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アスコ・パルポラ 荒牧典俊 井狩彌介


人文科学研究所所報「人文」第四七号 2000年3月31日発行

随  想


古典文献学と哲学

荒牧 典俊     

 現代の科学技術あるいは生命科学時代の歴史の洪水のような流れの中にあって,大学とは何か,研究所とは何か,と問うて,ただ単に科学技術や生命科学の洪水の流れをリードしようと競い合っていく,そうしながら押し流されていくだけであってはならない,大学や研究所こそ歴史の流れから自由であることによって,新しい文化を創造する源泉であるのでなくてはならない,と答えるならば,それは,そうかも知れないと賛同していただけるのではないか。

 それでは,歴史の流れから自由であり,新しい文化を創造する源泉が,われわれ人間の心の内にどのようにして開かれてくるか,と問うて,そのためには,ヨーロッパであれインドであれ中国であれ日本であれ,太古以来現代に至るまでの歴史における文化創造から学ばなくてはならない,そこで古典文献あるいは史料を文献学的にあるいは歴史学的に研究しなくてはならない,ともかく古典に学ぶことによってのみ,われわれ人間の心は,歴史の流れから自由になり,新しい文化を創造するインスピレーションにふれることができるのだ,と答えるならば,それも,案外そうかも知れないと思っていただけるであろう―それが結局われわれが現在研究所においてしていることであるから。

 しかるにそれでは,われわれ人間の心が,ほんとうに根源的に自由であり創造的であるためには,どうしたらよいか,と問うて,古典文献学だけではどうしても自由がちっぽけになりがちだ,歴史学だけではどうしても創造のインスピレーションが枯渇する,それらは何らかのしかたで,かぎりなく根源的に自由であり,創造的に思惟する哲学に開かれていなくてはならない,と答えるならば,わたくしは,たちどころに猛然と反駁されるか,もっとおそろしいのは,いつものやりかたで冷たくあしらわれるか,である。

 わたくしはそのことを知っているから,これまで九年間,貝のように口を閉ざしてきた。しかし,最後に発言の機会を下さったご厚意に甘えて言わせていただく。わたくしは,研究所で必要とする人材として,何も具体的な誰かを念頭に置いて言っているわけではない。大学で哲学を専攻したかどうかは,どうでもよいことだ。そうではなくして,かぎりなく根源的に自由かつ創造的に思惟する哲人であれば,必ずどこかで黙々と思惟し続けておられるのではないか―かつての今西錦司先生や上山春平先生のような。そういう本物の哲学者が,いつの間にか,いなくなってしまったままであって,ほんとうにいいか,と問うてみたい。おそらく,かえってくるのは,ブラック・ホールのように無気味なしじまだけであるにしても。

時の流れ―死神―の大鎌が,君を根こそぎ切りとっていくときに,
いったい何をすることができようか。
もしもミューズの神のインスピレーションによって
永遠の詩をうたっているのでないかぎり。
And nothing against Time's scythe can make defence
Save breed to brave him when he takes thee hence
              (Shakespeare, Sonnet 12)
(breed to brave him 「子孫があってこそ,死神と勇敢に戦うことができる」というのを,「ミューズの神のインスピレーションによって永遠の詩をうたっている」と訳すのは意訳に過ぎるが,それがこのソネットの主題であり,この句の意味するところだと解する。)

日本でルーツを求めて アスコ・パルポラ     
『国際ヴェーダ学ワークショップ』の周辺 井狩 彌介