を分類しましたが、人種名でわれわれに馴染みのある「コーカソイド」、「モンゴロイド」などという言葉もブルーメンバッハのこのような名付けに由来しています。


Q2 モンゴロイドがアジア人、コーカソイドがヨーロッパ人ということですが、ヨーロッパのはずれのコーカサス地方の名前がついているのは、何故ですか?

A2 当時ブルーメンバッハだけでなく多くの科学者がコーカサス山脈に強い関心を抱いていたのですが、それはコーカサス山脈のすぐ南に、トルコの東側の国境沿いにアララットという高い山があるのですが、その山に旧約聖書に登場する「ノアの箱船」が辿り着いたと信じられていたからだと言われているのです。ブルーメンバッハは、さまざまな人間集団のなかで「コーカサス」、つまりヨーロッパ人に該当するのですが、それらの人々が「最も美しく」、すべての人間集団の「基本形」で、他の4つはそれから「退化」したものだと書いています。


Q3 科学的とされてきた人種という考え方も、当初からヨーロッパというか、キリスト教的な考え方に影響を受けているものなのですね? 

A3 ヨーロッパ人を白色人種と呼んだり、白い肌が美しいとする考えは、元来極めてユダヤ=キリスト教文化圏の伝統に支配された考え方だと思います。ユダヤ=キリスト教文化圏では旧約聖書にあるように白を光、黒を闇として、善である白い色を自分たちの色に当てはめたわけです。


Q4 地域によって人種が分かれるというのは、現代人に至る人類の進化が世界の諸地域で長期間にわたって並行して起こったという「多地域並行進化説」に支えられてきたと思いますが、最近では現代人はアフリカで生まれてそこから各地に拡散したという「アフリカ単一起源説」が有力なので、人種という考え方は有効ではなくなってきているわけですね?

A4  ヒトの起源に関してはアフリカ単一起源説で現在科学者の間ではほぼ見解が一致しています。これは地球上のすべてのヒトが、現代人であるホモ・サピエンス・サ ピエンスとしてアフリカから他地域に広がったとする説で、10万年から15万年前と言われています。それまで考えられていた60万年から100万年前よりもかなり最近のことになります。したがって、そのような短い期間で人種に該当するような、明確な境界をもった小集団が誕生するとは考えられないという説があります。またヨーロッパで進化したと一時期考えられていたネアンデルタール人にしても、現代人の祖先ではないことがわかってきました。アフリカからすべての地球上のヒトは現代人として分散したと今日では考えられています。つまり、個々の人間の体のなかには、イギリス人であっても、私のなかにも、アフリカのある地域に住む人たちと同じ遺伝子が伝わっているということです。
 最近話題になっているヒトゲノム解読からも、遺伝子構成が不連続だ ー つまり、それぞれの集団毎で遺伝子構成がセットになって、他の集団とは互いに異なる ー という人種概念の前提は破綻しています。
 皮膚の色や目の色などが地域によって違うのは、環境による作用などによるもので、ヒトの身体的な多様性を理解する上でも重要です。けれどもそのような特徴をもとに境界線を引いて人間をいくつかの集団に分類するという人種の概念は、今日生物学的に有効ではないという見方が一般的です。


Q5 人種によって知能指数や運動能力に差があると誤解している人がいますよね?

A5  これは私たちの日常生活においてもよく耳にすることですね。
  アメリカでは、知能指数に関して統計数値を出してあたかも科学的根拠があるかのように書いている本も出版され、ベストセラーになったこともありました。けれども専門家の間では、その統計処理方法や議論の展開に問題があるのであり、まったく科学的な研究でないことが反証されています。むしろそれが一般社会に与える害が懸念されています。そもそも差別や偏見、経済状況、周囲の教育環境などさまざまな外的要因によっていかに左右されるか、それに目をむけるべきだと思います。
 それはオリンピック競技などでの運動能力についても同じで、社会的経済的背景や国の政策などの影響力がはるかに大きいと言えます。それにアフリカ人といっても、そのなかのさまざまな集団の間での遺伝学的な差違というのは、ヨーロッパ人とアジア人との差違より大きく、アフリカ人の特性といって一括りに語れるような均一性は存在しないのです。


Q6 それでは、もともと欧米で誕生した人種分類の考え方が、世界に広まったのはなぜでしょうか?

A6 グローバルレベルで影響を与えた背景には、植民地主義やナショナリズムの問題が大きく関わっていると思います。たとえばインドや東南アジアといったアジア地域で国勢調査が始まったのは1880年代ですが、それまで現地で使用されていた言語や宗教や自分たちの分類方法に代わって、raceという言葉で国勢調査の分類が塗り替えられ始めるのです。それと同時に白人やヨーロッパ人というカテゴリーが項目のトップにとって代わるという現象も見受けられ始めます。でも問題はそれだけではなく、現地の人々の間にもランキングが生じたということです。


Q7 シンポジウムのご報告のなかで、人種概念を欧米の産物であるとみなす見方は欧米中心的な発想だと発言なさっていましたが?

A7 人種概念が社会的に創られたものであるという認識は一般に研究者で広く共有されるようになってきました。しかし欧米の研究者の多くは、それがヨーロッパやアメリカで創られ、世界に影響をもたらしたと主張する傾向があります。
  確かに冒頭で述べたような、コーカソイド、モンゴロイド、ネグロイドなどに人間を分ける人種分類論は欧米で生まれて発達し、世界的に大きな影響を及ぼしました。そこにはアメリカの奴隷制の問題といわゆる黒人に対する偏見がヨーロッパの科学者にも大きな影響を与えていたからです。いわゆる白人 ー 黒人間関係が世界的に見て人種問題の極めて重要な側面ではあっても、しかしそれが社会的構築物としての人種という概念のすべてではないはずです。
  人種という概念を、ある集団に属する人々が生まれながらにして違うと信じられている、そして集団間の間に優劣が存在する、そしてそのようなヒエラルキーが社会制度に組み込まれている、という風に捉えれば、人種という概念は、それぞれの社会で言葉は違っても、人種分類論による影響を受ける以前から、あるいはそれとは独自に発達しているものもあります。
われわれに身近なアジアの諸地域においては、目に見える身体形質よりも、血であるとか、出自などが違うので、環境により変えることはできないと考えられてきたケースも少なくありません。しかもそれが単なる偏見レベルにとどまらず、社会制度に組み込まれている点に注目する必要があると思います。このような現象は、いわゆる「文化」や言語などをもとに違いを説明しようとするエスニックという用語や民族という用語には還元できない考え方です。


Q8 現在のさまざまな形の差別を考えていく上でも、欧米的な発想にとらわれずに、より柔軟な見方で人種概念を考えていく必要があるということですね。

A8 人種差別やさまざまな差別を無くしていく上で、皮膚の色の違いにもとづくものであれ、血という概念に基づくものであれ、また他の要素であれ、生まれながらにして体も能力も気質も違うという考え方が、社会的・歴史的に創られたものであるということを明らかにしていくことが、重要だと思います。


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