―今月の写真―
カザフ草原の水遊び
写真・文章 藤本透子 * 
人差し指で耳をふさぎ、親指で鼻をふさぐ。
空気を頬いっぱいに吸い込んで息を止め、さあ、水にもぐる!
 
カザフ人の子どものもぐりの練習。

でも、アレ? 
もぐったかと思うと浮き上がってきてしまった。目をつぶったまま「アーッ」と叫んで、首を振って水しぶきをそこらじゅうに撥ね飛ばす。

ここは中央アジアのカザフスタン、広大な草原のなかの小川の光景だ。7月末の日差しはかんかんと照りつけるが、風は涼しく吹き抜けていく。北緯50度の夏は短い。水から上がった子どもたちはガタガタ震えて、「水の中はあったかいよ」と大人たちに促されてまた水に飛び込む。

カザフスタンの中央部から東部に広がる草原は、ロシア語で「カザフ草原(Kazakhskaya step')」、カザフ語では「サルアルカ(Sarïarqa)」すなわち「黄色い背中」と呼ばれる1)。乾燥しているため、草原が緑に萌えるのは5〜6月のみで、その後は背の高い草が夏枯れし黄色っぽい色合いになるからだ。

この草原の北の部分にある小さな川のひとつが、「塩辛い水(Ashchisu)」だ。こんこんと湧き出る泉がつながってでき、春には雪解け水をたっぷりと溜める。人口約700人の村を抱え込むように流れるが、場所によって気まぐれに止まったり逆を向いたり。

小川は家畜の水飲み場、砂州は放牧されたヒツジ・ヤギたちが昼寝をする「ヒツジの寝床(qoi jatatïn jer)」、そして浅瀬は子どもたちの格好の遊び場だ。「危ないから行っちゃダメ!」と禁止されるが、機会を見つけ時にはこっそり遊びに行く。








「ヒツジの寝床」近く


この村に住む少年パナに初めて会ったのは、彼が5歳のときだった。真っ黒に日焼けした顔に目がくりくりして、私の一挙一動をめずらしいものを見るように観察していた。

パナは一人っ子。
初孫だったのでカザフの習慣に従って父方祖父母の子として育った。祖父をパパ、祖母をママと呼ぶ。同居していた父はパナが生まれて数日で亡くなり、母は街に働きに出た。それでも、父の弟2人が一緒に住んでいてにぎやかだ。父のすぐ下の弟の19歳の妻も共に暮らす大家族。

この19歳のお嫁さんと一緒に散歩に行くことにしたら、パナは近所の男の子2人を誘って大喜びでついてきた。前後して歩いていたかと思うと、小川へ向かって一目散。パッパッパと服を脱いで、パンツ一丁でジャボン!と水に飛び込む。そのうちパンツも脱いでしまって大はしゃぎだ。すっ裸でバシャバシャ水を掛け合い、キャー、キャハハハと笑いながら追いかけっこ。「恥ずかしいでしょ!」と叱られてもなんのその。

でも、カメラを向けたら途端におとなしくなって、そろってエヘヘと笑いながら体を隠して水の中にしゃがみこんでしまった。




恥ずかしくてしゃがんでしまう

その後、私はパナの家に2年にわたって住ませてもらった。

そのあいだにパナは学校に入学したが、勉強は大嫌い2)。ヒツジやヤギの放牧についていき、干草を家畜小屋に積み上げる日は「見たいよぅ、手伝うよぅ」と泣いてごねて、よく学校を休んだ。そして、夏の日の放課後は友達たちと草原を抜けて川へと急ぐ。

「早く学校を卒業したらなぁ。そうしたら、車を買って、ウマを買って、20歳で結婚する」と、パナは真面目くさった顔でよく私に言ったものだ。

一人っ子のパナは退屈すると私につきまとうので、わずらわしくなって「あっちへ行っていてよ!」と時にはケンカしてしまう。それでも、食事の席で大好物のヒツジの腎臓を分けてくれ、家畜小屋で仔ヤギが生まれたといっては呼びに来た。私にとって、パナは村の暮らしを知る上で欠かせない存在だった。


泉「ラクダの背丈」で魚釣り
去年の夏、9歳になったパナに会いに行った。

どんな子になっているだろう。今も水遊びしているだろうか。ドキドキしながら家に行く。

相変わらず日に焼けて真っ黒だけれど、すこし背が伸びて大人びたパナは、「毎日、魚を釣ってくるんだ」と私に威張ってみせた。「連れていって」と頼んだら、「うん」と二つ返事。割れてしまった古い角材に釘を打ち付け、糸をつけて先に大事な鉤を結んだら釣竿の完成だ。いざ、出発!

近所の男の子たちと小川を越えて、「ラクダの背丈(Tüie boiï)」という泉までテクテク歩く。その名の由来を「昔、ラクダがこの泉に入って溺れそうになったから」と得意げに教えてくれた。パナの行動範囲はこの4年の間にぐーんと広がっていた。水遊びにも「釣り」が新たに加わり、今ではもぐりもできるし、泳ぐことだってマスターした。

男の子たちが泳いでいるあいだ、不精して水面においておいた釣竿には、時々「カラス(karas', フナ)」や「アラブガ(alabugha, カワスズキ)」がかかる3)。かかるたびに缶に入れて、日が傾くまで水辺で遊んだ。

帰ってきてからは魚の解体だ。小さいナイフで頭を切って内臓を取りうろこを落とす。パナは魚のさばき方も習得していた。それはパナにとっては、大人がしていて憧れる家畜の屠殺と解体のイメージかもしれない。パナにねだられて油で揚げた魚は香ばしく、子どもたちと競争で次々と頬張ってしまうほどおいしかった。



「こんなお魚釣ったよ!」

帰国する前、「大きくなったら何になりたい?」とパナに聞いてみた。「警察官!」とためらいのない答えが返ってきた。警察の上級職にあるジェズデ(jezde, 父系親族女性の夫)は街に住んでいて、素敵な釣竿も持っている。アガ(agha, 父系親族男性)たちも警察官になって次々と村を離れた4)

かつて社会主義に基づき村の生活を支えたソフホーズは約10年前に解散し、いま村ではなかなか安定した職を得にくい。17、18歳で村の学校を卒業すると街へ出る若者は多い。

「村に残って、パパやママの住むこの家に暮らすんだ。結婚してお嫁さんを連れてくる!」とも言っていたパナ。これからどのような道を歩んで大きくなるのだろうか?

1) ラテン文字転写は、ロシア語は下線を引いて、カザフ語は下線なしで示した。
2) カザフスタンの学校は7歳入学で11年制。ただし、5、6歳から就学前教育として「0学年」に入学できる。
3) Carassius sp. と Perca fluviatilis。同定には淡水生物研究者の町野陽一氏にご協力いただいた。
4) パナから見た具体的な親族関係を略号で示すと、ジェズデはFFFBDH、アガたちはFBである。



* 博士後期課程

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