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アスコ・パルポラ 荒牧典俊 井狩彌介


人文科学研究所所報「人文」第四七号 2000年3月31日発行

随  想


日本でルーツを求めて

アスコ・パルポラ    

八月,日本人の同僚が親切にも――彼の言葉によれば,京都の真夏の地獄から脱出するために――富士山麓にある別荘に私を招待してくれた。このもっとも有名な山と,五湖をはじめとする美しい周辺を見せてくれるという魅力的な申し出のほかに,もう一つ,私の心を強くひきつけるものがあった。私の「ルーツ」へ連れていってくれることを約束してくれたのだ。

 先年亡くなった母は,一九一一年に長野県の諏訪で宣教師の娘として生まれ,幼年期を近くの飯田ですごした。祖父(すなわち母の父)が一九一二年から一九一六年までその地のルーテル教会の牧師をつとめていた。私のルーツへの探索を,私たちはこの飯田から始めた。その教会の,現在の日本人の牧師の方に電話でコンタクトをとったところ,日曜日の礼拝に招待してくださった。私たちは教会でそれは暖かい歓迎を受けた。昼食のあと,教会の方々は諏訪へついて来てくださり,母の生まれた場所をさがしだすのを助けてくださった。私を何よりも喜ばせたのは,日本人のキリスト教徒にとって,その宗教が自分たちの日本の文化遺産を理解し評価するのを妨げるものとはなっていないことだった。諏訪への途中,駒ヶ根で,不動明王の化身とされる霊犬早太郎がまつられている天台宗の光前寺に,下諏訪では,勇壮な若衆によって山から曳き降ろされた大きな御柱が境内に立てられている諏訪大社に,牧師さんたちはすすんで案内してくださったのだ。

 後日,東京へ行ったときに,池袋のルーテル教会へも訪れた。祖父は,その後,アメリカ合衆国のフィンランド人移住地で数年間つとめたあと,ふたたび日本に戻って,一九二三年から一九二七年まで池袋で日本人の聖職者の人達を教えたそうだ。驚いたことに,祖父が家族ともに住んだ家はそのままそこにあり,今も牧師の住居となっていた。日曜日の礼拝のあと,長年母の遊び友達だった日本人のご婦人にお会いすることさえできた。

  一九九九年の約十一カ月間,もっとも理想的な環境で研究にうちこむ機会を与えてくださっただけでなく,私の母が生まれ少女時代を過ごした国について知る機会を――私にだけでなく私の家族にまで――与えてくださったことに対して人文研に心から感謝している。私たちは全員,すっかり日本と日本文化の熱烈なファンになってしまった。

ヘルシンキ大学教授(インド学・南アジア研究)
京都大学外国人研究員(一九九九年二月―十二月)
(訳・藤井正人)

古典文献学と哲学 荒牧 典俊     
『国際ヴェーダ学ワークショップ』の周辺 井狩 彌介