- 12/16 京都人類学研究会季節例会。現代ファッションと人類学。テーマがよかったのか、報告者の名前のせいか、大教室が満員という盛況ぶり。三宅一生事務所の皆川魔鬼子さんがもってきたシャツの価格に驚く。サンドイッチが大量に残ったのが残念。松田、窪田氏らとゲートへ。
- 12/13 ゼミで加太の淡島神社と飛田、鶴橋とまわる。難波で待ち合わせ。帰りは和歌山市駅の駅前でラーメン。新今宮の周りを歩いて鶴橋で焼き肉パーティ。竹沢先生と私。あとは院生が8名。淡島神社でパンツを購入。
- 12/11 ひさしぶりのジョン・ナイト氏。就職も決まり元気そうでなによりでした。
- 12/09 南アジア特定研究の国際会議に出席する。井狩先生と歩いて京大まで帰る。
- 12/07-08 コープイン京都で朝から夕方まで二日間南アジアの聖地についてのシンポ。参加者の皆様のおかげでいいシンポになりました。
- 12/06 ポルノ研で秘宝館の話。やっと先が見えてきたところ。秘宝館のデータベースも公開しなければ。
- 12/01 西井さんの研究会で報告、基本的には戦死者のゆくえの報告を一部にチャプレンの話を加える。
- 11/24 戦死者の行方研究会で報告。懇親会で盛り上がる。
- 11/19 インドの男性雑誌についての予備報告。相談コーナーをまとめる。おもしろいがどうすればいいのか?今日から実質3週間で5本報告という多忙な週に突入。
- 10/20 国際交流基金の会議室でアジア、とくにインドの映画の生産と受容をめぐるシンポ。英語と日本語がチャンポンとなってコミュニケーションが不十分だったのが残念。映画を文化表象をめぐる問題としてとらえる意義は十分高く評価できる。あと一年。
- 10/07-08 日本南アジア学会。井狩先生が会長になって事務局が人文研へ。わたしが『南アジア研究』編集代表となる。
- 9/28-29 前期大学院入試。
- 9/19 ひさしぶりの京都人類学研究会。ひさしぶりの山田富秋氏。エスノメソドロジーとフーコーとの接点を探るという視点はおおいに共感するところ。会話分析もこういう方向ならよく分かる。診察書、判決文、民族誌、そして小説という近代的エクリチュールについてすこし考える。
- 8/20『女神』の書評『宗教研究』『宗教と社会』に出る。どちらももうすこし視点や方法をまとめるべきである、と指摘。これは論文集が避けられない問題である。ということは分かっていても実際にはなかなか実現しにくい。編者の私としては女神というテーマにどう関わるか、をとくに一元化しないで指摘したかったが言い訳にすぎまい。後者は個々の論文には入っていないし紹介にとどまっているが、前者は個々の論文にも関与。ただし、いくつかの点で誤解がはなはだしい。まず、序論が全く無視されているが(代わりに評者の序論めいたものが長々とか書かれている)、序論を読めば分かるように、本研究はどちらかというと欧米の女神運動、女性と霊性運動を批判的に取り扱っている、ポスト女神運動を視座に入れているということを、評者はよく分かっていない。つぎに私の論文については理解しようともしていない。拙論は女神の初潮儀礼がテーマであって、女を女神と扱うシーンはその一部でしかない。後者だけからこれを女神崇拝とみなすのはおかしいという批判は、私の理解を超えている。この書評を読んでも私がいったい何を書いているのかさえ読者は分からないであろう。批判は受けるが、まず読者にも分かる(そして評者も内容が分かっていることを示す)要旨を加えるべきである。私の書評(たとえば『民博通信』89:27-36)を参考。ついでに言えば同じ理由で同誌に載った臼杵氏の『ファンダメンタリズム』の書評もひどい。これでは本の中身がわからん。
- 7/24 フロリダ大のL.Whiteさんと昼食、その後パーティ。
- 7/19 ゼミの打ち上げ、翌朝8時まで一応頑張りました。
- 7/13-16 沖縄。あいかわらず従軍牧師の調査。今回はアフリカ系アメリカ人女性の牧師など8名ほどに会うことができた。サミット直前ということもあって警官が目立つ。
- 7/12 阪大で「戦死者のゆくえ」プロジェクトに遅れて参加。山折先生、日文研、阪大日本学など和もの系の人たちと久しぶりに話をする。わたしは聞き逃したが、島倉千代子の57調の歌の世界とその伝統をぶちこわした55調の街頭演説、という図式が討議された。当日断片的にしか思い出さなかった島倉千代子の歌をあとで思い出す。「ここは難波(なんば)の高島屋、7色パンツも売ってます。島倉千代子もはいてます」(皆さん知っていますか)たしかに57調である。
- 7/8 京都人類学研究会季節例会、一体どうなることか、と思われた長い一日でした。医学系の人が多かったのが新鮮でした。
- 7/5 マクヴェイさんの登場。
- 7/3 フェチ研のあとの日仏会館。ちょんまげの話でもりあがる。今流行のちょんまげプレイって知ってました?
