9.人種的アフリカ観の残存―「セム」「ハム」と「ニグロ」−
栗本英世
(大阪大学, kurimoto@kta.att.ne.jp)
今日からふりかえると、20世紀の中頃まで人種差別主義的なヨーロッパのアフリカ観が存続していたことは奇妙に思えるかもしれない。たとえば、『アフリカの諸人種』(1930年、改訂版1937年、1957年)において、当時著名な人類学者であったセリグマンは、人種的な身体的特徴におおきな関心を払った。こうした特徴は、根本的な重要性をもっていた。なぜならセリグマンは、「文明」の名に値するものはすべて「コーカソイド」か「コーカソイド」の血を受け継いだ黒人、つまり「セム」、「ハム」、あるいは「ハム化したニグロ」によってもたらされたと考えていたからである。アフリカ土着の住民である「ニグロ」は、農耕、牧畜、製鉄、文字、国家など、文明の証拠となるものを発展させる能力に欠けるという、つよい信念が流布していたのである。

 21世紀のはじめに生きる私たち―アフリカ人と非アフリカ人の両方―は、こうした人種的観点から自由になったわけではない。むしろ、人種的観点は、根強く存続しているだけでなく、ある場合には再活性化されている。現在、アフリカを「暗黒大陸」と呼ぶ者はいないにしても、慢性的な諸問題を抱えた、国際社会のお荷物とみなす立場は一般的である。アフリカ研究者は、セリグマンらが確立した言語・エスニック集団の分類を、政治的な配慮からラベル名は変更したにしても、いまだに踏襲している。「高貴な野蛮人」の典型であるかつての「ハム化したニグロ」牧畜民は、ロマン化されたまなざしの対象であり続けている。もっと重要なのは、セム系とハム系の優越を主張する、ヨーロッパ起源の人種的イデオロギーが、アフリカ人エリートによって内面化され、人びとを分断し動員するために操作されていることである。これは、北東・東アフリカ、およびその周辺地域において、現在進行中のエスニックな政治、紛争、内戦を考えるうえで、きわめて重要な側面である。セム・ハムに関する理論を検討することは、たんに過去をあきらかにするだけでなく、今日の政治文化の考察にとって不可欠な作業である
<プロフィール>

栗本英世(くりもと えいせい)

大阪大学人間科学研究科助教授

専門:社会人類学、アフリカ民族誌学

調査研究テーマ:ナイル系民族誌、政治人類学、歴史人類学、紛争、内戦、難民

フィールドワーク:南部スーダン(1978年−1986年)、エチオピア(1988年−1999年)

主な著書:『民族紛争を生きる人びと』(世界思想社, 1996);『未開の戦争、現代の戦争』(岩波書店, 1999)。編著書:『植民地経験』(人文書院, 1999); Conflict, Age & Power in North East Africa (James Currey, 1998); Remapping Ethiopia (James Currey, 2002).

 
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