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  • これは踊るシヴァ神、ナタラージャです。わたしは1987年から1998年まで10年以上この神を祀るお寺で調査をしていました。

 

続きはブログで紹介しています。TANAKA Masakazu's Journal

  • 10/7 富山大で集中講義の間、再び昔住んでいた場所に行ってみる。一度大学時代に訪ねたと記憶しているが(富山大での学会の時か。それともそれ以前か)、記憶違いかもしれない。もう家はなかったが、隣の野原は健在だった。それに水路も。奥田小学校のスキー山もありました。後者が増えていて南側の校庭はなくなっていました。例のごとくレポートを毎日出してもらう。およそ30名、ほとんどの人はしっかり書けていました。
  • 10/5 南アジア学会 正義についてのシンポで司会をする。11時から17時半まで。疲れました。良いテーマなのでまたやれたらと思います。小谷先生に質問が集中していました。他の人がすこし可哀想でした。主観的には7月の準備会の時の方がのっていたように思う。朝痛かった虫歯はおかげさまで?痛まなくなりました。
  • 10/4 迷ったが民博で『日常的実践のエスノグラフィー』の合評会に参加する。私のコメントは、3つに絞られる。一つは、積極的に実践あるいは実践共同体の概念を評価するとすれば、組織(学校や病院、工場など)におけるフォーマルな教育・訓練の場と異なるインタラクションが認められることを明らかにできる、そうした視点を掘り下げることのできるパースペクティヴを提示しているということであろうか。それがかなり成功しているのは當眞論文、平井論文も生産に関わるインフォーマルな実践が全くないと言えないのではないか、同じく池田論文も外科の平準化が進んだとしてもやはり限界があるのでは。そのほかに、倉島、佐藤、松田など実践共同体そのものを取りあげた論文もそれらがなにと対比されているのかを明らかにすればもっと議論が深まったのではないか。たとえば倉島の場合は近代スポーツとなったはずの柔道を取りあげる方がかえっておもしろかった。佐藤の場合も自助集団ではなく、医療現場を取りあげる方がおもしろい議論ができたかもしれない。論文そのものが楽しめたのは、床呂、箭内論文。2点目、私の関心から言えば実践者のイメージがまだ明白ではないこと。田辺は序論で行為主体(エイジェント)という概念で各論文を紹介しているが、その概念を実際に使っている論文は数少ない。言い換えればいいという問題ではない。3点目。やはり権力について不十分。あるとき権力は共同体の外に措定され、内部に措定されているときはそれほど否定的にとられてはいない。さて、もっと大きな問題は、本論文集のほとんどが対象社会の実践共同体を取りあげているという点である。しかし、われわれは身近にある実践共同体としてあとふたつの実践共同体を想定しても良いだろう。ひとつは岡崎氏が指摘していたように、教育現場における実践共同体。もうひとつは、竹沢氏の趣意書ではむしろ中心テーマに思われたフィールドで研究者が関わる実践共同体。このふたつである。後者こそ本来もっと考える必要のあるテーマとなるはず。田辺先生もそれを意識しているが、実際には扱われていない。われわれがどんな共同体にフィールドで関わるのか、作るのか。これはpositionalityをめぐる議論と重なる。前者についてひとこと言うと、こんな風に問題を提示することができる。実践共同体という概念がフォーマルな近代的学習へのオルタナティブと考えれば、実践共同体的な教育とは、たとえばシラバスや時間割を無視して合宿をもっとも効果的かつ重要な教育の場とみなす立場である。そこでは身体(肉体と言うべきか)と体力が重要な意味をもち、飲食や身体接触に教育的意義が付与されていく。合宿の延長にフィールドでの教育がある。すでに肉体的に一人前になった学生をフィールドに連れて行く。そして寝食を共にすることで一人前の研究者を育てる、というわけだ。これは金も時間もかかる手作り教育と言えなくもない。これに似た方法に、「対話」を重視した教育も考えられる。こちらは肉体ではなく口あるいは舌が重視される。対話を重視するから大教室には向かない。理想は10名以下のゼミ形式。講義に集まった学生になぜおれの講義を受けるのかを問い、それで選抜していく、単位はやるから出席しなくて良いと告げて・・・。教育の場所は対話がしやすい喫茶店の片隅だ、あるいは普段使われていない複写室や物置。そして対話がはじまる。対話といってもいつのまにかそれは「尋問」に変わっていく。こうして、最初のうちは選抜の喜びにうち震えていた学生の瞳は講義の後に瞳孔が半開きになり瞬きをしなくなる。このような教育こそ実践共同体の典型と思われるが、編者の田辺先生の教育実践はこのようなものからほど遠い(と私は思う)。田辺先生の場合はむしろ大部のリーディング・リストを用意し、シラバスを重視し、システマティックに学生に知識と考える力をつけていこうとする立場であろう。近代的なのである。そこになにか書いたものとのずれというか、違和感が残る。もうひとつ大事なことは、合宿型であれ、対話型であれ、シラバス中心であれ、そこにはつねに権力が作用しているということである。合宿型が楽しいとは限らない。
  • 10/2 今日二回目の会議。夕方突然歯が痛み始める。翌日歯医者に行く。
  • 10/1 立命館、今年から講義のテーマが「グローバリゼーションと宗教」。トランスナショナリティとかトランスボーダーなど、急にこの手のテーマで話をする機会が増えてきた。残念ながら時間切れで準備していたものがおわらず。終了時間を聞いていなかった私が悪い。
  • 9/22 再度トランスナショナリティ研究会、労働の女性化について。しかし、議論そのものは陳腐な気もする。誰かが述べていたように、儲けが増えればそれだけ女性の声も通るかもしれないが、いつなにに金を使うのかのほうが重要な気がする。懇親会の場でも確かめたが彼女は儲けの方が大事だと言っていた。Free Trade Zoneはスリランカでも80年代初頭から注目されている。
  • 9/19 夕方トランスナショナリティ研究会出席、帰りに中川氏の『モノ語りとしてのナショナリズム』をせしめる。遅ればせながらありがとうございました。懇親会では黒田悦子先生のお話を聞く。女子大生の生態とそれを愛でて若返りをはかる老教授、そしてそれを苦々しく思いつつも講義の多さで身動きのとれない若い女性講師たち。という図式。
  • 9/18 松田素二氏から送られた『観光と環境の社会学』を一部読む。グリーン・ツーリズムに代表される都会の喧噪から一瞬解き放たれる憩いの場としての田舎というイデオロギーが批判されているわけだが、それにたいする視点として地域(小さな共同体)の対応に焦点が絞られていた。こうした議論を追いながら、コンテキストをずらしてセックスについて考えたらどうかと思いをめぐらす。癒しとしてのセックスというスローガンのイデオロギー性はわかりやすいが、地域に対応するのはなにか?身体?とくに女性の身体?売春婦たちの自助集団?
