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人文科学研究所所報「人文」第四七号 2000年3月31日発行

人 文 研 の “た か ら も の”


びん版十三経注疏

古勝 隆一    

 清朝考証学者が,驚きをもって迎えた日本人の著作といえば,まずは山井鼎『七経孟子考文』を挙げるべきであろう。着想は大胆,手法は堅実,作業は緻密,そして依拠資料は貴重。他に類を見ないこの書物が「海外小邦」において撰述されたという事実は,一流の清儒たちの自負心を傷つけるものであった。同書は,『周易』『尚書』『毛詩』『春秋左傳』『礼記』『論語』『孝経』『孟子』の八書を対象とし,諸本を対校し他書を参照することにより,その経,及び伝統的注解の本文を確定しようともくろむ著作である。

 ここに紹介するのは,その『七経孟子考文』の原稿とも呼ぶべき山井氏手校本のびん版十三経注疏である。びん版十三経注疏(李元陽版・嘉靖版とも)自体は,我が国にも伝本が少なくはなく,しかも所の蔵本は印刷・料紙ともに上乗とは評しがたい本ではあるが,山井氏の自筆批校によって書物としての価値が格段に高められている。『周易』以下の五経はとりわけよく読まれており,情熱を傾けた貌が如実に知られる。一日一巻程度の速度で注疏の校勘が続けられ,弛まず,しかもほとんど休日がない。国内国外を問わず,これほど周到な句読が施された注疏も,そう多く伝存してはいまい。校記以外にも,足利・江戸での校書生活の日常や交友関係が偲ばれる日記的な記述,さらには筆のすさびなどが随所に見え,興味が尽きない。

 山井鼎(字は君彜,号は崑崙,一六九〇―一七二八)は徂徠門下の逸材で,特に書物の校勘を得意とした。徂徠が自著を出版する際にも,その校訂を山井氏の手に委ねたほどである。しかし,座りどおしで根をつめる校書の仕事は,元来病弱であった彼の命を縮める結果となったらしく,著書完成の二年後,故郷の紀州にて逝去している。彼の著書が荻生北渓(物観)らによる補訂を経て出版されたのは,死の三年後であった。むろん,自著が中国の学者を驚かせることになることなど,知る由もなかった。

 この注疏が本所に収蔵されたのは,昭和九年。狩野直喜の手になる箱書きがある(写真右)。この本には,山井鼎の後嗣,山井璞助の校語も見えるので,その所持とも想像されるが後の流伝は必ずしも明らかでない。「南葵文庫」の印記が存するところから,江戸の終わり頃から紀州藩が蔵していた可能性もある。山井鼎は西條侯松平頼致の臣であり,『七経孟子考文』の清書本を頼致に献呈した。それが現在,本学附属図書館に収められ,巻首には「紀府分藩京兆家文学 山井鼎謹輯」と。頼致はのち紀州藩主となったので,その縁でこの山井鼎手沢本が紀州藩に収められたものであろうか。

 吉川幸次郎はこの山井鼎手校本を「手沢具さに在り,本所校本の冠と称するに足る」と高く評価し,詳細な解題を撰んだ。山井氏の身辺記事を,解題では実に丹念に蒐集している。そこにも録された書入のうち,最も私の関心を引くのは『礼記』中庸篇冒頭のそれである,「享保庚子秋九月廿四日,友生の伯脩と足利に来たり,学校所蔵の五經正義を以て中庸篇を校讐す,……,君彜父 足利学校にて記す」(写真左)。伯脩とは,徂徠門下の同学で君彜の無二の友,根本遜志の字である。東京大学総合図書館には根本手校本『礼記註疏』を蔵し,その中庸篇末にも「享保庚子秋九月廿四日,友人の紀州山君彜と野州足利の学に来たり,上杉憲実奇附する所の宋板正義を以て中庸一篇を校讐す,……,根遜志」と。享保五年晩秋のある日,二人の学徒が足利で校書生活を始めたことを知るのである。