- 7/1-2 特定研究の全体集会。低次元の発表は、低次元の質問しか呼び起こさない。それにたいしてはまたきちんと(低次元で)答えなければ・・・と決意する人もいることだろう。ジェンダー班の悪循環(永劫回帰?)がこうしてはじまった。
- 6/26 ミクロ班で太田さんの登場。いつもはラフな人たちの「教えていただきたいのですが・・・」という質問に感動。
- 6/23 午前は山室班でツーさんと早瀬さんの報告を聞き、午後は進化論班で報告、直前にMorganのSystems
of Consanguinity and Affinity (1871)の原著が手に入る。このころドラヴィダ親族名称の「発見」もなされた。
- 6/20 京都人類学研究会。対象に対してクリティカルになれないことがapologeticに終始した最大の原因だろう。文化を捏造する政治集団を取り上げるとき、われわれが内省的に対峙しなければならないのは文化概念そのものであり、またそうした集団についてエスノグラフィーを書くとは、宣言者のマウスピースになることではなく、宣言の亀裂から漏れ聞こえる異端の<声>fragmented
voiceに耳を傾けることであろう。悪い冗談ではなく、本当にこの日わたしが聞きたかったのはかれらの<声>だった。
- 6/12 公聴会がやっと終わる。質疑を双方向にとどめないで、その場で思考を深めていくような、より有機的な討論にするには時間が足らない。
- 5/13 みんぱくでミューゼアム劇場の総括。15分ほどしゃべる。身体は表現するというテーマの守護をめぐって。ここに出演した人は、身体を通じてなにかを表現するためにトレーニングしたとするなら、オーガズムはそうした意志を裏切る思考の痙攣。
- 5/11 京都人類学研究会、今年から専任になった竹沢泰子さんの登場。アメリカの人種論・人種主義をめぐる報告。「男たちの中には女をカントと呼ぶ者がいるが、彼はスキンと呼んでいた」という一節を思い出す。
- 連休は岩国でインタビューと航空ショー(フレンドシップデイ)の調査。祭りの調査は数あれど、米軍、自衛隊がらみの祭りの調査はあまり聞きません。
- 4/29 「20世紀のエロス、オーガズム、身体を超える意志」と題して藤本由香里、同僚の大浦康介、院生の藤本純子各氏と、国立博物館はじまって以来の20歳おことわりのトークショーーみんぱくの地下特別室で行いました。満員でしたが、寒かったのが玉に瑕。またやりましょう。
- 4/27 京都人類学研究会。久しぶりの報告です。参加者は多かったですが、もうひとつ盛り上がりに欠けたのはわたしのせいでしょうか。
- 4/26 今年度はじめての文化人類学講座合同ゼミ。新入生歓迎コンパ。人数が多い分盛り上がりました。
- 4/3-5熊野死の国。
- 4/1みんぱくでギリヤーク尼崎氏の大道芸を干渉した後、藤本由香里さんと4月29日のトークの打ち合わせ、わたしでもなんとかついていけそうなテーマが見つかって一安心。タイトルは「オーガズム〜生を超える意志」に決定。
- 3/31事務員のお別れパーティに出席。ラテンの力に圧倒される。
- 3/27ゼミの追い出し、李さん、椿谷さんを中心に、一時帰国の山田君、ほかの研究室の院生などですき焼きパーティ、山を下りてからもビールでおそくまで盛り上がりました。
- 3/24京都人類学研究会総会、代表は菅原教授から松田助教授にバトンタッチ。学生代表も決まり、新体制で4月からスタートです。わたしも45歳となりました。
- 3/18関西民族学懇話会修士論文報告会。時間は短いし、テレビ局が入っていたりしてもりあがりはもうひとつでしたが、いろんな学生、研究者と話のできる数少ない機会になっています。
- 3/17みんぱくで田辺研究会に出席。
- 3/13島根県立古代文化研究センターの年次会議に出席。二年ぶり。
- 3/7特定研究のジェンダー班に出席。
- 2/29-3/1科研の締めになる国際シンポ。なんとか報告原稿も書き上げ、一部の人からは好評で一息つきました。最後の晩餐会に参加できなかったのはすこし残念。
