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木島史雄 藤井正人 金文京


人文科学研究所所報「人文」第四八号 2001年3月31日発行

開所記念講演(2000年度)


ほきの名物学

木島 史雄

 まずタイトルを解説しておきましょう。ほきというのは,お祭りの際,お供えを盛る容器のことです。つぎに「名物学」ですが,これは名前と実物をどうつなぐかという事を考える学問です。したがって今日のお話は,ほきという容器の名前と実物,とりわけその形についてのお話です。

 図1は,東京の湯島聖堂に伝来したきの姿です。非実用的な,まことに奇妙な形のものといってよいでしょう。図2は,考古学による中国古代青銅器のきの姿です。そして両者が,同じ「き」という名前で呼ばれています。この奇妙な形や相違はどこから生じたのでしょうか。

 図1のきは,実は文字資料から復元的に作り出された形態なのです。ある書物に,「内方外圓をきと曰ふ」(二要素定義型)とあります。まさに図1の姿の元になる文章といえます。しかしもっと遡ってみると,最も古い文献では,内外を分けずに「円きをきという」(一要素定義型)と記述されていました。

き

 ところである古典はきを「員くして規に中(あた)る。」と記しています。規というのはコンパスのことですから,ぴったりコンパスで描いたように丸いというのがこの文章の意味でした。ところがその注釈に「器の圓中なる者をきと爲す。」とあり,そしてこの「圓中」を,「中が円形のもの」と解釈したところから,器の内外の形を別々に規定するという考えが始まったのではないかと思われます。そしていったんこの考え方がはじまると,物事をすべて陰陽にわけて,それの積み上げでこの世界ができていると考える中国人の思考様式に大変なじみやすいものであったために,この形式が急速に広がってゆきました。

 さて近代考古学によって,古代のきの姿が明らかになりました。それが図2です。歴史的には,これこそが正しいきの姿です。しかしだからといって,ここで古典の記述を斥けてしまうわけには行きません。というのは,ここ二千年ばかり,中国では二要素定義が正当の解釈とされ,これを基礎にしてさまざまな学術が展開してきているからです。古典の世界では二要素定義型のきこそが真実の形態なのです。

 そしてこの二つを両端にして,さまざまな見解が提示されてきました。ある時代には古典のきと発掘品のきを無理にも同じモノとして考えようと試みていますし,また違いに目をつぶって両者の記述を載せてしまう百科事典もありました。たしかに古代中国に存在したきは一種類ですが,それとは別に,さまざまな学術が,それぞれの拠所と手法をもって研究したきの姿は,それぞれの世界において,どれも真実だったのです。それは「一つの事実と百の真実」と表現してよいかと思います。


祭式と輪廻――古代インド再生説の展開―― 藤井 正人
元曲「盆児鬼」考――しゃべるお碗の話―― 金 文京