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人文科学研究所所報「人文」第四五号 1999年3月31日発行

退官記念講演

(三月十九日 於 本館大会議室)

中江兆民の位置

飛鳥井 雅道    

 研究所は,戦中から兆民と深い縁でつながっていた。小島祐馬先生が兆民の息・丑吉の学問の師匠だったことから,丑吉の蔵書が寄贈されるといったこともあり,戦後の兆民研究は,小島先生の名著『中江兆民』ではじまったのである。ルソー三部作を終えた桑原武夫先生が,東洋のルソー・中江兆民に取り組もうとされたとき,学士院の例会の帰途,京都によられた小島先生の講義を聞くことから会が始まったのは,偶然ではなかった。日本部助手に採用されたばかりのわたしは,明治を専攻する建前だったから,兆民研究班の事務局となり,幸い小島先生の講義のテープ起こしから仕事を始めることができた。一九六〇年の『人文学報』の小島論文はこの時の講義である。六〇年のわたしの兆民への関心は,前号の所報に書いたが,そもそもは研究所の環境の中に成立していたのだ。島田虔次,河野健二両先生の仕事もあった。

 中江篤介の号「秋水」が,幸徳伝次郎に受けつがれたときのずれ,変質については,機会あって別稿(『初期社会主義研究』一一号,九八年一二月)に記した。伝記的側面は,『中江兆民』(吉川弘文館,一九九九年)で見ていただけるとありがたい。

 ここではそこに書けなかったことのアイテムのみを記す。肝心な部分がいまだに宿題として仮説のままに残っている,と痛感する。

 一つは,兆民の「民権」理解について。兆民の理解が,板垣退助的な民権理解と違うのは当たり前だが,意外にそれは,大久保利通的な国家建設への方策と共通項をもっていたのではないか。たとえば,大久保の考えた「君民共治」と兆民のそれは,かなり重なり合う部分を持つと思われる。理論的にこれを解き明かすことは,近代精神史の解明に必須であろう。

 さらに,兆民の思想の目標は,必ずしも陸羯南の言う「ルーソー主義」「革命主義」ではなく,むしろ精神の自由,兆民の表現では「心思の自由」だった。民権運動の中において言えば,現実の自由党からはみ出す「理義」そのものが,兆民の言いたかったものではあるまいか。

 「理義」についての兆民の思考のプロセスの解明も,まだ,ほとんど手が着けられていない。

 兆民は依然としてわたしの前に,おそらく近代日本人すべての前に,謎のまま立ちはだかっている。