―今月の写真―

<写真1 チャーイを作るティーマスター。前に並ぶのはボンダと呼ばれる揚げ菓子> 

チャーイのある風景―インド

                                  写真・文章 岩谷 彩子 *   
  
見知らぬ土地へおもむいたとき、ちょっと気分転換をはかりたいとき、気の合う友人と話をするとき、一杯のお茶はその場をなごませてくれる。

いまでは日本でも知られるようになったチャーイは、インドの人々の日常生活に欠かせないものだ。インドではどんな田舎へ行っても人が生活するところに、チャーイを売る店がある。異なる地域からやってきてその土地の水に不安をもつ人でも、熱いチャーイなら心配はいらない。鉄道駅やバス停には必ず茶店があって、旅人を迎えてくれる。インドの朝はどんな家庭でも、一杯のチャーイから始まり、食後や来客時のチャーイは欠かせない。

チャーイの作り方はこうだ。まず少量の水を沸騰させ紅茶を煮出す。ここにしょうがやカルダモンなど複数のスパイスを加えてもいい。そして大量の水牛もしくは乳牛のミルクと砂糖を加え、さらに煮出すとできあがりである。

一見簡単に作れそうなこのチャーイ、作り手によって、飲む場所によって微妙に味が異なる。日本の茶道では、手前の一挙一動が、さらには茶を点てる人の日々の生き方までが茶の味に映しだされると考える。チャーイにしてもやはり一筋縄ではいかない。インドに茶道はないが、道端の茶店で毎日何百杯と作られるチャーイは、アクロバティックな魅力と技法に満ちている。

ティーマスターは、高いところから沸騰したミルクをすくいあげてかき混ぜ、茶葉を煮出し、人々の注文を待っている。注文を受けると砂糖をまず器に入れ、ここにチャーイを高いところから注ぐ(写真1)。

チャーイは、驚くべきスピードでもとの器ともうひとつの器とを何度も行き来するうちに、ミルクと茶葉と砂糖とが混じりあった素敵な飲み物になる。この間1分もかからない。高みから低みへ、低みから高みへ。まるでインド社会に根強く残るカーストの高低を攪拌するかのように。

実際に茶店にはさまざまなカーストの人々が訪れる。そして誰もが、多くは上位カースト出身者ではないティーマスターの作るチャーイを口にし、リフレッシュして店を後にする。さまざまな差異が煮出され、混ざりあったチャーイは、こうして人々のからだのなかへ入っていく。


<写真2 タミル・ナードゥ州トゥヴァクディのバス停背後には茶店が見える>
そもそもチャーイの原料からして、インドが抱えるさまざまな差異を体現している。チャーイの母体となるミルクは、インド、ヒンドゥー教では聖なる存在とされる牛から得られる貴重な資源である。昨今では少なくなりつつあるものの、インドで牛は我がもの顔で通りを往来している(写真2)。

自動車の前をゆったりと通る牛に、人々は目くじらを立てたりしない。文字通り野放しにされている牛から得られるミルクの味は濃い。そしてミルクと混じりあう茶葉は、もともと植民地期にイギリスによって中国からインドへもち込まれ、プランテーション栽培されるようになったものだ。

チャーイという名前も<茶(ちゃ)>に由来している。チャーイは私たちが日本で口にする緑茶の兄弟分というわけだ。ただし、インドで一般に人々が口にしている茶葉は、アッサムやダージリンなどの産地名で私たちが手にする茶葉とは大きく異なる。

さまざまな品質の茶葉が量産されるなか、上質の茶葉が輸出に回された後で残された二流、三流品がインドの人々が日常的に口にする茶葉である。そうした茶葉に紅茶特有の香りは薄い。しかし安価な上に色・味とも濃く出るため、一日に5、6杯とチャーイを口にする人々をより満足させることができる。インドの大地で10億人を支えるチャーイを味わったことがある人にとって、日本で口にするチャーイがどこか気取った薄い味に思えることもこれで納得がいくだろう。
チャーイが生産・消費されている場に目を移してみよう。ちいさな村であれば一軒、町になれば50メートル間隔くらいに一軒ある茶店の朝は早い。5時頃には店を開け、チャーイを出す準備が始まる。

私がよく通っていた南インド、チェンナイの茶店では、朝(5時−14時)と夜(14時−23時)のシフト制でティーマスターが交代で働いていた。都市のティーマスターの多くは店主に雇われた低賃金労働者だが、彼らは実に勤勉だ。彼らを見ていると、どこかで耳にした「インド人は怠惰だ」というような言説がまるで当てはまらないのがよくわかる。早朝から夜遅くまで、人々の生活とともにフル稼働している茶店を支えているのが、こうした労働者なのだ。

チャーイは、インドのどこでも一杯2‐3ルピー(日本円にして5‐6円)と非常に手軽な値段で口にすることができる。南インドでは、緑がかった厚手で小ぶりのグラスか、もち手のない金属製のコップに注がれて出される。

チャーイが注がれる器も地域によって異なる。北インドで素焼きの器にチャーイが出されてきたことがある。チャーイを飲み干した後に、器を勢いよく戸外で割って店を後にするのが気持ちよかった。多くの茶店にはクッキーやケーキ、揚げた菓子やスナックがおかれており、チャーイと一緒に食べることもできる。簡単な食事を出す店に併設している茶店もあるが、インドの茶店といえば間口一軒ほどで、店内にスツールが10脚あるかないかの小さな店である。

だいたい入り口の人目につくところでチャーイを作っていて、人々はその湯気で茶店とわかる。茶店には長居をしないのがインド流である。店頭で注文して、そのままそこで飲み干して立ち去る人も少なくない。次から次にやってくる客に限られた席をゆずる目的もあるだろう。

ゆっくりチャーイを味わいたいとき、人々は茶店からチャーイをもち帰る。私が南インド、タミル・ナードゥ州のある町で見たチャーイを店からもち帰るための容器は、造花できれいに飾られた自転車の荷台に結わえられ、自転車の一部のようだった(写真3)。家族のため、友人のために、この人は日々茶店からチャーイをもち帰るのであろう。自転車に結わえられた器が彼の周りの人々への愛情を示しているようで、私は思わずシャッターを切ってしまった。


<写真3 チャーイのもち帰り用容器を装着した自転車>
チェンナイの街角で、茶店からもち帰ったチャーイを飲む夫婦に出会ったこともある(写真4)。彼らは歩道に敷いたシートの上で、女性の髪飾りや神への供え物にするために、ジャスミンの花を糸で結い合わせて売っていた。仕事の合間に彼らののどを潤すのもやはりチャーイだ。チャーイを飲みながら夫をうかがう女性のまなざしからは、決して裕福ではない彼らが日々の生活のなかでつむぎだそうとしているささやかな幸せを、見てとることができる。

 かくなる私も、インドへ行くたびに、まずチャーイを口にして、初めてインドに戻ってきた、という気持ちになる。紅茶には砂糖を入れない私だが、時には砂糖入りのインドのチャーイが恋しくなる。チャーイは、私のようなよそ者を包みこんでもびくともしないインドそのものだ。その深い強さと優しさを、チャーイは今日もインドのそこここで生み出しているのである。




<写真4 チェンナイの街角 チャーイで一服する夫婦>
* 日本学術振興会特別研究員
博士号取得(平成17年)
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