- 2/26宇和島、加賀に続く西大津で恒例の女神の会、巨大なホテルで温泉と料理、酒を楽しむ。3名ほど欠席だったのは残念でした。次回はどこがいいでしょうか。
- 2/10アジア・アフリカ地域研究研究科の応地先生の退官講演会と懇親会。定年より一年早く滋賀県立大学に転出です。短い期間でしたがCOEでお世話になりました。
- 1月26日から2月11日までは修士論文の報告、口頭試問、公聴会、大学院試験の試験問題作成、博士課程編入試験、最後に修士課程試験、と続きます。
- 1月24日久しぶりのミクロ研、報告は2時から6時半まで、質問は7時半、懇親会、二次会と喋り続けて散会は4時半でした。
- 1月22・23日ジェンダーの研究会、はじめて懇親会で男性は私だけという状況に遭遇。
- クリスマス前後は不覚にも風邪を引いてしましました。
- 12月20日から22日まで民博で戦時中のアジア・太平洋地域の日本人類学をテーマに国際ワークショップが開かれました。私にとっては、これが4週間続いて出席した最後の国際会議になりました。George
Stocking Jr. という71歳の重鎮を迎えての会議でしたが、終始なごやかな雰囲気で議論は続きました。今年はあと、修論のドラフトを読むだけです。
- 12月10日から12日まで香港で開かれたワークショップJapan in HongKong/HongKong
in Japanに参加。私にとっては17年ぶりの香港。日本からも多数参加、風邪も峠を越し、初対面の若い人が多く、インフォーマルな雰囲気で楽しめました。テーマは日本と香港の交流をさまざまな次元で取り上げ、そこに生まれる両国の表象の生産、流通、消費の現場を明らかにする、というところでしょうか。繰り返し出てきた問いに、なぜ女性が香港にひかれるのか、なぜ香港なのか?がありました。軽そうで重いテーマです。
- 12月2日から4日間続いた京都大学アジア・アフリカ地域研究科主催のCOE国際シンポThe
State in India Past and Presentに参加。風邪引きの4日間休みなしはなかなかきびしい。N. Dirks,
Peter van der Veer, A Nandy, Kulkeと現代インド研究を代表する人々が参加していました。
- 11月27-28日広島アステルプラザで国際シンポに参加。夜は米軍の牧師たちと会食。S.
Wadley, Patricia Uberoi。
- 11月9日から二週間シンガポールとマレーシアに調査。ヒンドゥー寺院の実態について調べてきました。噂に聞いていたバトゥーケーヴにも行ってきました。冷房と雨季のせいで風邪を引く。
- 10月29-30日南アジア構造変動特定研究会(生活世界班とジェンダー班共同)に参加。
- 10月19日から21日まで民博で開催されたディアスポラについてのシンポに参加。A.Mani氏と再会。京都を案内する。
- 10月18日『植民地経験』の合評会で夜中まで盛り上がる。ゲストの方ご苦労さまでした。一寸法師の痴虫がおいしい。
- 10月15日ひさしぶりに民博。
- 10月2-3日仙台の南アジア学会に参加。数年前の日本民族学会以来の仙台。懇親会はおいしんぼにも紹介された勝山館。日曜日は午後からインドのマスキュリニティをテーマとするシンポの司会をする。参加者、報告者の皆さまご苦労さまでした。マノーハルのJain氏に会う。
- 10月1日助手の小牧さんが復帰。
- 9月は17日から始まった日本宗教学第58回学術大会に出席。暑い。米軍のチャプレンについての報告は最終日の最後と会って、時間には寛大でしたが聴衆がすくなく残念でした。
- 8月末から9月にかけて基地をめぐる。Intercultural marriage seminarの雰囲気に触れ、各種のミサを見学。印象に残ったのはゴスペル・サービスとカトリックの洗礼、制服姿の女性が運転するKanto
Expressに乗る。
- 8月、今年の夏休みは日本。久しぶりの夏の和歌山、また4年ぶりに盛岡へ。
- 7月17日南大阪へスタディーツアー。これで何回目だろうか?