  • 9/15 世界柔道国別団体トーナメントを観る。試合を見ていると、体も反応するというのは、この種の競技のせいなのか。これも響応する身体の例?7時前に阪神タイガース優勝も決まる。梅田をぶらつくが道頓堀のような感じではなかった。こちらには響応できず。
  • 9/12 人間ドック。去年は日赤だったので二年ぶり。
  • 9/11 夏休みあけ(といってもわたしは9月末まで夏休みだが)最初の企画委員会と所員会でほとんど身動きがとれず。小雨。
  • 9/9-10 院試。結局文化人類学分野は8名を採る。これでほぼ後期も含む定員を採用したことになる。人数が多くてかつ優秀だったからしようがない。国費とフルブライト留学生の書類作成で追われる。
  • 9/8 スリランカから劇作家の訪問。三才学林であることを忘れ、すこし遅れる。
  • 9/3-5 日本宗教学会が天理大学で開かれる。天理に行くのは久しぶり。学部時代に実家に帰省中になんどか図書館に行ったことを想い出す。当時(20年ほど前)にくらべると道路や大學の建物などがずっと近代的になった感じがするが、やはり規模は同じくらいか。3日が国際シンポ、このシンポの外国人参加者にからんで特別部会が翌日組まれていた。4日は懇親会で、川村先生、関先生、中村先生などとすこし話をする。民族学会と比べるとやはり長老パワーがすごい。その分、若者に覇気がない。わたしなどは、この学会にそれほどコミットしているわけではないが、まだまだ下の方。5日は楠先生と当時の天理関係者の学生を中心に宴会。4日は人事委員会で遅れる。宗教学会で元気のいい若者はどんなところに関心を持っているのでしょうね。一年に一回の学会以外の研究会などをこまめに開く必要があると思います。
  • 9/1 試験問題の作成。今年の前期試験受講者は大学院全体でも最多となっていた。全体では受験者数は去年と変わらず。しかし、改組のため定員が増えたので合格率はかなり減っている。
  • 8/30 阪上先生リターンズと名乗ってこの春に退官された阪上先生を中心に福祉国家以後をめぐる研究会というか飲み会に参加。保険というのは、いつかおれも・・・という平等主義(危機の機会均等と言うべきか)に基づき、これと国民国家との関係などが新鮮でおもしろかった。よく指摘されることだが、それ以前は共同体、ということになる。家族は微妙な位置づけ。旧阪上班の若い連中と浅田彰・市田良彦氏が加わり議論は当然ながらスリリングでした。飲み会は担当大臣の斉藤光氏にいつものことながらお世話になる。
  • 8/27 無理な姿勢から重いものを引っ張ろうとしてそのままぎっくり腰。夜に近くの整骨院に行く。数日間通う。腰は『ホモ・ヒエラルキクス』の訳をしていたとき痛めて以来。
  • 8/24 ゲイパレードは中止で、新宿二丁目のレインボウ・フェスティバルのみある模様。砂川氏の報告集を読んでいたところだったので本当に残念。
  • 8/23 前々から気になっていたPaul Verhoeven, Rene Girard and the Femme (Fa)tale.という論文を読むが、Verhoevenがオランダで撮影した第四の男には触れていない。こちらの方が論文のテーマにぴったりのキリスト教とfemme fataleが露骨に出てくるのだが。思い立ってネットでAbel FerraraAngel of Vengeanceなども探してみる。
  • 8/17 九州大学より内と外についての院生たちの論文集(共生社会学論叢1)がとどく。こういうものを出せるのは九大の底力か?個人的には、西村氏の論稿と理論的な関心からバザールを取りあげた深田氏の論稿が気になる。Frank S Fanselow (1990). The bazaar economy or how bizarre is the bazaar really? Man. 25 pp 250-65を想い出す。大阪大学の科研報告書などにも感じることだが、院生にとってなにが一番良いのか?同じく大量の院生を抱えている身としては、学会誌などの他流試合を勧めるべきか、報告書などの護衛船に乗せるべきか迷うところです。いまのところわたしは前者を薦めています。
  • 8/16 客員のサビーネさんが帰国のため、川村先生、小牧さん夫婦を誘っていもぼうへ。ちょうど大文字の火で京都の町は人が多い。キエフは満員だったし、これからフルコースのロシア料理も食べる気はなかったが、大文字の火をちゃっかりみせてもらう。そのあと某所へ。ここも中年パワー爆発という感じで、女性たちが数名しゃべくりまくっていた。おばあさんは4年前になくなったとのこと。『グロテスク』、岡崎京子『ヘルター・スケルター』など読み終える。これに安野モモヨの『脂肪という名の服を着て』などを加えると、美と醜あるいは加齢の問題が前面に出てくるが、これに階級とかが絡む。ちなみにこれは偶然だが、ちくまの連載(とはかなりかけはなれていますが)予定の『癒しとイヤラシの文化人類学』の表紙に『ヘルター・スケルター』の一こまが決定だそうです。
  • 8/15 民博のN先生と高槻で会う。4月になんどかドタキャンしていて恐縮。久しぶりの幸もうるさくて落ち着かず。杉本良男氏の「儀礼の受難」(『民博研究報告』)を読む。ポストコロニアルな論文というよりは時代劇?大河ドラマ?風仕立ての趣向が楽しめる。副題に奇談とついているゆえんか?
  • 8/12 眼鏡を購入。レンズも購入するのは10年ぶり、あるいはそれ以上?枠は何度も変えたが、そのたびにレンズを削っていった。これがついに割れたので今日の購入と相成りました。このときもフレームが壊れて、レンズがはずれやすくなっていた。そしてはずれたレンズを手で押しつぶして割ってしまった。よほど疲弊していた(か私が重かったか)にちがいない。
  • 8/11池上先生から日本宗教史の書物をいただく。山折先生の『日本人の霊婚観』を思い出す。インドの罪をめぐる小谷先生の論文とか、古くはインドやギリシャの供犠の「文明化」をめぐる議論と平行する変化があるのではないか。そして、キリスト教、バクティ、鎌倉仏教?
  • 8月前半はおやすみ。妻と次男は実家に。台風。予定していたインドの博論2本は読めず。どちらもおもしろそうなタイトルなのですが、ごめんなさい。これはインドではどこもそうなのか知りませんが、外国人査読者を一人入れるというコロニアルな制度が問題なのでしょう。昔はできるだけ引き受けてきましたが、いまは一つか二つの大學に限っています。
  • 7/29 正義シンポの打ち合わせ。わたしは野暮用で遅れるが、方向はかなりまとまったのではないか。
  • 7/28『ジェンダーで学ぶ文化人類学』のゲラ校正も第一段階は終了。編集担当のN氏と久しぶりに歓談。この企画とミクロの企画はなんとか先が見えてきました。
  • 7月の報告と審査が終わって、一息つく。進化論や立川教授還暦論文集の校正を済ませる。ドイツの研究所が組織した暴力をめぐる倫理についての論文や資源人類学の「宿題」もなんとか終わらせる。
  • 7/22 南アジア博論ゼミの打ち上げコンパ、piece cafeにて。
  • 7/21 リーダーシップ経費を申請。課題は現代社会のポルノスケープを考える、合衆国の研究者との交流を承認される。ポルノスケープとおおいに関係するゲイル・ルービンをめぐって原稿を書き始めるがなかなか進まず。バトラーとルービンの対談も訳されていることが分かる。しかし、どういうわけか、訳者の解説で同性愛については言及されているが、SMまでは論じられていない。これも一種の自己規制だろうか。それとも日本特有のポルノスケープをあらわしている?
