―今月の写真― | ||
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鍛冶屋が伝える魔法の記憶 −エチオピア西南部− |
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写真・文章 村橋 勲 * | ||
1.鍛冶屋の神様 「ホッ、ホッ、ホッ!!」 「ガンバレ、ガンバレ!!」 威勢のいい声が響く。空に突き出した大砲のような炉に空気が送り込まれると、炉の口から白煙が立ち上った。村人たちが、かけ声とともに、炉をぐるりと取り囲んだ6つの鞴を吹く。 午後になると、気温はぐんと上った。鞴を吹く村人たちの体から汗が流れる。石を熔かして鉄を生み出すには、これから6時間以上も鞴を吹き続けることになる。 一面に広がるサバンナ。オモ川がトゥルカナ湖に向かってゆったりと流れている。対岸には、2000mを越えるエチオピア高原の山々が幾重にも連なる。ここは、エチオピア西南部ディメの村。エチオピア西南部の各地域では、かつて鉄鉱石から鉄が作られ、農具や武器に加工されてきた。なかでも、ディメは鉄を作る鍛冶屋がいることで、その名が知られてきた。 サハラ以南のアフリカに土着の製鉄技術が存在するということが西洋に知られるようになったのは、アフリカの植民地化が進んだ20世紀のことだった。1940年代、カメルーンのマンダラ高原を旅したスイスの紀行作家、ルネ・ガルディは、マタカムの鍛冶屋に出会い、次のように記している。 「モコロのヨーロッパ人社会では、土人たちが鉄を熔かす技術をまだ忘れていないということはよく知られていた。市場で売られる小さな鉄棒のことは誰もが知っていたが、その技術を私たちに説明できる人は一人もいなかった。」[ルネ・ガルディ1960]マタカムの鍛冶屋は、ギリシャ神話に登場する鍛冶屋の神様にちなんで、「黒いヘパイストス」と呼ばれるようになった。鍛冶屋は、家に不幸があったときに世話をする呪術師であり、医者であり、そして葬儀屋でもあった。不思議な魔法をもったアフリカの鍛冶屋。しかし、今では神話のなかでしか現れなくなったのか? 2.失われた魔法 最初に、鍛冶屋と出会ったのは、チャラの村だった。マーケットの端にある小屋で、タンタンと小気味いい音で鍬の刃をたたく老人がいた。チャカニという名前の鍛冶屋だった。村人たちは名前の由来も分からないまま、鍛冶屋をディマと呼んでいた。興味をもった私は、村人たちにディマについて尋ねたが、ディマの話をするのにはあまり乗り気ではなく、彼らの仕事についてもよく知らないようだった。ただ、鉄を作る腕のいい鍛冶屋がずっと南の村にいると教えてくれた。 その村まで行くことにした。一人では大変だというので、村人が同行してくれた。山を越え、小川を渡り、テフ1) の畑を抜け、小さな村を点々と歩くこと2日半。やっとの思いでオモ川が見渡せる村までやってきた。 老鍛冶屋の名前はトグリといった。チャカニの親戚だそうだ。チャカニのことを尋ねると、「オレがあいつに仕事を教えてやったのさ。」と誇らしげに語った。「鉄を作ると聞いてやってきたのだが。」と言うと、トグリは、「今では鉄を作っていないが、大事なものがある。」といって、草むらに連れて行ってくれた。 草むらをかきわけると、1m足らずの高さの古い土製の円筒が現れた。それが、初めて見た製鉄炉だった。思ったより小さかった。しかし、とても貴重なものに出会ったような気持ちになり、数日間歩き続けてきた疲れも感じなかった。 トグリはその村の出身だったが、先祖はチャラではなかったと言う。マタカムの鍛冶屋がそうであるように、ディメの鍛冶屋も外来者として周りの民族で暮らしているようだった。「どこから来たの?」と尋ねると、彼は対岸の山を指さした。雲を頂くディメの山が見えた。 |
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![]() <製鉄炉について語るトグリ(右から3人目)> |
