8/23 前々から気になっていたPaul Verhoeven, Rene Girard and the Femme (Fa)tale.という論文を読むが、Verhoevenがオランダで撮影した第四の男には触れていない。こちらの方が論文のテーマにぴったりのキリスト教とfemme fataleが露骨に出てくるのだが。思い立ってネットでAbel
FerraraのAngel of Vengeanceなども探してみる。
8/17 九州大学より内と外についての院生たちの論文集(共生社会学論叢1)がとどく。こういうものを出せるのは九大の底力か?個人的には、西村氏の論稿と理論的な関心からバザールを取りあげた深田氏の論稿が気になる。Frank S Fanselow (1990). The bazaar economy or how bizarre is
the bazaar really? Man.
25 pp 250-65を想い出す。大阪大学の科研報告書などにも感じることだが、院生にとってなにが一番良いのか?同じく大量の院生を抱えている身としては、学会誌などの他流試合を勧めるべきか、報告書などの護衛船に乗せるべきか迷うところです。いまのところわたしは前者を薦めています。
2/24 朝日新聞から悪女についてのインタビューを受ける。前日に関連文献を購入してすこし勉強する。わたしにとってのファム・ファタールはあのVerhoeven『第4の男』1983の髪結いクリスチーナ。これは誘惑して殺す女(エヴァ)の典型であろう。実際、彼女から主人公をたすけるのがマリアである。もうひとつ、これも映画だがRuss Meyer(1966)のFaster,
Pussycat, Kill! Kill!の3女性も忘れられない。白黒だがのちのVixenなどよりずっといいできだ。
3月1日の夕刊に掲載。写真入り、漫画つきで文化欄というよりは家庭欄に近いという印象。そういえばこちらは小説だが『蘭の女』(Right to Silence)に出てくる無罪放免となった強姦犯を殺す女もイヴという名前だった。
2/13-14(木・金)院試、そのまえに事務棟にて西井、木村両氏とCOEのヒアリングに出席する。 院試の合格率はこの数年間3割をすこし越えるところで変化なし。わたしは2名とって、秋の1名に加えて計3名。福井さん2名、山田さん1名の計5名。菅原さん冬は募集せず。これで一応、大学院に関わる今年度のおおきな仕事は終了。年末から合間をぬってカスタネダとスターホークについても書いてきたが(スターホークの本は河原町の公衆電話に置き忘れてしまう)、これはもうひとつ。いつかもういちど、カスタネダについて書くつもり。〆切が迫っているものを除くと、めずらしく自主的に書き始めたのがGayle Rubinとセクシュアリティの人類学について。E.NewtonのMargaret Mead Made me GayやButlerを読んでいてその気になる。1986年にロンドンから帰国するときに、大量にフェミニズム、セクシュアリティ関係の論文をコピーした。そのうちのひとつがたしかJ.BenjaminのMaster and Slaveで、ここでレズビアンSMをめぐる論争を初めて知る。そして紆余曲折があって17年目にして、レズビアンSMと人類学がつながった。興味は広くかつ持続させるべきだという典型的な経験です。
9/19 人種シンポ。東京からも関西からもたくさん人が来ていました。懇親会にみんな残っていたらミニ学会になっていたでしょう。テーマはIs race a universal idea?でしたが、Race,
Racism, Accusation of being Racistの三つの次元でなにが普遍的なのか、ということを考える必要があるのではないか、またエスニシティの研究蓄積と人種をめぐる議論はどう結びつくのか、ethnicityはアイデンティティ(自己)にraceは人種差別(他者)により結びついている自己・他者についてのイディオムと言えるかもしれません。司会の席にいながら次のよう阿ことを思い出しました。いまから20年ほど前、インドにはじめていったときボンベイの最高級ホテル内にある散髪屋に行きました。きれいさっぱりすると散髪屋がなにか尋ねたそうです。単刀直入、わたしの頭髪がなぜすくないのか、と彼は聞いてきました(その頃からうすかった)。そう言われてもねー。返事に窮していると彼は一言Atomic Bombのせいか?これには私もことばがない。これは人種差別でしょうか。そうでもあり、そうでもない。たんなる無知?しかし同じ質問を欧米人にも聞いたかどうか。もし遠慮して聞かないなら確かに人種差別です。一方インド人はなんにも知らない、とんでもない馬鹿者だ、と笑いながら結論づけてしまうと、すでにわたしたちは人種差別の大いなる存在の鎖にはまりこんでしまってしまいます。このあたりが人種差別の奥の深さかもしれません。そのさきに、かつて英国の新聞で読んだ、英国人記者の日本滞在記が位置しています。かれは日本ではことごとく差別された。だから、日本人は人種主義者だと結論づけているからです。こうした言説こそ人種差別だということに彼は気づいていない。しかし、わたしたちが無知なインド人に抱いた気持ちはこの記事と通底しているのではないでしょうか。竹沢先生ご苦労さまでした。