  • 7/19 AA研にて報告、降りる駅を間違えるがなんとか間に合う。最終的な論点はもっと沖縄のリアリティに近い研究をすべき、ということになるのか。御嶽からガマへというのが、基本的な主張だったと言えるのかもしれません。準備不足もあって疲労困憊のまま近くのホテルへ。なかなか快適。
  • 7月は二つの報告に、会議でのコメント、さらに某助成財団の申請書の審査がはいり、異常な忙しさに見舞われる。審査対象は社会科学一般で500を越える。一人の人間の能力も越えた。慢性睡眠不足。GIVE UP!とはいえ、こうした審査から学ぶべきことは多い。評価の基準とはなにか、を考えるのに最適な経験であるだけでなく、どんな申請書がアピールするのか、そしてどんなテーマを(とくに若い人は)追いかけているのか、もよくわかる。
  • 7/16 複数の論文査読も続いているが、これに加えて論文指導も続く。なにが問題なのか。自分の言いたいことをそぎ落としてそぎ落としてストレートに言えるものだけを書いてみるように指摘するがそれもできない。それは結局何を言いたいのか分からないからとも言えるし、(学術的な)雑念が多すぎて混乱している。大村論文について述べたように、概念の過剰は一見よく勉強しているから水準をクリアしているというふうにとらえられがちだが、そうではなく、その概念に縛られてしまっておもしろくなくしてしまっている。そういうスタイルの学問もあるのかもしれないが、京都の文化人類学はお勉強論文を求めていない。そのあたりの転換を理解してもらうのがことのほか困難。
  • 7/15 兵庫県の自衛隊駐屯地で記念館をみせてもらう。立派。皇軍と自衛隊との関係とか、自衛隊にとってのボランティアとかどのように展示されているのかがよく分かる。秘宝館から自衛隊の記念館まで、博物館というのは日本中いたるところにあって、自己主張しているみたいだけど、秘宝館が主張しているのはなんだろうか。
  • 7/11-13 南アジア研究集会、修士に入ったころに一度参加、当時は戸隠でやりました。当時は人類学などマイナーすぎて、関係ない、という感じだったが、いまはそうでもない。その後、上諏訪にて3回ほど出席。上諏訪は暑いし、会場も狭くて好きではなかった。泊まったことはなかったかもしれない。一度報告。今日は二回目。準備不足で、他の人の報告を聞いたり、散策する暇なし。行きは近藤氏と同じバス。帰りはどしゃぶりの中、田辺明生氏運転の自動車で帰る。報告の方はなんとか終わりました。このいきおいでなんとか論文も仕上げたいところ。
  • 7/10ロンドン大の日本人院生と会う、進路について。当日は会議日で長く話ができなかったのが残念。
  • 7/5-6大阪大学の『年報人間科学』に掲載されているセクシュアリティや社会学関係の論文を集中的に読む。理論的なものを除くと、やはり自分がなにをやっているのかという位置づけに欠けている。
  • 7/4 同志社でのシンポ。テーマはキティあり、寿司あり、野球ありと楽しいが、どう理論化するのか。楽しみだけが残るのも気になった。懇親会はよかった。
  • 7/2 中生さんと久しぶりに会う。ワシントンDCの国立公文書館について質問に答える。2年前の9月11日以後数日間ワシントンDCにスタックしたときに、あいた時間を利用して通ったことを想い出す。
  • 6/28 第一回のアジアの軍隊研究会。顔見せとこれからの調査日程の確認。まずは幸先の良いスタートとなりました。
  • 6/27 南アジア研究の編集会議。昨年よりはスムーズだが、スケジュールからはかなり遅れている。歴史学はなにを明らかにしたいのか、仮説を立ててかからないと膨大な資料に埋まるだけ、というW氏のことばが心に残る。合同の博論ゼミ、どちらもテーマはおもしろいが、完成までもうすこし時間がかかる?
  • 6/22-23 大村論文(「「伝統的な生態学的知識」という名の神話を越えて」『民博研究報告』)を読む、レイブを援用していてずっと気になっていたが、くどい。問題意識も議論の展開もしっかりしているが、くどい。繰り返しが多すぎる。オレたち読者はこんなにバカなのか、と思わせるほどこのくどさはパフォーマティヴな力を持っている。さて問題は、3点。まずレイブの議論の背景に、類似の社会変化論がすでにあること。そしてそれらの問題点が十分に把握されていない。つぎに、レイブ、そして大村氏が前提としている個人は、個人主義的な個人とあまり変わらないこと、したがって、それと社会を対立させたうえで、いかに結びつけるか、というあいも変わらない過ちを繰りかえし演じていること。最後に、ある事例(ここでは伝統的な生態的知識)をある概念(レイブ)で理解しようとするスタンスはどうしても調和的にならざるを得ない、ということに大村氏は十分気づいていない。われわれがしなければならないのは、ある事例でもってある概念を批判、修正していくこと。そのあたりの自覚に欠けているため、お勉強論文になってしまっている。
  • 6/20
  • 6/13 某米誌に投稿された論文の査読。ディアスポラ集団を扱ったもの。辛口の評価を返す。同時に某邦文誌に投稿された論文にも辛口評価をつける。ほぼ毎日のように送られてくる講義のレポートと学術論文。この差は大きいようで小さい?しかも某学術誌?のようにどうみても査読が機能していないものまででている。
  • 6/7 近畿地区民族学懇話会 まずはM1を中心とする院生に感謝。おかげでうまく行きました。さて、メディアと人類学、テレビ好きの私には頭の痛い話ばかり。前日のレジュメを読んで鈴木氏の報告に期待したのですが、あまりよくなかった。なぜよくなかったのか、シンポのあいだ考えていましたが自分で答えを出せなかった。それ以外は、質疑を含めて表象の政治学と技術の素人化(世俗化)という問題 の2点に大きくまとめられると思う。表象については、大学関係者が真実に一番近く、つぎにマスコミ(真実に気づいていてもさまざまな理由から、意図的あるいは無 意識にこの追求を断念している)、最後に視聴者(テレビに報道されているものがほぼ真実だと思っている、と前2者から思われている人々)、技術についてはマスコミ が最先端で、つぎに大学関係者(金と時間があれば・・・と言い訳が最初に来る人たち)、最後に撮影対象となる、表象されている人々(もちろん例外もあり)。こういうふたつのヒエラルキーが前提とされて議論がなされていた。朝から一日中(寝ている間も)テレビをつけっぱなしにして、独り言を言いながらテレビを見ている(聞いている)、仕事もテレビのある居間でやっているわたしのような人間は救われない。だけどホントに救いを求めているのか、とすぐに自問。テレビ人間に救いは要らない。ということ?懇親会も盛り上がる。
