―今月の写真―

[写真1 ブラジルの社会フォーラムでデモに参加しているインドの反差別運動グループ]  

有機農法は未来のバイオテクノロジー?
 マルチチュード運動の奔流の中で…


                                   写真・文章 春日 匠 *   
  
21世紀を迎えた国際社会は、同時に大きな価値観の転換期を迎えているように思われる。バイオテクノロジーではなく、伝統的な有機農法こそが第三世界における膨大な貧困層を救う技術かも知れない、という20年前であれば考えられなかったような議論が、真面目に議論されるようになってきたのである。こういった流れを考えることで、伝統知識の研究としての人類学にも新たな可能性と責務が生じているのではないか、ということをここで考えてみたい。

「地域に根付いた草の根の運動が政治を変えるような社会になる」。メルッチなどの社会学者たちがこう指摘したのは、すでにずいぶんと昔のことのように思われる。これは実は、先進国だけのことではない。いや、むしろ第三世界のほうがより切実な社会問題を多く抱えているぶんだけ、こういった活動が盛んであるという側面もある。

 イタリアの思想家、アントニオ・ネグリはこういった運動を「マルチチュードの運動」と呼ぶ。これまで、新しい草の根の運動の担い手は、市民(Citizen)や人民(People)と呼ばれてきた。それをポピュリズムと揶揄する場合は、大衆(Mob)ということばが使われる。それらの言葉が含意するのは、これら運動の主体がなんらかの特徴を共有していて、大きな枠で見れば共通の目的を持って行動しているという前提である。


 もし運動の主体を「市民」と呼んだ場合、その目的は「公共性」である(従って、それはいい運動である)し、もし「大衆」と呼んだ場合、その目的はおそらく刹那的な快楽や直感的で間違った政治目的である(従って、それは悪い運動である)。1980年代に至るまで、メディアや知識人は、今目の前で起こっているデモが市民による運動なのか、大衆による暴動にすぎないのかを解釈する、特権的な地位を維持してきた。

 ところが、1999年に米シアトルで行われたWTO閣僚会議に付随して勃発した大規模な抗議運動は、それまでのデモとは、かなり趣が違っており、より複雑な解釈を要求するものであった。もっとも重要な点は、そこには様々な目的を持ったグループが混在していたことである。これを象徴的に「ウミガメとトラック運転手の出会い」とも呼ぶ。

ウミガメは当時WTOを舞台に大問題になっていた環境問題の象徴であり、トラック運転手はアメリカで最も勢力のある労働組合を象徴している。つまり、それまではトラック輸送というのは環境運動家にとってあまり好ましいものではなく、いっぽうでアメリカにおいて典型的なブルーカラーと見なされているトラック運転手たちにとって、環境運動というのは恵まれた生活をおくる中産階級の贅沢の一種でしかなかったのである。

両者の関係はお世辞にも良好とは言えないはずであったが、ここで初めて共闘関係が発生したのである。そのほか、各種のNGO、労働組合、第三世界の開発運動家、米国内外のエスニック・マイノリティやセクシャル・マイノリティのグループ、ストリート・アーティストなど、各種の運動体がこの抗議運動に合流した。彼らを結びつけていたのは、共通の目的と言うよりは、ネグリが『帝国』と呼ぶもの、つまり超国籍企業(TNCs)とIMFやWTOのような国際機関によって均質化され、グローバル経済に漏れなく組み込まれた社会の出現への懸念であった。

この地域的あるいは歴史的に細分化された、異なる目的を抱きつつ、大枠でグローバル化に対する反システム運動を担うような人々を、ネグリはマルチチュードと呼ぶのである。こういった抗議デモは、その後WTOの閣僚会議やG8、APECサミットなど、国際政治の主要なイベントごとに繰り広げられるようになった。

 マルチチュードの存在はもちろん同時多発的であり、その運動は世界中に存在しているが、その起爆剤となっているいくつかの運動がある。そもそものモデルをつくったのはメキシコ・チアパス州を拠点とするEZLN(サパティスタ民族解放軍)による先住民蜂起であるとされる。


[写真2 土地なき農民運動のブースでは、多様な土着品種が誇らしげに展示されているレ]
ブラジルでは、土地を取り上げられてスラムに流入した農民らを組織し、大規模な酪農農園の一角を占拠して農地を確保する「土地なき農民運動」は、ブラジル最大の社会運動に成長し、後に触れる世界社会フォーラムや左派政権の誕生にも寄与した。

また、もう一つの重要な発火点はインドであり、ナルマダ・ダム群開発の反対運動、近代型の農業開発への反対と伝統農法の活用運動、南部ケララ州を中心とした住民自治の試みなどが世界をリードする先進事例と見なされてきた。また、むろん先進国でもスペイン・バスク地方の労働者共同体モンドラゴンに代表されるような、いくつかの反システム的社会運動があり、多くの国際的なNGOネットワークはこうした第三世界の運動をつなぐ役割を果たしている。

注目すべきは、先進国でも、第三世界に学ぶ事例が増えてきたことである。その最も有名な事例が、ブラジルの南部、ポルト・アレグレ市で開発された「参加型予算(Participatry Budget)」と呼ばれる手法である。

住民の直接参加による集会での討議と、この集会をベースにして選ばれた委員による決定で、市の予算の(一定部分の)優先順位を決め手いくという参加型手法は、結果として上下水道や教育など、貧困層のニーズに沿った事業への優先的な資金投入を質し、貧富の差が激しいことで悪名高いブラジルにおいて、貧困層の生活の向上に大きく寄与したとされる。興味深い点は、この方法論が、ラテン・アメリカの他地域だけではなく、スペインやドイツといった先進国の諸都市でも模倣され始めたことだろう。


[写真3 ブラジル南部の都市ポルト・アレグレ]

こうした活動が高く評価されたこともあり、ポルト・アレグレは世界社会フォーラムをホストすることとなる。1999年のマルチチュードの運動の流れを恒常的なものにするため、各国のNGOや労組など、社会運動体が集まって様々な問題を協議する場所を設けることが求められていた。これは、同時に、世界の名だたる大企業の経営者と政治的指導者が一堂に会する世界経済フォーラム(毎年1月にスイスのダヴォスで行われることから、ダヴォス会議とも呼ばれる)に対抗したものになることも企図されていた。そのため、この集まりは「世界社会フォーラム」と名付けられ、第三世界からの政治的イニシアティヴで名をはせたポルト・アレグレで毎年行われることになった。

ここでもネグリらの言葉を借りれば、ダヴォスが「一月のブラジルの猛暑と、スイスの積雪とのコントラストは、ふたつの政治戦略が正反対であることを反映している。(中略)ダボスの会議派、少数のエリートに限定され、武装した護衛に守られている。他方、ポルトアレグレは、数えきれない参加者で、満ちあふれた催しである。ダボスは、山頂に封じ込められた狭い支配者たちに限られているのに対して、ポルトアレグレは、平原に広がる無限のネットワークなのである」(フィッシャー他編『もうひとつの世界は可能だ』日本経済評論社 p.6)。
 
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