―今月の写真― | ||
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自宅菜園と生活の彩り ―ウズベキスタン東部・フェルガナ盆地の農村― |
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写真・文章 和ア 聖日* | ||
旧ソ連領・中央アジアのウズベキスタンは、東は中国、西は中東・東欧諸国、南はインド・パキスタン、北はロシアのほぼ中間地点に位置する。また同国の地理的特徴は2重内陸国という点にある。2重内陸国とは国境を隣接する周辺諸国(カザフスタン・キルギスタン・タジキスタン・トルクメニスタン・アフガニスタン)にも海がない国を指す。そのなかで、私が現在調査地にしているのはさらに峠に囲まれた東部・フェルガナ盆地のサング村だ。 フェルガナ盆地は肥沃な土壌に恵まれ、果樹栽培と農業がとても盛んな地域である。サング村もその例外ではない。村落のはずれに広がる畑や水田では、国の主要な外貨獲得源である綿花を中心に、麦や米などの農作物、そしてスイカやメロンなどの果物が栽培されている。灌漑設備もソ連時代に整えられ、村落の北部にあるフェルガナ運河とキルギスタン国境地帯からの山川、さらに北東部の溜め池が、農業用水の水源となっている。 |
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![]() <自宅菜園の様子1: 灌漑用水堀とザクロの木。2007年9月15日撮影> |
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この水源からの水は、村落のはずれの畑や水田だけでなく、村落にある数多くの道に敷設された灌漑用水堀を通して村落の中へも流れ入ってくる。この水堀は、人々が居住するホヴリ(hovli:門とそれに続く約60〜200平方メートルの敷地からなる住居の空間)内の自宅菜園にも施されている。サング村のホヴリにはほぼ必ず自宅菜園があり、そこは小規模な果樹栽培と農業のために家族が多くの労力を払う場所である。 灌漑用水堀はさらにホヴリからホヴリへ、つまり隣人宅から隣人宅へと繋がっている。このため、水と自宅菜園の管理は隣人たちとの協力なしではあり得ない。これらすべてが、雨の少ない乾燥した内陸性の気候の中で、素朴だが豊かな自宅菜園での果樹・農作物の栽培を可能にしている。それらは、アーモンド、杏子、いちじく、柿、かりん、桑の実、さくらんぼ、ザクロ、梨、葡萄、桃、月桂樹、じゃがいも、唐辛子、とうもろこし、人参、ピーナッツ、豆など、実に多彩だ。 人々は、季節に応じて収穫される果樹と農作物をもとに自給自足的な節約した生活を送り、また街での転売を目的としてホヴリを訪問する商人にその一部を売る。現金を欠く村の厳しい経済生活に対するこうした対処は日々延々と繰り返されている。 多くの果樹と農作物が収穫期を迎える春の終わりから秋にかけての村の様子は、日が長く、そして結婚式などさまざまな祝宴がこの時期に行われることもあり、明るく賑やかなものだった。それに対し、休耕期に入り食卓にも彩りがなくなる冬の村は、空の晴れる日が少ない上に、昼間から霧で視界が遮られることも多く、寂しく暗かった。何より、室内までが凍りつくかのような厳しい盆地の寒さが、私には本当につらく感じられた。村の人たちは今頃、料理の際薪代わりに使われる綿の茎を買い求めて村中を奔走しているのだろうか。 自宅菜園から窺い知ることのできる村の生活は、果樹や農作物など自然の恵みに彩られている。そして、四季の変化へ適切に対応する人々の自宅菜園に向かう素朴で堅実な姿は、村の生活の彩りをより豊かに膨らませているようにも見えた。2008年の春先にホーム・ステイ先の自宅菜園で咲いていたアーモンドの花を見たときの感激は、寒い冬の終わりへの歓びも相俟ってか、今も鮮やかに思い出される。 |
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![]() <自宅菜園の様子2: アーモンドの木とその花[左上]。2008年3月17日撮影> |
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しかし、この印象とは別に、私はサング村での調査生活にどこか満たされずにもいた。それは、おそらくは村の人々の生活が私に深くかかわるものとして感じられなかったからであろう。私は現在、村のウズベク語方言と人々の振舞いの感覚にできる限り習熟し、彼らの人間関係へ可能な限り混ぜてもらえるよう努めている。村の生活と私とのかかわりの必然性をどんなに考えてみても、それは後付けの理屈のようで、いつも何か無理をしている気がして仕方がない。サング村の人々の生活が自分自身の生活の問題とより密接につながり、村での調査生活に没頭できる日が来ることを願って、今もこれを書いている。 | ||
* 日本学術振興会特別研究員 PD (H20年度博士後期課程研究指導認定退学) |
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