  • 6月、京大と同志社の二校でレポートを隔週で書いてもらうような講義をしている。メールとレポート用紙の両方で受付を認めているが、結局メールにはかなりきちんと した返事をするのに、レポート用紙の方は読んでも返す気がなくなっていることに気づく。後者の良いところは書き込めること。誤字脱字を訂正できること。まあ前者で もできなくはないが、めんどう。このところ大学院受験の問い合わせが多い。
  • 5/30 京都人類学研究会にて、人文研客員教授のサビーネさんに自衛隊の男性性につ いて報告してもらう。部屋のせいか、やや散漫な配置だったが、懇親会は狭苦しくか えって盛り上がる。上杉さんも東京から。自衛京都人類学研究会隊、皇軍との関係と か災害救助とか、考えてみるとおもしろいことも多い。実は10年前にもサビーネさ んは京都人類学研究会(当時は近衛ロンドと呼ばれていましたが、もう最後の最後の ころでした)に出席したことがあります。そのころは人文研の研修員で、日本へのセ クソロジーの導入をめぐる研究をしていました。これについては今年カリフォルニア大学出版会より本が出ました。
  • 5/24-25 京都文教大にて民族学会、スムーズに文化人類学へと名称変更、とくに思いもないが、ミンケンが消えるのは寂しい。ジェンダー関係、死の資源、ホームレスなどを聞く。データがおもしろいのに、硬直した図式でそれを台無しにしている報告がいくつかあったのが残念。また論理的な飛躍も気になる。思いこみや、理論的な枠組みから型にはまったまとめで満足していないか。とくにジェンダー関係はまだまだ。京大からは、縄田、松村、宮西、岩谷、川村の5名とさびしい。
  • 5/21 横須賀で世話になった人たちと昼食、チョコレートとカップをいただく。
  • 5/14 飛田、あいかわらず。セルフサービス式おもちゃやさんは終わったのか。
  • 5/3 阪上先生を囲む会、御車会館の向にて。楽しく、政治談義と世界情勢分析。男ばかり、男にしか思想はできない、ということだそうだ。
  • 4/24 久しぶりに渡辺先生と仕事。ホモ・ヒエラルキクスの日々を思い出す。
  • 4/17 新しくなった日仏会館で映画。質問は活発だったが、映像の方はどうか?
  • 4/7 鴨川出雲路橋川辺で花見、3人とちとさびしいが盛り上がる。寒くなってきたの で近所のフリースペース?へ移動。
  • 4/6 朝から金山神社のお祭りへ。真っ赤なブレザーを着た田嶋陽子さん登場。一昨年 は日を間違えてもう終わっていたし、昨年は行けず。4年ぶりか。宮司さんが亡くな っているのを初めて知った。桜が満開できれい、天気も良し。最高の祭りびよりだが 気分はもうひとつさえない。バンドがハワイアンのせいか?
  • 4/3 朝から会議、はじめての(臨時)企画委員会。午後からは大学院の講座会議、文 化人類学分野の会議。その前後に院生たちとのアポをこなし、くたくたになって帰る。
  • 3/31 日テレから従軍牧師についての電話取材。写真などを送る。
  • 3/28 今日は忙しい。朝京都に出て、それからみんぱく、図書室で論文指導をして、近畿地区関西民族学研究懇話会に出席、そして阪大のトランスナショナリティ研究セミナーへ。今日は総研大の同窓会か。
  • 3/27 久しぶりの松江。古代文化センターの定例会に出席。3年ぶりでしょうか。少し変わりました。こちらでの調査もすこしやる気が出てくる。
  • 3/20 イラク攻撃が開始。人文科学研究所阪上所長退職シンポ他者認識の思想史。わたしは未開からワイルド・サイドへというタイトルで報告。こちらもパワーポイントが最初うまくいかず焦るが、何とか持ちなおした。浅田氏の腕力でなんとか全体の見通しも つき、みなさんハッピーだったとはず。18時から京大会館でパーティ、それからなつかしい真理に繰り出す。来年は、井狩、佐々木、山本の3氏が退官、ひとりひとりの講演ではなくまたシンポを開いてほしい。イラク攻撃が始まる。合衆国以外のすべてがイラクになった日。
  • 3/19 民博 退官教授記念講演会に出席。30分早くつく。栗田、杉田、石毛3氏の講演会のあと、サンパレスでパーティ。福川さんもやめられるという。あと5年もすればわたしがお世話になっていた人たちも次々やめることになり、世代交代も進むでしょう。明日の報告のことを考えて早めに帰る。たくさんの人が来ていました。
  • 3/17 サンタ・バーバラからサビーネ・フリューシュトゥックさん到着。8月31日まで人文研の客員。一橋の田中正隆氏の報告。栗本氏も参加。おもしろかったが続きを聞きたいというのがみなさんの本音か。もう一度報告してくれるとのこと。木曜の発表に備えて二次会には出席せず。
  • 3/15日本民族学会近畿地区修士論文報告会、10時ころ予備のプロジェクターをもって会場へ。こちらも気になっていたが、20名の報告、100名以上の参加、運営も支障なく行われめでたし、めでたし。中山氏の運営力のおかげです。全体として実証的な研究が目立つ。文献だけというのはほとんどなかった。ただ、対象を決めて、それについてそれなりの考察をして、とそこまではいいが、その考察がどんな意味をもっているのか、いままでの研究のなかでどのように位置づけられるのかが分からないものが多すぎる。そちらの議論がないと論文とは言えない。質問ももっとしてほしい。李・池田両氏にも来てもらい、盛り上がる。
  • 3/14阪大トランスナショナリティ研究セミナーで話す。最初は焦ったがなんとかパワーポイントはうまくいく。米軍をあらたな対象として位置づける論理について批判が出るが、なんとかなるでしょう。
  • 3/13 一週間遅れで来年度の委員などの選出。
  • 3/12 警察から電話で財布が届いたという。12月2日の研究会のあとでなくした財布がタクシー会社から届けられていた。半年間保管してから警察にもっていくのだそうだ。50近いタクシー会社がある京都で、乗っていたタクシーの会社名を忘れていたらあきらめるしかないのでは?免許、カードの紛失、更新代と財布購入費が実質損。この財布は二回目の紛失。このときもタクシーから降りたとき落とした。
  • 3/11 人環研究科会議。これが今年度最後の研究科会議、アンカさんの学位評決は諾。人環あるいは総人として退官記念講演などをしないことに気づく。
  • 3/6(木)「開発の記憶」に出席する内山田さんらと昼食後すこし話をする。このころから阪大での報告のためパワーポイントを使い始める。スライドを使わずに写真を利用できるのが嬉しい。スキャナもほとんど使っていなかったが、使い道が増える。あとはアウトライン・プロセッサで文章を書くのと同じか。これはこれで制限があってきびしい。そして、アウトラインができると、文章を書く気がなくなってしまうのが難点。これだけだとなにをしゃべったのか、あとで分からないのではないか、すこし不安。やはり、詳しいレジュメを作る必要あり。
