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人文科学研究所所報「人文」第五三号 2006年6月30日発行

夏期講座(2005年度)


近代京都と国風文化・安土桃山文化

高 木 博 志    

 近代の京都には、雅と町衆という大きく二つのイメージがある。これらは「国風文化」と「安土桃山文化」につながるが、そのイメージの形成過程を考えたい。

 飛鳥時代から江戸時代にいたる日本の文化の流れを時代区分する見方は、岡倉天心の「日本美術史」講義を契機に一八九○年代に成立し、古都奈良は古代に特化される。そして古都京都において、国民国家形成期の一八九○年代には、平安遷都千百年紀念祭が祝われ、固有な日本文化の源泉として「国風文化」が重んじられた。一九一○年代以降の「帝国」の時代には、「海外雄飛」の先達としての豊臣秀吉やキリシタンの南蛮文化が顕彰され、また庶民文化の台頭などを近代につながる「文化的資質」とみなし「安土桃山文化」が注目された。光彩を放った二つの時代は、中国やヨーロッパにはない日本「固有な」文化とみなされ、京都は自らをそのイメージに重ねてゆく。その後、前者は一九三○年代に源氏物語研究で雅な側面が強調され、後者は高度成長期の林屋辰三郎らによる町衆の市民文化にいたる。祭でいえば雅な葵祭と町衆の祇園祭とにそれぞれが対応する。

 こうした京都イメージの近代を通じた形成とパラレルに、京都自体が「文化財化」してゆく。そして「古都」という言葉が一般化する一九六六年の古都保存法を経て、一九九四年の古都京都の文化財として世界遺産指定に至るのである。

 この「文化財化」の問題を名所で考えてみたい。たとえば江戸初期の名所図会『京童』(一六五八年)の東寺を象徴する大師堂は、東寺境内西側にあり、室町時代以降、弘法大師信仰の中心であった。それが一八九○年代以降、美術的な価値で東寺を評価すると、平安前期の密教美術の粋、端正な帝釈天像などを擁する講堂の立体曼陀羅が、今日につながる東寺イメージとなってくる。同じことが、国風文化の象徴、平等院鳳凰堂でもいえる。近世の鳳凰堂は、宇治川の「橋合戦」、『平家物語』の世界にあり、頼政が自刃した扇の芝は観光スポットであった。しかし一八九○年代以降には平安時代後期の「国風文化」と位置づけられ、一八九三年のシカゴ博覧会の日本パビリオン「鳳凰殿」の意匠となり、ピュアな日本文化を代表する。一九一一年十月、奈良女子高等師範学校の修学旅行では、頼政の画像や「宇治川合戦の遺物、薙刀、鎧、鞍、弓」とともに、優秀な「藤原氏時代」の鳳凰堂や定朝の阿弥陀如来を鑑賞するが、彼女たちには江戸期の軍記物の世界から近代の美術的なものの見方へと価値観が重層していた。

 「古典文学」などの物語や伝説とともにあった、前近代の名所などの景観、仏像・絵画などのモノといった総体が、美術的な価値と重なりつつ近現代に変容してゆくありようを捉えなければならない。


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