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桑山正進 狹間直樹 張啓雄


人文科学研究所所報「人文」第四八号 2001年3月31日発行

随  想


今考えていること

狹間 直樹

 人間だれしも自分流にしかことがらを理解できぬことは,よく分かっているつもりでも,実際にとなると,なかなか難しい。

 清末に日本に留学した学生が帰国したとき,故郷の農民から,外国には空があるのか,空には太陽があるのかと聞かれたという。太陽は天朝の皇帝としか結びつかないものだからである。ことはけっして農民だけの問題ではなく,範囲やレヴェルはちがっても,知識人とて自分の頭のなかに有ることしか理解できないのは本質的には同じことだった。

 たとえばアメリカの “President" の制度は,皇帝が全統治権を総覧してきた中華世界においては,当然ながらたいへんに理解しにくいものであった。熊月之氏は,当初,単純に国家元首としての一面をとらえて,アメリカでは「皇帝を選挙する」,「皇帝は四年ごとに交代する」と,「皇帝」の訳語が用いられたことを指摘している。

 もちろん,それが正確な訳とは考えられていなかったから,「伯理璽天徳プレジデント」などと音をあてたり,機能面からする,「総統領」とか「首領」とかの訳語も用いられた。そして,ある訪欧使節団の随員の記述に,こういうものが見える。「アメリカは“天下を公とする民主の国”である。賢に伝えて子に伝えず,四年ごとに衆が一人を挙げて統領とし,“伯理璽天徳”と称している。」(張徳彝『航海述奇』走向世界叢書本,五五六頁 ; 〔公〕は原文〔官〕,編者の訂正に従う)

 これを書いたのは二十歳前の同文館の学生で,一八六六年のことである。この「民主」は,間接的にはデモクラシーにつながる背景をもつが,直接的には世襲の特権的な「君主」にたいするターム,平民のなかから挙げられた賢者の意味である。

 ところで,中江兆民は “Du souverain" を「君」と訳した。(『民約訳解』巻之一第七章)これは,島田虔次氏がつとに指摘されたように,黄宗羲の「原君」に凝縮された儒教の君民関係理解,つまり「君」とは“有徳有能な賢者”の統治という意味をふまえた,選びぬかれた訳語なのであった。のちに「主権者」と訳されるこの「君」がプレシデントとしての「民主」と直結するものであることは,容易に見てとれよう。

 兆民はここで,この「君」がいわゆる「君主」と誤解されないよう,異例の懇切な説明を施している。しかし日本でも中国でも,兆民のこの配慮にたいする反応は,管見のかぎりまだない。それが生きるのには,辛亥革命の失敗の原因を理念的に考えぬいた田桐(『共和原理 民約論』一九一四年)を待たねばならなかった。

 これはきわめて鮮明な一例である。異文明の新概念を摂取するにあたっての,伝統文明との関わりの“知層”をさらに追求することにより,近代における東アジア“文明”圏の内実を探っていきたいと考えている。

 右の一文は,狹間直樹教授の停年退官を記念して,二〇〇一年三月二三日に本研究所本館大会議室において開催された公開研究会における最終報告の要旨である。

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