  • 2/24 朝日新聞から悪女についてのインタビューを受ける。前日に関連文献を購入してすこし勉強する。わたしにとってのファム・ファタールはあのVerhoeven『第4の男』1983の髪結いクリスチーナ。これは誘惑して殺す女(エヴァ)の典型であろう。実際、彼女から主人公をたすけるのがマリアである。もうひとつ、これも映画だがRuss Meyer(1966)Faster, Pussycat, Kill! Kill!の3女性も忘れられない。白黒だがのちのVixenなどよりずっといいできだ。 3月1日の夕刊に掲載。写真入り、漫画つきで文化欄というよりは家庭欄に近いという印象。そういえばこちらは小説だが『蘭の女』(Right to Silence)に出てくる無罪放免となった強姦犯を殺す女もイヴという名前だった。
  • 2/13-14(木・金)院試、そのまえに事務棟にて西井、木村両氏とCOEのヒアリングに出席する。 院試の合格率はこの数年間3割をすこし越えるところで変化なし。わたしは2名とって、秋の1名に加えて計3名。福井さん2名、山田さん1名の計5名。菅原さん冬は募集せず。これで一応、大学院に関わる今年度のおおきな仕事は終了。年末から合間をぬってカスタネダとスターホークについても書いてきたが(スターホークの本は河原町の公衆電話に置き忘れてしまう)、これはもうひとつ。いつかもういちど、カスタネダについて書くつもり。〆切が迫っているものを除くと、めずらしく自主的に書き始めたのがGayle Rubinとセクシュアリティの人類学について。E.NewtonMargaret Mead Made me GayButlerを読んでいてその気になる。1986年にロンドンから帰国するときに、大量にフェミニズム、セクシュアリティ関係の論文をコピーした。そのうちのひとつがたしかJ.BenjaminMaster and Slaveで、ここでレズビアンSMをめぐる論争を初めて知る。そして紆余曲折があって17年目にして、レズビアンSMと人類学がつながった。興味は広くかつ持続させるべきだという典型的な経験です。
  • 2/12(水)アンカさんの博士論文公聴会。人文研で行ったあと、歓送会をかねて百万遍のカフェ・ピースに集まる。彼女は小樽商大修士から京大の博士課程を受け、某広告代理店で一年間の見習いをし、無事国費の切れる3年間で博論提出。今年度は3名が学位を取得。福井研究室を含めると全体で5名。またドイツに留学していた山田氏が学位を取って帰国。来年度は3名出せそうだがどうなることやら。
  • 2/10COEの申請書〆切。その数日前まで休日出勤でいそがしい。
  • 2/5修論公聴会。こちらはパワーポイントを使ってみなそつなく報告。
  • 2/3 非公開の修論審査。7名のうち、提出したのは5名。しかもこの時点でひとり落ちる。最終的には翌々日の公聴会のあと、さらに2名進学不可、ということになる。7名のうち文化人類学講座に進学できたのは二人だけ。そのうちひとりもテーマを変えることが条件というきびしいものになった。
  • 2/1-2(土・日)資源人類学(貨幣班)の会合を箱根で開く。小馬氏編集『カネと人生』のレビュー、栗本、野本両氏の報告と盛りだくさんで、たのしく終了。
  • 1/20(月)修論〆切、今年はひとりということもあり、無事提出。
  • 1/16 京都人類学研究会で中村平氏。中生さんにコメントをお願いする。中生さんは相変わらずエナジェティックかつ教育的でした。
  • 1/8 シンガポールに一時帰国するツーさんらとサンシャインカフェで昼食。すこしおくれる。Tilak Abeysinghe、足立明氏らと。
  • 1/4-5年賀状の返事。返事はほとんどメールですませる。
  • 1/2 実家の実家に里帰り。イアン・バンクス『共鳴』を読む。題名のComplicityを共鳴と訳するのが適切なのか。かれの実質的なデビュー作『蜂工場』Wasp Factoryから気になる作家。わたしの博士論文の扉には蜂工場からの引用が付されている。
  • 1/1 謹賀新年。
  • 12/19文化研究創成フォーラムでインドの言語と科学をテーマに、井狩・矢野両氏の報告会あり。
  • 12/18-19合宿。むかし横山さんの社会の安定研究会で使っていた京都府立ゼミナールハウスに一泊。The Lived Bodyを三分の一ほど読む。季節的にはずれだったが、楽しくやれました。小屋の方ならもっとよかったのだが、高校生の受験合宿と重なって無理。
  • 12/17 南アジア関係の博論ゼミの打ち上げ。恋愛話で盛り上がる。
  • 12/14(土)京都人類学研究会季節例会、小田亮、村上隆則、藤本純子各氏 コメンテータに古川誠氏。学生たちもたくさん来てくれて成功に終わる。藤本、村上両氏ともにこれからの性研究を引っ張っていく研究者になることであろう。わたしも当日は性研究のプロパガンダに徹する。懇親会も盛況。gay queer論と日本の性人類学をどう接ぎ木するのか、がこれからの(やや後ろ向きの)課題。
  • 12/11博論ゼミ、アンカ・佐藤知久両氏。佐藤氏の草稿はよくできていたがヘンタイ度が足らない、と無理な注文をする。
  • 12/10(火)南アジア地域研究懇話会にて新任の横地優子さんの報告で、わたしがコメンテータ。十分に伝わっていなかったせいか、インド学研究者が不在だったのが寂しい。横地さんには、いまからおよそ10年前女神の研究会でお世話になった。
  • 12/8 進化論の原稿を脱稿。ブロックがほめていたモーガンの親族論を読む良い機会だったが、そこからなにか出てきたとは言いにくい。
  • 12/6 来年度富山大での集中を引き受ける。二回目。富山は小学生の3年から5年にかけて住んでいたこともありいつでも行きたい場所のひとつ。集中は制限もあって、年に一度がいいところだが、島根、富山、北大、東北、九大とつづいている。
  • 12/5 原さんを囲んで、福井、山田、菅原三氏と、久しぶりの食事。
  • 12/2-5(月ー木)秋に静岡大学に移られた原知章さんに集中講義をお願いした。3日は研究会でも報告してもらった。研究会のあとはコメンテータの冨山氏、足立氏らと歓談。
  • 12/2 JRでカーディガンを脱ぎ忘れ、数日後に問い合わせるも出てこず。夜は研究会の帰り、京都駅で財布を紛失。タクシーのなかか、駅か分からずじまい。気分悪し。
  • 11月はアンカさんの博論提出も控え、さらに投稿論文なども2点ありその指導で異常に忙しかった。半日かけて一章を読んで朱を入れて返す。これをすべてメールでおこなう。去年の夏頃からメールだけで学生の論文指導をしているが、コンピュータに長時間向き合っていなければならないのが難点。
