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守岡知彦 岡田暁生 岡村秀典


人文科学研究所所報「人文」第五三号 2006年6月30日発行

開所記念講演(2005年度)


雲岡石窟寺の考古学研究

岡 村 秀 典     

 人文科学研究所の前身である東方文化研究所は、中国山西省大同市に所在する雲岡石窟の調査を一九三八〜一九四四年の七か年にわたって実施し、その報告書は水野清一・長廣敏雄『雲岡石窟』全一六巻三二冊(一九五一〜一九五六年)として公刊された。北魏の仏教寺院は、礼拝の場である石窟や仏殿のほか、多数の僧侶が講経・誦禅する講堂・禅堂や生活の場である僧坊などからなり、調査の当時、そうした石窟寺院の総合的な研究をめざして、石窟の前庭部や台上寺院址が発掘され、余暇を利用して石窟周辺の遺址が精力的に踏査された。北魏の都城であった平城遺址、文明太后のために孝文帝が造営した方山永固陵など、雲岡石窟と同時代の史蹟もくまなく調査された。しかし、収集した遺物のほとんどは小さな破片であったため、それを整理して考古学の研究資料として利用されることはなかった。

 調査より六〇年あまりが過ぎた。中国では一九九〇年代に雲岡石窟の前面が広く発掘され、二〇〇一年には世界遺産に登録された。平城遺址の調査もはじまった。いっぽう日本の考古学研究もいちじるしく進歩した。地表面に散らばっている小さな土器や瓦の破片からも、多くの歴史情報を引きだすことができるようになった。そうした日中両国の研究動向をふまえながら、考古学から雲岡石窟の新しい研究を発信するべく、二〇〇二年より人文研に保管する出土遺物の整理をはじめ、このたび岡村編『雲岡石窟』遺物篇(朋友書店、二〇〇六年)として報告書を公刊した。

 具体的な成果はその報告書に詳しいが、要点だけをあげれば、石窟以前の新石器・秦漢時代の歴史的景観を示したこと、瓦をもとに北魏の平城時代を四期に編年し、そのうち五世紀後半の雲岡石窟を三期に編年したこと、四八〇年代前半に造営された方山永固陵の瓦をもとに雲岡石窟第九・第一〇洞の年代を四八〇年代後半に比定したこと、石窟の台上に木造瓦葺きの僧院が建ち並び、四七〇年代に曇曜の釈経した僧院は東部台上にあり、西部台上には緑釉瓦を葺いた華麗な尼寺が四九〇年代に建てられたこと、考古資料と「金碑」の記載をもとに北魏から遼・金代にいたる雲岡石窟寺の歴史的変遷を明らかにしたこと、磁州窯の影響を受けた遼金代の白磁の特徴を明らかにしたこと、などがある。


界面としてのキャラクター 守岡 知彦
ピアニストになりたい!
―練習曲の思想と一九世紀
岡田 暁生