―今月の写真― | ||
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ミャンゴへの賛歌 ―エチオピア西南部・シェコ― |
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文章/写真 中森千尋 * 絵 三谷裕希 ** | ||
2004年1月のある日のことだった。その日は隣の集落サマルタからほとんど崖に近い所をツルや木にしがみつきながら、ようやくケモノ道をバディカまで4時間程かけて帰ってきた。夕方に到着してからハチミツ酒「タッジ」やタロイモ、とうもろこしパン「キッジョ」で移動の疲れをねぎらってもらい、滞在先のアドマス一家と談笑したあと、寝袋に筋肉痛の体を滑り込ませようとした時のことだ。
「遠くから歌が聴こえてくる。」ふと耳を澄ますとほど遠くない場所で30人は集まっているだろうか。男の声、女の声、子供の声が幾重にも折り重なって、そこにピッピッピと電子音のような音を発する虫、リーンリーンとまるで秋の鈴虫に鳴く虫、キューンキューンとイルカのように啼く虫、ザザザザァと柔らかい夜風に木々がそして葉っぱがこすれ合う音、パチパチッと隣のへやでまだくすぶる炭。いろんな音のツブツブのひとつひとつが遠くなったり、近くなったり、高くなったり、低くなったり、溶けあい、ひしめき合い、それが囲まれた山に木霊して、まるで大きなドームの中にでもいるような錯聴を起こしながら、壮重なハーモニーを奏でている。 「アドマス!!あの歌声はなに?」おもわず興奮してほとんど叫ぶように滞在先の主アドマスに聞いた。 「あああれかい。ハチミツが無事収穫したことを祝う歌だよ。(シェコの祖先霊)ミャンゴに感謝する歌さ。」 「そうなんだ!!今から見に行ってもいい?」 もともとエチオピアに渡航する以前から僕は民族音楽に聞き惚れていた。単純に反復するリズム、動物の皮やまわりに生えている木から作った素朴な楽器、そして人の声。ある日CDショップの試聴機で偶然聞いたザイールに住むピグミーの歌声は今まで聴いていた音楽観がすべてひっくり返るような衝撃をもっていた。 なんというか、子供の頃によく遊んで作った砂場で土をこね上げた城や、木から伸びでてくる新しい枝葉や、そんなイメージなのだ。土の中から木が生えて来るように形も変えず加工もされず、音楽がそのまま地面からニョキニョキと生えてきた感じとでも言えばいいのだろうか。いままで「音楽」と思っていた、思い込んでいた、いや思わされていた(?)音楽とは全くかけ離れたものであった。 それはむしろ「音の集積」とでも呼ぶべきものだった。「音楽」という独立した観念ではなく、毎日循環する生活に密着していて、それ以上でも以下でもない。先祖から受け継がれてきた小さい時からよく耳にする音を、細胞ひとつにとつに染み込んだ音をそのまま声にし、奏でるだけなのである。 実際、シェコには「音楽」に該当する言葉が存在しない。「歌」や「声」という言葉はあっても「音楽」という独立した概念はない。「音楽」が、試聴期のまわりに並ぶ膨大なCD群のように、「ミュージシャン」「アーティスト」といった個人の才能やセンスに委ねられているとするならば、シェコの「歌」は、対照的に常に全員が参加を強いられ、匿名性が高く、共同性も強い。だからこそ歌声は力強いものとなる。 「いいよ。みにいこうか?」アドマスはアムハラという民族の出身で、シェコの集落に居住しているものの、こうしたシェコの祭りや行事には参加しない。このときは半分眠気マナコをさすりながら親切にも僕のわがままを聞き入れてくれた。 幻想的な夜だった。午後9時をまわった頃だったか。家の外に出ると思わず「おぉ??」とため息がもれた。草葺きと土壁の素朴な家が建ち並ぶ集落にホタルが乱舞し、夜空には星が埋め尽くすようにきらめいている。 新月の夜だ。アドマスが電気もガスも水道もない小さな村のなかを懐中電灯ひとつで道案内してくれる。歌声がどんどんと大きくなってくる。山道をおりヤブをかきわけ、村の中心にある広場にでた。シェコの人びとが老若男女問わず円形を描きながらハチミツ酒タッジを飲み、手を叩きながら踊り歌っているではないか。これが見たかったのだ!これが聞きたかったのだ!もう僕は大興奮である。 じっと聞いていると4つのパートに別れている。子供パート、男性パート、女性パート、老人パートが円形を描いてグルグルと走り回りながら、互いに掛け合い、囃し合い、和音を重ねてものすごい迫力をもったポリフォニーを奏でている。そのシェコの踊りと歌に加えて、満天の星空、乱舞するホタル、そばでゆらゆらと揺れている焚き火が合わさって、同じ地球上にいることが疑わしくなるほど異様な、そして感動的な光景であった。 ミャンゴの歌には基本的に歌詞は全くない。ただ「アーオーウー」とか「イエーイエイエー」と意味ともとれない擬音語を発するのみである。 「ミャンゴはみえないんだ。雨が降るのも、太陽が照るのも、風が吹くのも、とうもろこしが実るのも、そしてハチミツが採れるのも、すべてミャンゴのおかげさ。ミャンゴはみえない。でもミャンゴは歌うんだ。鳥が美しく鳴くだろう。そんな歌を歌うんだ。ミャンゴへの歌はその声をみなで真似するんだ。いつまでも豊穣をもたらしてくれるように、自分たちがここにいるよって伝えるためにミャンゴの歌を真似するのさ。」(シャラ=グヌバイ)初めて間近にきいたシェコの歌は日本のライブハウスやコンサートホールで聞いた音楽とは、音の流れそのものが全く異質だった。シェコの人びとは4つのパートで互いに和音を形成してグルグルと回りながら歌うため、傍らで聞いてる僕の耳には各パートの歌が近くなっては遠ざかり、高くなっては低くなって聴こえてくる。歌詞のない単純な母音の発声はもはや歌というよりも、ひとつの巨大な「音の塊」となって次から次へとこちらの耳と体に激しくぶつかって来る感じがする。 一つのパートが合唱する「音の塊」は、男性パートが通りすぎると女性パートが現れ、それが過ぎると子供、そして老人、また男性パートと終わりのない円環を描きながら、それゆえ音に奥行きが生まれる。立体感を持った歌の回転は、まるで螺旋系を描いて空を登ってすらいくようだ。どこかで見守るミャンゴへ届け、とばかりに。それまで日本で当然のごとく聞いていたステージから観客席へと直線的な音が流れに対して、この夜聞いたシェコの立体的な音の流れは、全く新しい耳の体験であった。 普段素っ気ない村人どうしのつきあいも、もくもくと働く子供たちのストレスも、家父長制の強い家で耐え忍ぶシェコの女性たちの気苦労も、こうして新月の夜に爆発する。特に子供たちは普段大人たちからの言いつけを守るよう育てられているので、歌の夜には我れさきにとリーダーシップを発揮したがる。 ひとつの歌が終わり、年長者のおばあちゃんたちが選曲して歌いだすと、みながそれに歌をのせていく。子供の一人がそのおばあちゃんのマネをして歌いだしては大人に叱咤され、みなが大爆笑する。男も女も子供も普段の責務から解放され、酒を飲み、ヒザを叩いて笑い、のびのびと和やかにいつまでも時を過ごす。 この日の夜はハチミツ酒タッジとともに、歌と笑い声がいつまでもバディカの盆地に響き渡っていた。 |
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* 茅葺職人見習い (山城茅葺屋根工事) 修士課程修了(H17年度) ** 絵描き 三谷さんのHP |
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