―今月の写真―


<写真1 オバタラ儀礼。オリシャのことばにしたがって執りおこなう>
“分かつことのできない友人”

―「テロ攻撃」にたいするオリシャのことば―
写真・文章 小池 郁子 * 
その「事件」が起こった日、わたし はアメリカ合衆国フロリダ州中北部にあるゲインズビル市にいた。片田舎でいつもの一日が始まろうとしていた。友人のオミトワデが家に迎えにきてくれるまで は、、、

オミトワデが不意にやってくるまで「事件」のことは知る由もなかった。わたしが借りていた家にはテレビがなかったからである。というより、テレビ自体はあ ることにはあったのだが、アンテナが故障していて白黒の波線しか映らない代物だったのである。

そんな家に一人で住んでいたわたしを案じて友人のオミトワデがワゴン車をぶっ飛ばして迎えにきてくれた。

2、3日は家に戻れないつもりで着替えの服類をバックパックに詰め込み、家の前に停めてあるワゴン車へと急いだ。オミトワデに促されて後部座席に乗り込む と、 そこには室内テレビの画面に釘づけになっているオミトワデの兄弟や友人たちがいた。

室内テレビが映しだす前代未聞の光景を眼の当たりにして、最高潮に興奮した“ワゴン車”はオミトワデが両親や兄弟とともに住むアジャム家へと先を急いだ。

2001年9月11日午前、アメリカはハイジャックらしき一連の事件に遭遇した。

その「ハイジャックらしき一連の事件」は、のちに「テロ攻撃」や「September Eleventh(9・11)」として世間に定着し(定着させられ)今日にいたっている。

「事件」後、NBCやABC、CBS、FOXなど、アメリカの主要報道機関は死傷者の多さ、混乱する社会、そして その事実によって精神的に打ちのめされた人々の姿を際限なく垂れ流していた。

オミトワデが豪快に運転するワゴン車は30分ほどしてアジャム家に到着した。ワゴン車から降りるなり玄関を入ってすぐのリビングにある大きなテレビの前に 皆座り込んだ。

長女のオミトワデをはじめとして、母オミアラドラや父オロミデ、三男のオジョや五男のイファシャデ、アジャム家に家族同様住んでいる友人のカミリやオル フェミらは興奮し ながら異口同音に捲し立てた。

「ハイジャックされた旅客機やワールド・トレード・センター周辺にいた罪もない人々は一瞬にしてこの世から消え去ってしまった。ニューヨーク上空をさまよ う彼らの霊魂に同情し哀悼の意を表したい。だが一方で、ネイティヴ・アメリカン虐殺や黒人奴隷制度、キューバ制裁、イスラム非難など、アメリカが有色人種 世界にたいしておこなってきた行為を考えれば、アメリカが今回のような『攻撃』の対象となることは理解できるし、当然のことだ。」

その日、9月11日の昼過ぎ、オミアラドラとオロミデは、テレビ画面から放たれる社会混乱をどのように解釈し、それにどのように対処すればよいのかをメリ ンディンログン(Merindinlogun) に尋ねることにした。メリンディンログンとは西アフリカはヨルバを起源とする託宣の一つである。

さっそくメリンディンログンにとりかかったのは、一家をとりしきるオミアラドラであった。オミアラドラはイェモジャYemoja(小川・魚の神)を頭に宿 す司祭である。イェモジャとはオリシャOrisaとよばれるヨルバの神々の一つである。

「今日は2001年9月11日、ここにはわたしオミアラドラと夫のオロミデ、娘のオミトワデ、わたしたちのシスターのイクコがいます。今朝の8時45分を か わきりにアメリカはテロの攻撃に遭いました。何千人もの人が亡くなったといわれています。この混沌の社会をどう理解すればよいのでしょうか、またどう対処 すればよいのでしょうか、尋ねます。」

オミアラドラは落ち着いた調子でいった。そして、オミアラドラは小さな袋から16個の子安貝をとりだしてオポンoponとよばれる木製のトレーの上で両手 を使ってかき混ぜはじめた。







<写真2 オポンと16個の子安貝>


イェ モジャのことば(託宣の結果)は、司祭が所定の過程を踏まえた後に16個の子安貝をオポン上に投げたときにできる形、オドゥoduを読み解くことで 明らかにされる。

「『分かつことのできない友人』。」と、オミアラドラはいった。

「あるとき、仲の良い二人がいた。彼らは目の前を横切った男の話をはじめた。

一人は『彼は織り目正しいきれいな赤のスーツを着ていたよ。』という。
もう一人は『いいや、彼は黒のスーツを着ていた。間違いないさ。』という。
彼らは『わたしがみたのは赤のスーツだ。自信がある。』、『絶対に黒のスーツだ。この目で確かめた。』と繰り返すうちに口論になった。

はたしてどちらが正しいのだろうか。

実はどちらも正しいのである。彼らがみたのはオリシャのエシュEsu(伝言の神、境界・十字路を司る神)である。エシュは体の半分を赤で覆い、もう半分を 黒で覆っている。つまり、仲の良い二人はエシュをそれぞれ異なる方向からみていたのである。だから喧嘩になったのだ。でも、どちらも間違ってはいない、そ う、どちらも正しいのだから。」




<写真3 踊るエシュ。象徴色である赤・黒・白の布を 纏っている。
オヨトゥンジ村のオバタラ祭にて>


イェ モジャのことばは続いた。

オバタラObatala(人類創造の神)とオヤOya(竜巻・死の神)にたいして儀礼を執りおこない<写真1>、前者ではオスヤギを、後者ではメスヤギを エボebo(供犠)すること<写真4・写真5>。そして、オバタラ儀礼を執行した後にヤギを参列者全員で共食すること。また、オヤ儀礼を執行した後にヤギ を地中深く掘った穴に入れ、世界の様々な宗教を象徴するものとともに埋めること。

なるほど、2001年9月11日に起きた「事件」をきっかけに生じた社会混乱を解釈し、それに対処する鍵は、「事件」を起こしたとされる側も、その被害に 遭ったとされる側も根本的に対立しているわけではない、ということなのである。

ただ、上辺では衝突してしまうが、友好まで失うべきではない、と。

あの「事件」から5年。

“あの男”はエシュだったのだ、と気づくまで一体どのくらいのときを要するのであろうか。

いや、気づいているにちがいない。ただ、気づいていない振りをしているだけなのだ。そのうえで、“あの男”のスーツは赤だ、黒だ、と声高に叫ぶ。なんと虚 しく醜いことであろうか。




<写真4 供犠されるヤギ。オバタラとオヤへの捧げも の>




<写真5 オヤの聖なる壷。メスヤギの血が捧げられた>


* 日本学術振興会 特別研究員
博士課程単位取得退学(H16年度)


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