- 7月13日京都人類学研究会 白石さや先生が海外のどらえもん他日本アニメの受け入れ動向を報告。海賊版という概念についてしばし考察。7月7日の王氏の講演とも重なるテーマです。国際日本アニメ学会もできそうです。
- 7月12日今日で前期講義は終了。へとへと。
- 7月9-10日人文研恒例の夏期講演会。テーマは『時をデザインする』ほぼ満席。
- 7月8日ゼミの打ち上げコンパ。文学部のM氏と学生3名も途中参加。鮹の痴虫をいただく。
- 7月7日王向華氏の講演。国際ポルノ学会設立への第一歩となるか?夜は一寸法師の痴虫。
- 7月5日はインド・アンダマン諸島の chief commissionerだったSir
Richard Templeの応用人類学大学を提唱する講演とアフリカのローズ・リヴィングストン研究所の所長報告について、「応用人類学の系譜」と題して報告。すこし先が見えてきたか?フィールドノートはコピーして一部を研究所に保管することになっていたそうだが、ターナーやグラックマンのフィールドノートが今でも閲覧できるのだろうか?夜はO氏と某所ではじめて女相撲の痴虫をいただいて感動。
- 7月3,4日は南アジア構造変動特定研究総会がありました。初日だけ出席。
- 6月26日特定研究の会合(みんぱく)と日本民族学会関西懇話会。前者はテーマがジェンダーのせいか男性は私だけ、後者は谷先生の報告。近くにいてもなかなか会えない人たちに会える。6月は結局週末がすべてつぶれるという異常事態でした。
- 6月23日ぎおん。予備調査。人文研という名前を聞いて、なつかしおます、という言葉にはるかよき時代にのり遅れたことを思い知らされ、さびしさ?を感じる。
- 6月19日と20日浜名湖湖畔で共同研究の打ち合わせ。私に何ができるのだろうかと悩みつつも、うなぎはたらふく食べる。
- 6月12日と13日はICUで宗教と社会学会。日本民族学会より圧倒的に人数も少なく(参加者の年齢も若く)、その分、個人報告や分科会に余裕があります。
- 6月11日から3日間の予定で始まったgender and modernity workshopに少しだけ参加。各報告者の分厚いペーパーが高く積まれていて感動的な風景でした。成果の刊行を楽しみにしています。
- 6月10日人文研西洋部でT助教授の歓迎会。フィンランドから訪問中のパルポラ教授の歓迎会も兼ねています。場所は祇園のY。西洋部で使うのは二回目です。若い客しかいない地球座で二次会。
- 5月から6月にかけて学会関係の催し物が続きます。5/29と/30は都立大学での日本民族学会に参加、米軍基地のジェンダーについて話しました。重点(特定)領域研究の成果である親族図式のソフトも公開、こちらは分担者のSさん、Hさん、Kさんにほとんどお任せしました。ご苦労さまでした。来年の一橋大では、外国人研究者による特別講演なし、分科会なし、報告時間ものびるということで、すくなくとも後者については歓迎します。
- 4月28日は合同ゼミ。新・旧M2の修士論文報告でした。報告者は4名でしたが、予定ではあと2名修士論文を提出予定です(調査中ならびに留学中)。新入生歓迎コンパは院生室でしましたが、めずらしく?外部からの参加者もなくまた食べ物も30分ほどでなくなって途中で買い出し、というややさびしいものでした。
- ポルノ研究会は4月21日から無事スタート。学外からの問い合わせも増えています。
- 4月13日の植民地主義と人類学は『オセアニア・オリエンタリズム』の合評会ということもあって盛り上がりました。オリエンタリズムやポストコロニアリズムをめぐって第3世界の歴史家という選択肢を拒否する人類学の関与のしかたとはどういうものがあるのか、考えさせられました。