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数ヵ月後、ディメを訪れた。隣り合う地域でも、ディメとチャラでは話す言葉がかなり違う。ディメに着くと、鍛冶屋を訪ね歩くことにした。「鉄を作る鍛冶屋はいませんか?」すると、半日歩いた村に鉄を作る兄弟の鍛冶屋がいるという。兄はマジョル、弟はケタトという名前だそうだ。 彼らがいっしょに鍛冶をするときは、マジョルが鉄を打ち、ケタトが鞴を吹く。お互いに鉄を加工する技をもっていたが、2人で仕事をするときは役目が決まっていた。 「鉄はどこから?」とマジョルに尋ねると、「マーケットで買ってくるんだ。」と言って、地面に置かれた鉄棒を無造作に指差した。聞けば、すでに鉄を作ることはないということ。 「なぜ?」日本への帰国の日が近づいていた。今度来るときは、鉄を作るところを見せてほしいと頼んで村を去った。 3.甦る記憶 半年後。ディメでは雨季が終わろうとしていた。村長に鍛冶屋の兄弟に鉄を作ってもらうことはできないかとお願いすると、鉄を作ることはディメのためにもいいことだと言って、快く了解してくれた。だが、マジョルは、村長の話を聞くと、やれやれといった様子で仕事にとりかかった。 かつて、ディメの農民は、鉄を作る「魔法」をもった鍛冶屋を恐れたそうだ。農民は、鍛冶屋が家に出入りすることや、体に触れることをひどく嫌った。しかし、鍛冶屋が作る鉄は病を治すと信じられ、護符のように大切に扱われたそうだ2)。今では、鍛冶屋も「まともに」3) 扱われるようになったし、鉄の魔力など信じる人もいない。それでも、村人たちは鉄の塊を「金」と呼んで大切にしていた。 鉄作りは、準備が長い。まず、陶土で炉を作るのに2日。鉱石はいくつかの場所から掘り出され、頭にのせて運ばれてくる。赤茶色の石は細かく砕かれ、カンカン照りの太陽の下で乾燥される。木炭にする木は、サバンナにそびえるシングル4)の大木。木を切り倒し周りの草を刈ると、火をつけて、しばらく放置する。頃合いを見計らって火を消し止め、炭になった木の表面をそぎとっていく。これを数回繰り返して大量の木炭を作る。 一週間ほど経ち、準備も終わりを迎えた頃、マジョルが鞴にかけるヤギ皮が足りないと言い出した。鞴は、土器に穴の空いたヤギ皮をかけた簡素な作りで、穴に親指を入れて皮を上下させて、炉に空気を送り込む仕組みになっている。マジョルによれば、鞴は6つあるが、ヤギ皮は4枚しかないという。そこで、ヤギを一頭買ってきて、村人といっしょに食べることにした。久しぶりの肉だ。ほぼ毎日、キャッサバかサツマイモを食べていたので、正直うまい。残された皮はマジョルがだいじそうに持っていった。 製鉄の準備が整った。ディメでは、製鉄のことをギルフェと呼ぶ。鞴を吹くことを意味するそうだ。その名のとおり、鉄を熔かすには、鞴をひたすら吹かなくてはならない。そのため、マジョルは周りの村々からの親戚たちを集めてきた。 指揮するのは魔術師マジョルだ。彼が合図をすると、子どもたちが、かまどの火を移した枯れ草を製鉄炉の中に投げ込んだ。続いて木炭が入る。しばらくして、羽口を通して木炭が赤々と燃えあがるのが見えると、マジョルはテフのビールを炉にかけて、おまじないをした。その後、舟のような形をした秤で木炭と鉱石とが層になるように交互に入れていった。 鞴吹きはにぎやかだ。マジョルの奥さんは、ここぞとばかり元気よく声を上げながら、鞴を吹いている。村人たちも集まり、誰かが歌を歌い始めると、炉の周りはちょっとしたお祭り騒ぎになった。疲れてくると、さっそく交代。奥さんが、「ちょっと来て!」と近所のおばあさんを呼びとめると、彼女もよしきたと言わんばかりに勢いよく鞴を吹き始めた。 次第に木炭が少なくなり、炉の口から青白い炎が上り始めた。辺りが暗くなると、炎が1mほどにまで上っているのが見えた。夕方7時頃、マジョルは、鞴から羽口をとりはずし作業の終わりを告げた。子どもたちのワァという歓声が上がり、女性たちがサツマイモやヤムイモなどを持ってきた。 翌日、ケタトが、まだ冷めきらない炉の中に掘り棒を入れて、外壁から溶岩の破片のような塊を剥ぎ取ってきた。表面に無数の穴のあいたごつごつした黒い塊にはスラグ5) や燃え残った木炭などが大量に含まれている。そこで、石やハンマーで塊を叩き、粘り気のある鉄片を丹念に探し出す。子どもたちが「金」を見つけようと必死にハンマーで塊を叩いている。