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イヤル・ベン=アリ 安承俊


人文科学研究所所報「人文」第五三号 2006年6月30日発行

随  想


韓国の古文書と女性の地位

安  承 俊     

 近代以前の東アジア世界は、儒教の影響による男尊女卑の社会で、男性の圧制のもと女性は基本的人権さえも認められていなかったと考える人が多いであろう。特に儒教の力が社会の隅々まで行き渡っていた韓国では、この傾向が強いと思われがちである。しかし少なくとも十七世紀以前の韓国において、女性は男性に劣らぬ権利を実はもっていた。そのことは、この時代の古文書からうかがえる結婚の形態と財産分与の方法に、もっともよく現れている。

 韓国では今でも女性が結婚することを「女思家(夫の家)に行く」、男が結婚することを「丈家(妻の家)に入る」とふつうに言う。前者は、結婚後、妻が夫の家に入る現代の習俗に合致しているが、後者はそうではない。これは昔の習慣が言葉にだけ残ったもので、十七世紀以前では「男帰女家」といって、男は結婚後、妻の家で暮らすのがふつうであった。いわゆる婿入り婚である。このような習慣は、平安時代以前の日本と同じであるが、韓国ではそれが日本よりずっと長く続いたことは、案外知られていないであろう。またこの場合、婿は妻の父母をそのまま父母と呼び(現在では丈人、丈母と言う)、妻の兄弟と同じ息子としての待遇を受けるが、しかしなんと言っても妻あっての婿であり、女性の地位は相対的に高かったのである。

 女性の地位が高かったなによりの証拠は、妻が夫とは別に独立した財産をもっていたことであろう。妻の財産の由来は、おもに実家からの贈与と遺産相続である。東アジアにおける相続制度について、日本は長子相続、また中国は男子のみの均分相続が原則であったと一般的に言われている。これに対して十七世紀以前の韓国では、男女を問わず、すべての子供に財産が均分相続された点に特色がある。この子供一人ずつの遺産の分け前を当時の文書では「衿」といい、均分相続は「衿給」と表現された。通常、子供は男女とも、まず結婚した時に父母から奴婢を含む一定の財産を分与され、次に父母の死亡にともない、その遺産を均分に相続するのであるが、この場合、父と母から別々に相続が行われるのである。母は父とは別に財産をもっているからである。この点から考えると、十七世紀以前の韓国女性は、日本や中国にくらべてもはるかに高い経済的独立性をもっていたと言えるであろう。

 韓国と日本、中国の古文書を比較してみると、同じ儒教文化圏でありながら、三国の社会、経済の仕組みには大きな相違があることが浮き彫りにされる。私は韓国の古文書の調査・研究を仕事としているが、この度、約十ヶ月、人文研に滞在する間に、日本と中国の古文書の実際に触れ、また研究者と交流する機会を得たことは、私にとって大きな収穫であった。今後は、東アジアの古文書を全体的に比較する視野の中で、韓国の古文書の性格を考えてみたいと思っている。

翻訳 金文京・李昇火華

(私の)名前、日本の就学前教育と子供の力 イヤル・ベン=アリ
田中雅一・金谷美和訳