  • 11/27(水)1300- 修論についての合同ゼミ、かなり良いものもあれば、どうしようもないものもあり。いろんな理由が考えられるが、1ヶ月、2ヶ月の短期調査では説得力のあるいいものは書けない、ということである。調査期間のせいだけにはしたくはないが、それだけ水準も高くなり、行ってきた、見てきただけでは、すまなくなっている。 文化人類学研究室では、M1の夏休みから調査地の選定に入り、最終的にはM2で調査をするという体制をとっているが(これ自体問題も多いが)、テーマやフィールドの変更などで、そうもいかないことがある。また、どの程度的確に関連文献を読みこなしているのか、ということも問題である。どうしようもないもののひとつは締め切り直前で取り下げた。自覚していたということでしょう。
  • 11/22(金)かつてけいはんなで行われていた時間のセミナーにもとづいて、エッセイ集を編もうという企画があり、京大地球環境学堂三才学林に執筆予定者が集まる。わたしはセックスの時間について書きたいが、あまり適切な事例を思い浮かばず。
  • 11/14-16(木ー土)「フォーラム 日本の植民地主義と東アジアの人類学」ソウル大 に出席予定であったが、家庭の事情で欠席。東アジアを専門とする研究者に会えることを期待していたのに残念。
  • 11/02 北白川のカトリック教会で某さんの結婚式。賛美歌。フランス料理を食べて、真如堂を通って大学へもどる。
  • 10/28 さらに接待。ひさしぶりに酔いつぶれる。
  • 10/26 COE国際会議「グローバル化と世界地域」に朝から出席するも少し遅刻。夜は接待。
  • 10/24文化創成研究フォーラム第一回、広いところで行ったので、少し淋しいが、まあまあの成功でしょう。このあと28日からの国際会議に出席しているHansenさんらと酒を飲む。こちらも楽しい。
  • 10/23 ゼミ、うまくいく、しかし・・・・最後のコメントというか感想が、out of ceontext、たとえ正しくてもあまり意味がない。意味のあるコメントをするには相手の土俵に立つしかない。そのためにはゾーンでの戦闘に徹する森山祐子(ゼイラム)を研究しよう。
  • 10/22 電話での出版打ち合わせの話、そのあとも出版社の人と昼食。
  • 10/21 久々の京都での講義。フェチ研の後、菅原さんの飲み会に闖入、そのまま居残り、二次会を経て、さらに某所へ。
  • 10/19 九州人類学研究会で報告。深夜帰宅。いい議論ができました。
  • 10/15-18 九州大学文学部に集中講義。飛行機と焼酎の日々。
  • 9/28-10/11 インドで調査。ひさしぶりにインド。チェンナイはすずしい。風邪をひく。6日からナワラートリ。シンガポールでstopover。医者にかかってから帰国。
  • 9/26-27 院入試が無事修了。5名進学。
  • 9/19 人種シンポ。東京からも関西からもたくさん人が来ていました。懇親会にみんな残っていたらミニ学会になっていたでしょう。テーマはIs race a universal idea?でしたが、Race, Racism, Accusation of being Racistの三つの次元でなにが普遍的なのか、ということを考える必要があるのではないか、またエスニシティの研究蓄積と人種をめぐる議論はどう結びつくのか、ethnicityはアイデンティティ(自己)にraceは人種差別(他者)により結びついている自己・他者についてのイディオムと言えるかもしれません。司会の席にいながら次のよう阿ことを思い出しました。いまから20年ほど前、インドにはじめていったときボンベイの最高級ホテル内にある散髪屋に行きました。きれいさっぱりすると散髪屋がなにか尋ねたそうです。単刀直入、わたしの頭髪がなぜすくないのか、と彼は聞いてきました(その頃からうすかった)。そう言われてもねー。返事に窮していると彼は一言Atomic Bombのせいか?これには私もことばがない。これは人種差別でしょうか。そうでもあり、そうでもない。たんなる無知?しかし同じ質問を欧米人にも聞いたかどうか。もし遠慮して聞かないなら確かに人種差別です。一方インド人はなんにも知らない、とんでもない馬鹿者だ、と笑いながら結論づけてしまうと、すでにわたしたちは人種差別の大いなる存在の鎖にはまりこんでしまってしまいます。このあたりが人種差別の奥の深さかもしれません。そのさきに、かつて英国の新聞で読んだ、英国人記者の日本滞在記が位置しています。かれは日本ではことごとく差別された。だから、日本人は人種主義者だと結論づけているからです。こうした言説こそ人種差別だということに彼は気づいていない。しかし、わたしたちが無知なインド人に抱いた気持ちはこの記事と通底しているのではないでしょうか。竹沢先生ご苦労さまでした。
  • 9/5 某所にて大学院の試験問題の作成。倍率は3倍強とあまり変わらないが、受験者数が減っているのは明らか。
  • 8/29-30 清滝ますやにて進化論と社会班の原稿打ち合わせ、行きはひどい雨。私の用意した原稿は不十分でしたが楽しい二日間でした。
  • 8/23 UCLAからの国費留学志願者と昼食、ゲイ・コミュニティに関係している人たちと語らう。
  • 8/8 やっと夏休み、ミクロ人類学の編集が終わる。
  • 8/1 学術振興会の招聘でシンガポールより視察。所長と応接室で会談。
  • 7/31 学術振興会の招きで来日中のバルセロナの人類学者Josep Martiさん夫妻と昼食、このあと大学博物館を案内する。特別展示は今西錦司の世界に続き、薬草の世界展。
  • 7/27 『南アジア研究』編集委員会、みんぱく地域研の棟ははじめて。旧棟とを結ぶ長くて細いわたり廊下が象徴的である。なんとか編集体制は持ち直せそう。
  • 7/26 京都人類学研究会の季節例会、わたしは石井さんの学位判定のため途中で退席。「記憶と記録」研究班との協賛、井野瀬久美恵・小山哲・上野成文氏ら懐かしい人たちに会い、盛況。学生も多かった。会場で酒を飲んだ後は談話室に移動する。人文研の助手をめぐって盛り上がる。報告者にはツーさんも。かれはちょうどブレーメンさんと入れ替わりに東南アジア研究センターの客員で年末まで滞在予定。さながら同窓会。
  • 7/23 竹沢さんの研究会、報告だが、わたしの勘違いで1時間ほど遅れてしまう。謝罪。
  • 7/16 民博特展ソウル・スタイル、佐藤氏に会う。最終日のせいか、盛況。それでもまだ少ないようだったが。
  • 7/11 部門会議を三才学林で行う。2度目。サンルームもあって、快適だが、こんなところで一人は淋しいだろう。
  • 7/10 台風が迫りつつある夜飛田でゼミの実習と打ち上げ。休みのところも多いが、そのせいか客は目立つ。
  • 7/5 九州大学の関・松田素二両氏を迎えての博士論文公聴会。
  • 6/11 けいはんなのATRで自動翻訳の話を聞きに行く。音声による翻訳が主ということがわかる。実用性から言えばそれも頷ける。けいはんなは久しぶり。コンビニなどができていてすこしプラザの周りも開発されていた。
  • 5/29 ブレーメンさんが滞在している修学院の国際交流会館に行く。思ったより駅に近くて、住みやすそう。
