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現在の京都大学人文科学研究所は、1939年に設立された同名の研究所(旧人文)と、東方文化研究所及び西洋文化研究所が合体して、1949年1月に発足した研究機関であり、3研究所のそれまでの業績を継承しつつ、世界文化に関する人文科学の総合研究を行うことを、その目的としている。 東方文化研究所統合された3研究所の中で最も歴史が古い東方文化研究所は、1929年、中国文化を中心とした学術研究を目的として、外務省から助成金をうけ、東京と京都に設立された東方文化学院の京都研究所の後身である。東方文化学院京都研究所は発足当初は研究員4、助手4にすぎず、所屋も京都大学文学部陳列館の一隅を借用していたが、1930年11月、北白川小倉町50番地(現東小倉町47番地)に新所屋が完成した。現在も本研究所附属の漢字情報研究センターとして使用されている白亜の建物がそれである。ちなみに、この建物は、研究所評議員濱田耕作の創意をもとに、東畑謙三氏が設計したスパニッシュ・ロマネスク様式の、極めてユニークなもので、今日に至るまで世人の注目を集めている。 1938年4月、東方文化学院が改組され、京都研究所は独立して東方文化研究所と改称された。この頃には、研究員、副研究員、助手、嘱託員など30名以上の所員が、経学・文学、宗教、天文・暦算、歴史、地理、考古の6研究室に分属して研究活動に従事する体制も整っていた。なお東方文化学院時代の所長は狩野直喜であり、東方文化研究所時代の所長は松本文三郎と羽田亨であった。 西洋文化研究所一方、西洋文化研究所は、1934年に民間団体として設立されたドイツ文化研究所(吉田牛ノ宮町1番地)を、1946年に改組した研究機関で、数名の研究員を委嘱して、イギリス・アメリカ・ドイツ等の文化の研究に従事することになっていた。しかし、所屋をはじめ3000冊をこえるドイツ関係の書籍を含む一切の設備が、占領軍に接収されたため、その活動を停止せざるを得ず、結局土地所屋は接収解除とともに京都大学に寄付され、すでに発足していた現在の人文科学研究所の所属に帰した。なお、この所屋も村野藤吾氏の設計にかかる昭和建築史における特色ある建物であったが、維持管理をはじめとした種々の問題のため、1974年に残念ながらとりこわされた。 旧人文科学研究所最後に旧人文科学研究所は、東亜に関する人文科学の総合研究を行う目的で、京都大学の附属研究所として1939年に設立された。翌年より産業経済・社会および教育・文化交渉史などからなる研究体制が整い、京都大学の文・法・経済・農の各学部の支援をうけながら、教授1、助教授5、兼任所員13で発足した。所屋には大学本部構内の中央図書館西北の木造2階建の建物(現在ではとりこわされてしまった)が充てられた。なお統合に至るまでの所長は、小島祐馬、高坂正顕、安部健夫であった。三研究所の統合と人文科学研究所の発足 さて、旧人文科学研究所を中核として、東方文化研究所と西洋文化研究所を統合しようという動きは1946年末にはじまる。翌年に入り、西洋文化研究所を解散し、建物・設備をすべて京都大学に寄付しようとする同研究所理事会の意向をうけ、当時の京都大学総長鳥養利三郎は、東方文化研究所長羽田亨らと協議して旧人文と東方文化、西洋文化を一つにした大研究所設立の実現に動きだした。こうして、1948年4月、まず東方文化研究所が外務省から文部省(京都大学)の所管にうつされ、ついで同年11月20日3研究所を代表するかたちの3所員による公開講演を契機として事実上の統合が成立し、翌年、11部門、教授11、助教授14、助手19からなる新しい人文科学研究所が正式に発足した。その後、社会人類学(1959年)、西洋思想(1964年)、日本文化(1969年)、現代中国(1975年)、比較文化(客員1978年)、宗教史(1980年)、比較社会(1981年)、日本学(客員1985年)、言語史(1988年)の各部門が増設された。なお、比較社会部門、日本学部門は、客員部門として外国人を招聘して運用されることになった。このほか1965年には附属施設として東洋学文献センターが設けられた。
1979年は本研究所の前身の一つの東方文化研究所が創立されてから満50周年を迎えたため、11月9日に創立50周年記念式典が催され、詳細な沿革を誌した『人文科学研究所50年』が出版された。 研究所の改組2000年4月、人文科学研究所は研究のいっそうの発展を目指し、また時代の要請に応えるために、全面的な改組を行った。この結果、従来の小部門の制度を改め、5部門、1附属研究施設からなる大部門制をとることになった。さらに2006年4月にはイタリア国立東方学研究所およびフランス国立極東学院京都支部との連携のもと、人文学国際研究センターを、2007年4月には大学共同利用機関法人人間文化研究機構との共同により現代中国研究センターを発足させ、新たな時代のニーズに応えうる研究体制の構築をすすめている。 研究の遂行と運営の便宜上、これらは人文学研究部、東方学研究部の2部にわけられ、所員は個人研究のテーマを持つと同時に共同研究に参加する義務を負う。本研究所の一つの特色をなす共同研究は、すでに東方文化研究所、旧人文科学研究所時代からの歴史を持つが、特に統合・改組以後は部・部門相互間、あるいは学際的な共同研究を組むことによって、学問が過度に専門化する弊害を防ごうとしている。 施設の変遷西洋文化研究所の建物が接収解除になったのちは、北白川の旧東方文化研究所を「本館」として、事務室と東方部関係の研究室と書庫を置き、東一条の旧西洋文化研究所の建物を「分館」として、日本部と西洋部の研究室と書庫を置いていた。しかし、東洋学文献センターの設置、収蔵図書及び資料の増加、あるいは部門増などによる研究所の規模の拡大などのため「分館」を改築して新しい総合所屋を建設する気運が熟し、1975年秋に東一条に4階建の新所屋が完成した。 それ以後は、事務機構と研究室は新館にまとめられ、これを「本館」とし、北白川の旧本館は、主として東洋学文献センター(2000年4月から漢字情報研究センター)の施設として利用され「分館」と呼ばれるよう改められた。このほか、1983年に「本館」の西に隣接していた、日独文化研究所(ゲーテ・インスティチュート)の移転に伴い、その敷地・建物を使用できるようになり、「西館」と称して共同研究室、複写などの機器室、書庫などを新設した。 歴代所長なお、1949年、新人文科学研究所が発足した時の所長は安部健夫で、その後の歴代所長は、以下のとおりである。
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