―今月の写真―
芸術家とは誰か?
〜 オセアニア 〜
写真・文章 渡辺 文 * 
作品をあやつる己の心のみを住処とし、荒野を抜けて創造の地を目ざす孤独者。芸術家とはそういう存在だと思っていた。

でも、どうやらこの考えには修正が必要らしい。

オセアニア島嶼域において、今、新たに「芸術」というジャンルが生まれつつある。中心的役割を果たしているのがオセアニア・センター(在フィジー)の芸術家集団だ。

朝9時。センターには大方のアーティストが姿をあらわし、一日はすでに始まっている。ある者たちは日陰にゴロンと寝転がり、タバコをちびちびと吸いながらおしゃべりをしている。私は彫刻家パウラが作業をおこなう横に寝転がった。

パウラはフィジー・フランガ島の伝統的彫刻師クランの血を引き、その技術を芸術に用いている。20メートルほど向こうではダンサーたちが爆音のなか踊りの練習に励む。60歳も近いパウラだがうるさがることもなく、腰を揺らしながら柄頭を打ち鳴らし、巨大な木片にはリズムがそのまま彫りこまれていく。


彫刻家パウラの制作風景。後ろではダンサー達が練習をしている。
しばらくすると若者たちが通りかかった。パウラの作品を「すごい、すごい」と言っていた一人が、ふと彫刻刀を片手に作品を削り始めた。

芸術祭に出品するため、パウラが3ヶ月以上も手がけてきた渾身の作品をだ。「あなたの立派な作品にこんなことを許していいのか」と憤る私に、パウラは事も無げにこう言った。
「木を見ると彫らずにいられない人種ってもんがある。見たかい、あの子の嬉しそうな顔!ワタシがこの木に呼ばれたように、あの子もこの木に呼ばれたんだろう。それをワタシのわがままで止めてしまったら、この作品は偽物になる」。
さて、狭義の芸術が西欧近代の特異な歴史的・文化的背景の上に成立したことは、人類学ではほぼ合意事項となっている。artの語源であるラテン語のarsは、もともと形成における技術を意味した。だが、とりわけルネサンス文化のなかで作者の個性が重視されるようになると、artは自己表現としての意味を強めはじめ、自由な個人が専門的につくりだす美という現代につながる芸術観が確立されていった。

しかし、オセアニア・センターの「芸術」はそこからちょっとズレる。創造の原理自体を木に見出すだけでなく、彫刻行為そのものを他人の手にあっさりと受け渡すパウラは、作者こそが作品の完全なる創造主だという前提を受け入れない。彼にとって彫刻行為とは常に周囲から介入されうるものであるし、人間の精神によって木材を自在に操るなど不可能なだけでなく、それはなんらの魅力ももたない。

さらに絵画や彫刻、舞踊や音楽はそれぞれ独立した分野として極められてこそ高尚な芸術として洗練されるという前提も、ここでは通用しない。アーティストが生活を営む場において、それぞれの分野は密接に絡まりあいながら文化をつくりあげている。そしてそれらは人びとを専門領域へと閉じ込めるのでなく、人びとをつなげるからこそ価値がある。このような背景を土台として、センターに集まるアーティストたちはゆっくりと「オセアニア流の芸術」を創りだしているのだ。
 

村での木彫りしごと風景
そこには大きな葛藤もある。彼らが憧れるのは、やはり中心的なアート・シーンで有名になり、収入を得ることだ。そこで認められるためには個人名が必要で、作者は自立した専門家であることが期待される(そうでなければ、作品は美術館ではなく博物館に収蔵される)。

たとえばパウラの作品にネームプレートが付されるとき、そこからはあの青年の笑顔の軌跡が抹消され、彫刻技術の立脚するクランの名前が排除され、彼の手と腰を動かした小気味よいリズムはノイズとなり、ライトを浴びる彼は「木によって呼ばれた男」ではなく「木を支配してみずからの精神を見事に表現した男」へと変換される。

このように、「オセアニア芸術」がジャンルとして確立するためにはまだまだ乗り越えるべき問題が残されている。しかし個性と集合性とのはざまから見事に成立しているこのようなオセアニア芸術のあり方は、現代オセアニア文化を理解するための要であるばかりでなく、まさに西欧近代芸術を基盤とした既存の芸術概念を相対化するような斬新さに満ちている。

「芸術家とは誰か?」。この問い自体がナンセンスなのかもしれない。「芸術をつくるのは誰か」ではなく「芸術がつくるのは誰か」の方が、きっとよっぽど面白い問いだろう。
* 日本学術振興会 特別研究員
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