  • 5/23 京都人類学研究会、圓田さんによる援助交際についての報告。内容よりも、性風俗研究の政治性について考える。これまでに収集した風俗研究雑誌をまずはまとめてみることにする。盛況。久しぶりの水嶋さん。
  • 5/22 民博の竹沢・松田素二両氏を迎えての博士論文公聴会。そのあとコンパ。一般に長い補論はいらない、という某学生の意見に頷く。補論は治外法権といえるが、不要といえば不要。今日は朝から長い一日だった。
  • 4/26 日本民族学会会長に内定した大塚和夫さんを迎えて、今年度第一回の京都人類学研究会。100人以上の参加で盛況でした。お疲れかつお忙しいところ3次会、午前3時頃までつきあってもらう。わたしも5時頃に寝込んでしまう。参加者の財布が盗まれる。これが(最終的には6月なかばに解決したが)いやな事件の端緒。京都だけでない、研究会文化の功罪を考える。
  • 4/18 ゲートの3階でブレーメンさんの歓迎コンパ。2月にきてやや遅い観もあるが、新助手の歓迎も含めて。
  • 4/17  新入生向けの半期ポケットゼミを始める。テーマはモア・リポートだったが、直前にNHKの性調査報告書が出版されたのでこれをテキストにする。連絡の不備のためか1名は来ず、1名は一回でやめ、結局農学部の学生2名と文学部の学生1名の3名で報告書を読み始める。夜は新入生歓迎コンパ。水曜日は午前にゼミ、午後はポケゼミ、さらに非常勤とてんてこ舞いの忙しさ。
  • 4/8 同志社。ことしは半分くらいか。京大は夕方ガイダンス。
  • 3/9 恒例の関西地区人類学修士・博士論文報告会。午後から出る。数の上では京都が圧倒的に多いが、インパクトがあったのはその3分の1くらいか。司会の投げやりさを反省して、できるだけ質問をすることにする。
  • 2/26 やっとまとまった時間がとれる。バトラーの復習。
  • 2/5 公聴会。これもなんとか終わる。前後して、単著の索引作成、ゲラの校正が続く。バイク便にはお世話になりました。
  • 2/1修論の審査。今年は9名審査。さすがに疲れる。終わったのは8時、このあとライデン大学のブレーメンさんご夫妻や中生さんと会う。ブレーメンさんは7月末まで人文研の客員教授です。
  • 1/18 修士論文の〆切。論文指導と教育は別と、ふと思いつく。前者は徹底しているが、後者はどうでしょうか。とはいえ予定の提出者が全員提出で一安心。
  • 1/15-17 毎日のように修論の草稿をチェックしながら、独法化にむけての提案をまとめる。
  • 1/10 やっとアクセス数が3万件を突破。
  • 1/4 昨年から出席している人文研の新年会、M2の学生と会う。
  • 正月は実家の和歌山市へ。駅を出ると、青空が広がる相変わらずの地方都市です。駅から歩いて5分、近くにはラブホが4軒、ビジネス旅館が1軒、ビジネスホテルが1軒、昨年は大きな焼き肉屋ができました。学生時代から変わらない飲み屋もあれば、数年ごとに看板が変わる場所もあります。最近は銃弾の音も聞かれず平和なようです。初詣は日前宮へ。
  • 12月前半は単著のゲラのチェックで、後半は博論と修論2本をよみながら終わりつつあります。と書きましたが、年末にOUPからでるReligion in Everyday Lifeの項目のゲラが、また『植民地主義と人類学』2段組でおよそ500頁のゲラがとどきました。
  • 12/22 AA研の研究会に出席。速水氏の報告を聞きながらフロンティアとバウンダリーとの違いについていちゃもんをつける。またA.H.氏の報告でのボーダーランドという言葉を聞きながら、もうすぐ帰ってくるキティホークやそれを迎える基地について思いをはせる。これらも日本国の内なるボーダーランドといえるのではないか。そうすると・・・・。
  • 12/7 『暴力の進化史』シンポに出席する。自然人類学には進化という大きなストーリーがあり、文化人類学には多様性というちいさなストーリーがある、と理解していたのだが、ゴリラやチンパンジー、ボノボの暴力は、環境や人口圧との関係で理解、説明しようとしていたことに、ややおどろく。ぜひ相違を進化との関係で説明して欲しかった。
  • 12/5 合同(修論)ゼミつづき、論文の体裁をとるには、比較や変化を大きな枠組みにすればいい。反対に論文を本当に書くために苦しみたいなら、比較や変化を論じることのできないようなデータをあえて取るべき、ということになるのか。帰宅すると、飼っている巨大金魚(およそ15センチ)4尾のうちの一尾が背泳ぎ状態になっている。あわててきれいな水に入れ、翌日水槽の水をきれいにする。なんとか生き延びたようだ。
  • 11/29  博論ゼミ、民族誌として価値のある博論を書きたいという学生の主張に強い違和感を覚える。博論は民族誌ではないし、討論にでてきた『ヌエル』3部作も民族誌とは言えない。調査の目的を民族誌を書くことと設定するのは健全だし(方法論的民族誌記述)、それを人生の目的とするのも勝手だが、博論ではして欲しくない。博論は大部でも論文であって、書物ではない。博論は自分の持っているデータの3分の一で書くことが目安。そこまで絞り込んでこそ、論文を書くことの喜びと苦しみを味わえるのではないだろうか。評価する側から言うと「民族誌としてすばらしい」というほめ言葉はこちらの最大譲歩の言葉だと思って欲しい。
  • 11/28  合同ゼミ、つつがなく?おわる。博論の場合にも言えるが、一方で事例報告にとどまる発表があり、他方で宗教や土地所有の変遷など記述が一般化して、文化的特質への視点が弱い報告がある。文化的特質を無視することなく、いかに学術的言語で語るのか、あるいは語れないことを指摘して、学術言語の限界を鋭くつくのか、このあたりの葛藤が見えてこない。
  • 11/20 朝歯医者。夜は韓国のミュージカル『地下鉄一号線』を観る。寺山や唐、黒テントに慣れ親しんでいる日本人にはもう一つ楽しめず。言葉の問題もあるからきびしいことは差し控えたいが。
  • 11/19 昼食に院生二名と学部生二名で隣のル・フジタへ。重宝していたのに今年いっぱいでル・フジタが店を閉めるという。ショックである。
  • 11/18 しし座流星群をみる。
  • 11/10 久しぶりに田辺、今村両氏に研究会でお会いする。二月経って、やっと安定か?アフガン空爆はまだ続いている。
  • 11/8 白牛会ボーリング大会、北垣氏と守屋さんと組み、団体2位ながら賞品なし。わたしは2ゲームとも100は越えるものの、腰が痛み始め、コントロールが定まらず。その後は串カツ。京都新聞朝刊にテロ事件についてのわたしの文章が載る。書くことの重要さを痛感する。
  • 10/31 ゼミでthe Body in Painを読み始める。これも再生の儀式の一つ。
  • 10/24 朝日新聞朝刊で秘宝館が取りあげられる。
  • 10/11 テロから一ヶ月、やっと暴力的な現実を直視できるようになった?つぎは再生か?