鉄片らしきものが見つかると、宝物を見つけたかのように大喜びだ。 マジョル兄弟は、集めた鉄の破片で小刀を作ってくれた。狭い小屋の中で、ケタトが木炭に火をつけると、マジョルがヒョウタンに集めた鉄粒を火の中に入れた。しばらくした後、一掴みの砂を火にかけ、パチパチと激しく青白い火の粉が立つのを確認すると、木のやっとこで溶け合って塊になった鉄を掴みあげた。真っ赤になった鉄の塊を石床の上に置いて叩き始めた。パン、パンという激しい音がして、火の粉が弾けた。 ディメでは、鉄をコイツフという。名前の由来は「(鉄を)叩く」という意味のコイツェという言葉だと思われる。鉄は文字通り何度も叩かれてスラグや不純物を出すことでできる。叩いているうちに鉄が冷えると、鉄を熱し打ち直す。これを数回繰り返すうちに、次第に不純物の少ない鋼に近づいていく。 |
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![]() <鉄を打つマジョル> |
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マジョルが仕上げに入った。四角い黒い鉄を叩いて、器用に延ばしていく。十分に先を細くするまで延ばして刃を作ると、最後は砥石で刃を研いだ。刃先を確認したマジョルは、ほらよ、と小刀を投げ渡した。ざらざらとした刃先だ。肉を切り、動物の皮を剥ぐには、シャープな包丁よりもこの切れ味の悪そうな刀のほうが使いやすいのだと村人たちは口をそろえる。鍛冶屋の魔法の賜物。ギュッと握ると堅くて冷たい感覚が手に伝わってきた。 鉄を打ちながらマジョルが言う。 「鍛冶屋が作る鉄は、買ってくる鉄のように簡単には錆びないんだ。」赤茶けた石を鉄に変える魔法は、今では使われなくなった。しかし、記憶の中に埋もれかけた魔法は、鍛冶屋の心のなかで誇りとして生き続けているようだ。 小刀を携えてディメを後にした。バスが来る町までは歩いて一日半の行程だ。サバンナの中では、振り返っても、すでに村は見えない。山を登り、家の明かりがかすかに見えた頃にはすでに夕方になっていた。振り向くと、ディメの山が夕陽に赤く縁取られていた。 |
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![]() <ディメの山に夕陽が沈む> |
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注 1) テフ(T'ef)はイネ科の穀草。エチオピアで広く主食とされている穀物。 2) 「鉄は何らかの治療効果や保護を与える力があるとされ、例えば傷の上に鉄板を結びつけ、穀物 庫の外側にひもで鉄の塊をくくりつけている」[Haberland 1959:251] 3) デルグ社会主義政権(1974年〜1991年)は、鍛冶職人をはじめ職能民に対する差別の撤廃を掲 げ、土地改革をはじめとする諸政策を実施した。 4) シクンシ科の植物。Combretaceae Terminalia schimperiana Hochst 植物の同定には、アジスア ベバ大学の協力を得た。 5) 鉄ができる際に、鉄Fe以外のケイ素Siなどの岩石中に含まれる物質が炉底に沈殿して形成される 鉱滓。ディメの人びとは、「鉄の糞」と呼ぶ。 参照文献 Haberland, Eike 1959 Die Dime. In Altvolker Sud-Athiopiens. Adolf Jensen(eds.), pp.227-262. W. Kohlhammer Verlag. Gardi, Rene 1953(1960) Mandara. Unbekanntes Bergland in Kamerun, Orell Fussli. (『秘境マンダラ最後の裸族』大久保和郎訳:二見書房)。 |
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* 日本放送協会(NHK) 修士課程終了(H.16年度) |
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