―今月の写真―
町の玄関、バス停
―北インド・ダラムサラ―
写真・文章 山本 達也* 
私の調査地は、北インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州のダラムサラ、マクロード・ガンジである。標高約1700メートルのこの町にデリーやインド各地からバスを使ってやってくる人間は、必ずここでマクロード・ガンジでの最初の一歩を踏みしめることになる。

インドを旅するバック・パッカーであれ、チベットから亡命してきた人間であれ、はたまた、不安げな顔をした人類学者の卵であれ、この地が見せる最初の顔がこのバス停である。安堵、不安、緊張。人によりさまざまな思いが去来するであろうが、このバス停の風景は、少なくとも、どのような人にも平等に立ち現われてくる。

マクロード・ガンジの玄関口は、人びとの営みの場所でもある。

明け方バスを降りれば、まだ新鮮な空気が我々を出迎える。ホテルの客引きたちがいるそばで、パレと呼ばれるチベタン・ブレッドを売って生計を稼いでいる人びともいる。朝のお参りから帰ってくる老婆が数珠を繰りながら坂道を登るのとすれ違うように、子どもたちはスカイ・ブルーの制服に身を包み、通学する。

昼が近づくと、人びとの往来はますます盛んになる。砂煙が立ち込める雑踏のなかで、暇を持て余した人びとが集い、お茶を飲みながら何気ない話をして時間を過ごす。かと思えば、海外からやってきた観光客は、カメラを片手に右往左往し、シャッター・チャンスを狙っている。

退屈な昼下がりを、私は友人とここで幾度過ごしたことだろう。チャイを飲みながら人間観察。一時間、二時間とぼんやり過ごすには、ここは最適な場所だった。人混みを蹴散らすかのように、ロウワー・ダラムサラと呼ばれる地域とのあいだをピストン輸送するバスが時折やってきて、さらに砂煙を巻きあげていく。砂混じりになるチャイ。苦笑いする私たち。

夜になると、様相は一変する。バス停沿いにあるバーが開店し、昔懐かしいロックがガンガン大音量で流れる。チベット仏教徒にとってある種聖地のようになっているこの地だが、一体、一夜で何本のビールが消費されているのだろうか。上機嫌で帰宅する者、それを冷めた目で見つめる者。いろいろな人が交差する、このバス停。

しかし、夜のバス停は別れの場でもある。デリーに向かうバスが一本、二本と出発していく。人びとは旅立つ者に手を振り、無事を願うカタ(チベタン・スカーフ)が何本も首にかけられる。

クラクションが鳴らされ、無情にもバスは発車する。ここからまた人はどこかへ旅立つのである、ここからこの町の第一歩を踏み出したように。
* 国立民族学博物館 外来研究員
(H20年度博士後期課程修了)
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