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報告書 | 紀要 | 所報 | (第五三号 2006) |
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小林丈広 | 丸山 宏 | 高木博志 | 伊従 勉 |
人文科学研究所所報「人文」第五三号 2006年6月30日発行 | |
夏期講座(2005年度) |
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近代京都名勝考 |
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―京都の森林風致― |
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丸 山 宏 |
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京都周辺の森林は明治維新以前、いわゆる“社寺林”に属しているものが大半であった。大社名刹は背後に社寺林をもち、社寺林は境内地に属していた。京都の社寺を中心とする多くの「名勝地」の存在はこの社寺林なくしては考えられない。 ところが地租改正という近代的所有制移行の過程で、社寺林は明治四年一月に官有林として上地され、さらに明治八年六月には「祭典法用ニ必需ノ場所」以外は再度、厳しく上地された(引き裂き上地)。その結果、社寺林の維持管理が滞ることになる。上地以前の森林は各社寺によって周辺の農民に入会林的な利用権を付与する代わりに森林の管理をさせる維持管理システムがあった。 社寺林の林相を見ると植林と見られるヒノキ林もあるが、多くがアカマツを主体とする植生で、いわゆる里山の景観である。このアカマツ林が京都の原風景として取り上げられるが、実はアカマツ林というのは自然と人間の収奪の微妙なバランスの上に成り立っている。森林から建築材、燃料、肥料を収奪することにより、アカマツ林が維持され、結果として成立したアカマツ林が京都の原風景を作りだしたのである。今日では経済林としての価値が無くなり、また、農用林としても利用されることはなく、放置された森林は自然の遷移に従って、照葉樹林へと変化し、アカマツ林が減少している。 京都市は明治期に、経済的な復興を目指し、琵琶湖疏水をはじめ様々な施策を行ったが、この「名勝地」もその射程に入れる。北垣国道知事(市長兼務)は明治二三年二月に施政方針を述べ、「京都ノ名勝地ハ市ノ経済ニ関スル事厖大ナリ内外人ノ此地ニ輻輳スルノ原因ハ社寺名勝地ノ存在スルニ由ル者多シ是京都固有ノ財宝ナリ」と名勝地保存の重要性を強調している。明治二八年五月に府議会でも名勝地保護のため「公園地」として府への移管を国に上申している。この時期、国としての森林政策にはまだ確たるものがなかった。 |
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林野行政が体系的な形で整備されるのは、明治三〇年四月の森林法と明治三二年三月の国有林野法である。森林法により民有林に「保安林」が規定された。第八条の第九項に「社寺、名所又ハ旧蹟ノ風致ニ必要ナル箇所」と、社寺林も保安林に編入することによりその風致を維持することが可能となった。 ついで、大正八年四月の都市計画法による「風致地区」があるが、京都は昭和五年二月に風致地区を設定した。「山地部」は約六六〇〇ヘクタール、風致地区の八二パーセント強にあたる。京都の風致政策の先進性には、歴史的に多くの社寺林を持つ京都の潜在性が見て取れるのではないか。 さて、今日的な問題として、京都の財産であるかつての“社寺林”をどのように維持管理していくかは依然として残されている。 一九九四年一二月、古都京都の文化財一七ヶ所(宇治市、大津市を含む)が世界遺産に登録された。賀茂別雷神社(上賀茂神社)、賀茂御祖神社(下鴨神社)、教王護国寺(東寺)、清水寺、延暦寺[大津市]、醍醐寺、仁和寺、平等院[宇治市]、宇治上神社[宇治市]、高山寺、西芳寺(苔寺)、天竜寺、鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、竜安寺、本願寺(西本願寺)、二条城の一七ヶ所である。これらの世界遺産のバッファーに“社寺林”がある。今後、その維持管理には古都京都の景観問題とも関連し、国民的議論が惹起される必然性があるのではないだろうか。 |
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京都史の文法 | 小林 丈広 |
近代京都と国風文化・安土桃山文化 | 高木 博志 |
都市の計画と京都イメージの特徴 |
伊従 勉 |