- 4月11日は恒例の川崎かなまら祭りに調査に行って来ました。金山神社がすごく立派になっていたのには驚いた。今年は雨で少し残念でした。そのあと江ノ島に移動して合宿ゼミ。こちらもハードスケジュールでしたが、いい勉強会になりました?参加者の皆さま、世話人の方ごくろうさまでした。
- 4月4日には『旅の文化研究フォーラム』で報告をしました。2年間の支援のおかげでかなりのことがわかりましたが、在日米軍社会はまだまだ奥が深い、深すぎる。すこしずつ進めて行くつもりです。
- インドバージョンとなった現在のHP以前の原HPの作成と業績一覧などのテキスト、文献データベースなどの作成・整理でお世話になったSさんがやめて学業に専念、長い間ご苦労さまでした。代わりにKさんに作業を手伝ってもらうことになりました。Kさんとは12年ぶりです。99/3/31
- 朝日新聞の京大特集第3回に人文研が取り上げられ、私の研究についても触れられていましたが、ポルノ研も私の発案、研究会となっていたのは大きな誤りです。私は有力なメンバーですが、主催者ではありません。HPから受けた印象が一人歩きしたのが原因ではないでしょうか。99/3/30
- 今年度(98.04-99.03)は編著『暴力の文化人類学』の再版という嬉しいニュースから始まり、『女神ーー聖と性の人類学』、『島根半島の祭礼と祭祀組織』、そしてSES
No50 Living with Shakti: Gender, Sexuality and Religion in South
Asiaと編集本の準備、出版が続きました。人文研の欧文紀要ZINBUNも実質編集事務に携わっていることを考えると、まだまだ編集作業は終わりそうにありません。99/3/26
- 3月は研究会が多くて大変でした。ほとんど毎週のようにヘビーな研究会が続きレジュメやプログラムが未整理のまま部屋のあちこちに小山を作っています。大盛況だった地域研究フォーラム、環太平洋社会をめぐる国際共同研究の報告会、『女神』の合評会、第二回インド体験研究会、ゲストスピーカを東京と札幌から迎えたミクロ人類学研究会、恒例の植民地主義研究会、フィリピン人二人を迎えたジェンダー研究会、人文科学とコンピュータ最終総会、19名が朝から発表した修士論文、博士論文報告会、夜だけおじゃましたGender
and Modernityの準備会合、そして京都人類学研究会の総会など。この合間を縫って民博に通いました。ほとんど京都で行われた会合だっただけまだましかもしれません。遠くから参加してくれる方には本当に感謝しています。99/3/25
- 今年はある集団がバンクーバーから船で北上し夏至をアラスカで過ごそうという計画をたて、参加者を募っています。二週間洋上にグルを中心とするアーシュラマを実現しよう、というのです。白夜と壮大な自然に囲まれて、すばらしい体験になるはずです。だけどこのアーシュラマは哀しいかな支払い能力で部屋の格が決まっていて、弟子たちの間にあからさまな差異を産んでしまいます。それでもやはりインスタント・サトリを期待して行くべきかどうか?99/3/15
- 「射精の瞬間!そのとき男は?」を脱稿しました。「世界を構築するエロス」の男性編になるはずのものですが、まだまだしなければならないことがありそうです。これに関して射精についてのアンケートを実施しましたが、これももう一度質問事項など変える必要があります。協力していただいた皆様に感謝します。また手伝っていただけるでしょうか。今回初めて、このホームページで公開予定の性文化研究基本文献・資料データベースを使用しました。現在およそ一〇〇〇近くの邦語雑誌記事が入力されています。これを使って男性のオーガズムについての記事をチェックしました。1998/12/23
- デュモンが他界しました。彼の代表作Homo Hierarchicusの訳者の一人として訳が間に合わなかったことが悔やまれます。