―今月の写真― | ||
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村の「錬金術師」たち 〜トルコ南西部〜 |
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写真・文章:田村うらら * | ||
西日のなか、ぐつぐつ煮える大鍋で、魔法の秘薬を作る魔女たち。 童話のような光景を前に、一瞬めまいをおぼえる。 いや、これは絨毯に用いる糸の染色作業。魔女とは失礼な! 我に返ってシャッターを切る。 ボザラン村は、トルコ南西端、地中海とエーゲ海に開く湾を見下ろす。ギリシャ領のコス島も目と鼻の先だ。そそり立つ岩山の中腹、豊かに伏流水が湧出るそこに羊や山羊を連れた遊牧民が定着して、村となったという。 一帯は、トルコ絨毯の代表のひとつ、ミラス絨毯の産地であり、100を越す村々で絨毯が織られている。なかでもボザランの絨毯は、その織りと染めの良さで名高い。 周囲の村では、草木染の煩わしさを避け、工場で染められた安い糸を買って織るのが一般化した今も、ここの村人は草木染を諦めない。岩山に繁茂するハーブ、自生する樹の葉や実、動物の水場となる大きな水溜りの底の泥…身近な染料を組み合わせては、毛糸を染める。 隣人を集めて一斉に白糸を洗って脂を落とし、干す。糸を2重にして巻きなおす。山から草木と泥と薪を集め、染料を半日煮出す。そこへ糸を浸して半日煮立て、泥に漬込み、陽にさらし、また泥に漬込む。 早朝から夜中まで薪を燃しながら、そんな気の遠くなるような作業を繰りかえし繰りかえし、80〜150kgの糸を、約2週間かけ、赤、黄、緑、茶、色とりどりに染めあげる。 シソ科の草(1) で淡黄緑色。それを赤褐色の泥に何度も漬込んでは陽にさらすと、落ちついた灰緑色。ウルシ科の樹の葉と実(2) に熟す前のブドウを加えてクリーム色、そこにセイヨウアカネ(3) の根を砕いて加え、さらに煮込むと、はっとするほど鮮やかなボルドー。大鍋からあがってくる糸は、植物の色からは想像もつかない色に染まっていることもある。 |
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早朝、薄暗いうちから雄鶏が村の随所からけたたましく声を上げる。それに呼応するように、牛たちも鳴きだす。続いて太陽が早くもジリジリと強い光線を浴びせかける。堪えられずに目を開けると、外に吊られた蚊帳の中に寝ていたことを思い出す。ボザランの夏の朝だ。 朝食のあと、家の娘たちと母親は、それぞれ日没までの織り作業に出かける。織り行程は、1日を単位として、世帯間の労働交換を通して行なわれる。「うちはあそこへ何日分の貸し/借りがある」と、女たちは互いの家を行き来しつつ、一目一目、絨毯を織り続ける。 「アイ、マッシアッラー!(4) あんたもすっかりここの娘になったね。ここで結婚したら?」 ふらりと訪ねた家で、機をみて私も織り作業に参加する。するとまたふらりとやってくる村人たちは、挨拶代わりにこう言って私を冷やかす。 そう、ここには、絨毯を織れない女はいない。絨毯を織らぬ地域から嫁入りしてきた女たちも、姑のもと技術と柄のパターン を習得し、織り仲間をもつようになる。村の女の社会生活の前提が、絨毯なのだ。 「よく言ったものさ。Denizin parasi' bol, kari'si' dul.(海の金は豊富、海の妻は未亡人)ってね。」 村の20歳代の男たちの多くは、近郊リゾート地を拠点に、欧米の旅行客を乗せるヨットで働く。海で働く男のもたらす現金は多いが、その妻は何週間、何ヶ月も夫の顔を見られずに過ごす。 そんな夫をもつセヴィムは、夫から「たいした稼ぎにもならない絨毯織りなど、やめておけ。」と言われている。だが、「ただ座っているよりは」と彼女も機の前に腰を下ろす。仲良しのところに織りに出かける。織りながら噂話に花を咲かせ、テレビから流れるポップソングに声を合わせる。 「昔は金(きん) のようなものだった」という絨毯も、今は思うように売れないと人々はぼやく。ぼやきながらも、絨毯を織り続け、それを毎日使い、あるいは嫁入り道具にと取っておく。必要となれば、村を訪れる仲買人に売り現金を得る。 これが金ならば、半日がかりで町に出て換金してこなければならないところだ。なるほど、絨毯は彼らのスタイルにふさわしい「金」。するとやはり彼女たちは白い毛糸を「金」に換える錬金術師。 タンタンタンタン…暑い暑い夏の午後、村の随所から聞こえるリズミカルな織りの音を聞きながら、私は、ぼんやりと想像に耽る。 |
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(1) Mentha pulegium:方名napuzナープス、周辺に自生する草本。シソ科ハッカ属。 (2) Pistacia palaestina:方名minec’ミネチ、周辺に自生する高木常緑樹。ピスタチオの仲間。夏〜秋にかけ、直径約5ミリの緑〜赤褐色の実をつけるが、食用ではない。ウルシ科カイノキ属。 (3) Rubia tinctorum:周辺には自生せず。約250km離れたマニサ地方から毛糸商が仕入れてくる。村人は、単に「根の染料(ko’k boya)」と呼ぶ。 (4) 「まぁ、たいしたもんだ!」くらいの意。本来、「マッシアッラー」は、ナザール(邪視)を除けるためのまじないのことばであり、人を褒めることで邪視が悪影響を及ぼさぬよう、唱えられるとされる。 |
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* 博士後期課程 | ||
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