  • 10/9 防衛庁訪問。厳戒態勢にもかかわらず明るい受付嬢たち。
  • 10/6-7 南アジア学会、常務理事会、理事会、総会をこなす。
  • 10/4 二つの新聞社から取材・原稿依頼。前者は秘宝館の話し、後者は暴力の特集。都築氏や『あかまつ』との同時代性を思う。
  • 10/1 講義がはじまる。
  • 9/27-28 大学院入試。朝は所長選挙。ことしは大学院の講座主任であると同時に、選挙監理委員だったこともあり、朝はてんやわんやでした。所長は3回の選挙で阪上孝氏に決まる。入試の方、倍率は下がっています。
  • 8/31- 15日間の予定で合衆国へ。滞在地はサンフランシスコ、サンディエゴ、インディアナポリス、そしてワシントンD.C.9月11日のテロ当日はワシントンD.C.に滞在中。おかげで帰国の飛行機がキャンセルとなり帰国は20日になる。アメリカは初めてだったが、テロ事件以後の一週間はいろいろと考えさせられる日々でした。文明という言葉が何度も出てきたこと、すぐに子供たちへの影響は?ということからカウンセラーがテレビに出ていたこと。追悼集会が、超宗教的とはいえ、ワシントンの大聖堂で行われたこと。日本とのズレを感じました。帰国後も落ちつかず。(テロ事件とその後の空爆は意識しないところで気持ちのありかたに作用していたように思います。回復に二月はかかりました)
  • 8/29 これまた久しぶりに日文研へ。
  • 8/21 台風の中文部科学省サマープログラムで来日中のCA氏夫妻とみんぱくへ。久しぶりにじっくり見てきました。
  • 8/8  三宮にて大越さんの科研の初会合に出席。懇親会の途中で退席。
  • 7/25 昼はK社の方と昼食。午後は博論ゼミの後ビール。さらにゼミ打ち上げのコンパに出席。これでわたしも夏休み。
  • 7/19 独法化対策検討集会。外部から人を招き話を聞く。
  • 7/14 東京外大AA研研究会に出席。もう一つのれない。
  • 7/13 京都人類学研究会季節例会に出席。少し関係のあるようなないような。
  • 7/10 博論審査。会食の席で久しぶりに昔の話に花が咲く。
  • 7/7 今日は研究会がいろいろと重なっている。わたしは東大文化人類学研究室へ。行きには京都駅でY先生と、帰りはA先生と一緒。
  • 7/6 博論審査。その後主任会議と忙しい。
  • 7/3 もと基地報道官のA氏と会食。
  • 7/2 秘宝の館について報告。
  • 6/25 外川、小牧両氏と昼食。南アジアの政教分離をめぐって。
  • 6/17 ロイヤルでSさんの結婚式、ひさしぶりの結婚式出席。
  • 6/16-17 慶應大「宗教と社会」学会。司会と懇親会。
  • 6/15 アショカで南インド料理。ラッサムで恍惚気分。
  • 6/9 竹沢泰子さん代表の科研、第一回会合。
  • 6/5 みんぱくで「大正昭和くらしの博物誌」見学。人を中心にした展示が新鮮。文化庁主宰の海外の宗教事情についての調査、準備集会に出席、
  • 6/2-3 再び沖縄へ。嘉手納の舞踏会に出席。座間に比べると人は多かった。
  • 5/28-31 東北大学教育学部で集中講義。昼間は講義、昼食と夕食では旧交を深め、夜は索引チェックの4日間でした。
  • 5/27 トヨタ財団助成プロジェクトの研究会。
  • 5/25 杉島先生の歓迎会。丸太町の中華料理屋で。わたしは子連れで参加。
  • 5/23 ゼミは川端牧さんの報告。昼食は客員教授のM.Henaffさんと開きをたべる。濱下先生に会う。
  • 5月19-20神戸大学で民族学会。初日の午後に報告する。ところが最寄りの駅にビデオを忘れてきて慌てる。事務の方のおかげでなんとか無事にすましました。このころは翻訳のせいでなかなか時間がとれず、この日も懇親会、委員会に出席するだけ、というありさまで、ほかの人の報告はまったく聞きませんでした。視力も落ちるし、ゲラと英仏の原著、引用宇文献などを常時持ち歩いていて腰を痛めてしまいました。
  • 5/17 Tsu氏をはじめシンガポールからの研究者と。
  • 5/6-10 久しぶりの沖縄です。昨年度の調査の補充。
  • 4/19 京都人類学研究会。講師は松田素二氏。おかげさまで満員御礼。
  • 4/11 入学式。講座主任として挨拶。
  • 4/9 今日から本格的に講義が始まりました。
  • 3/19 愛知学院のフィッツジェラルド氏のお別れ会。かれも10年以上日本にいたことになります。
  • 3/16 野村雅一氏主催の第二回『顔フォーラム』に参加。講師は資生堂ビューティークリエーション研究所の加藤緑子氏。日本の化粧史を手際よく整理してくれました。
  • 3/12 ミクロ人類学の最終日。常連が少なかったが、懇親会では盛り上がりました。ご苦労様。あとは論文集の公刊です。
  • 3/10 修論発表会。こちらは懇親会のみ参加。二次会までつきあって帰る。
  • 3/9宝塚大劇場。陰生3名と。
  • 3/3-4女神の会 ベルギー人も一緒に加太の淡島神社に参拝。そのあとは世界の温泉と寺島修司論で盛り上がるも、昔のような元気はなく、モノ足らない。むしろ翌朝の人の群に驚く。
  • 2月後半の研究会は人が集まらない。少し反省。
  • このころからずっとデュモンの訳の校正に手こずる。
  • 2/17 仙台にオープンしたばかりのメディアテークへ。20年?ぶりにSさんと会う。
  • 2/06 博士後期課程編入試験。明日は一休み。
  • 2/03 大阪国際交流センターでスリランカの民族問題について講義。5回連続の2回目で、私以外は皆民博地域研究企画センターのメンバーです。
  • 2/01 公聴会。プレゼンもうまくいきました。
  • 1/31 めなみでLSE関係者4名としばし語らう。
  • 1/30 口頭試問無事終了。
  • 1/29 文化庁のとなりにある霞山ビルで第一回『海外宗教事情調査 アジア編』に出席。
  • 1/26 京都に移ってからの最初の南アジア理事会が人文研で行われました。
  • 1/24 合同ゼミでリハーサル。鋭い質問もありました。
  • 1/19 修士論文締切り。わたしも走らされました。
  • 1/13 西井さんの研究会。高木氏の報告。
  • 1/04 新年会はじめての出席。
  • 2001/01/01 お正月明けましておめでとうございます。

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