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報告書 紀要 所報 (第五三号 2006)
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井波陵一 籠谷直人 田中祐理子 船山徹


人文科学研究所所報「人文」第五三号 2006年6月30日発行

共同研究の話題


この字、なんの字、気になる字。

井 波 陵 一    

 月曜日の午前中、センターの入口の階段を上がりながら、ふと右手の応接室を見ると、あくまでも冴えない男たちが十人あまり、ゾロゾロ立っている姿が目 に入り、訪れた人は一瞬ギョッとするらしい。よく見れば、ある者はテーブルにへばりつくように屈み込み、ある者は万策尽きたといった風情で天井を仰いで いる。そうかと思えば、指先で虚空を引っ掻いている者もいる――昨年四月にスタートした「北朝石刻の研究」班の、じつはありふれた光景である。

 本研究班は「三国時代の出土文字資料」班において魏晋の石刻資料を読んだ部分を受け継ぎ、そのメンバーを基本としつつ、ただしより小規模な形で行われている。人文研所蔵の拓本をとにかく丁寧に眺めてみよう、という趣旨は前回と変わらない。拓本を拡げて一文字ずつ読み上げていく。あたかもローカル線の普通列車の車内放送のようなものだ。ただ車内放送よりはるかに厄介なのは、駅名が分からない、つまり文字が読めない箇所に再三出くわして立ち往生してしまうことである。かくて冒頭のような光景を呈することになる。文献資料に記された文字が本当に確認できるかどうか、またほとんど可能性が無いとはいえ、文献資料が未詳とする文字が本当に読めないかどうか、それこそ目を皿のようにして拓本を凝視し、あるいは頭の中で目に焼きついた痕跡を反芻し、果ては指先で何度もたどり直して、何とか解答を得ようとする。語注を作成することも大きな仕事であり、それも同時に進めているが、現段階では食らいつくように拓本と向き合うことに多大のエネルギーを費やしている。

 人文研所蔵の拓本には漢籍と同じく、「最善」「最古」を誇り得るような絶品は多くない。いや、多くないという言い方にはかなり負け惜しみが入っているだろう。正直に言えば、ほとんど無い。これまでの経験では、北京図書館所蔵拓本でも見えない文字が見えたのは、魏の「受禅表」の内藤旧蔵拓本ぐらいではなかったか。釈読の際には北京図書館をはじめ他の機関が所蔵する拓本の写真を参考にしているが、だいたいあちらさんにはかなわない。しかし、だからこそ「わが家の宝」には心にじわりと来るものがある。「わが家」は図書館でも博物館でもない。研究所なのだ。たとえそれが布切れを丸めてこしらえたボールの類であったとしても蹴り続ける。大切なのはボールそのものではない。それを蹴る醍醐味であり、そこから生まれる質の高いプレーなのだから。


アジア・ネットワークの研究 籠谷 直人
「啓蒙」を求めて 田中祐理子
複雑系としての仏教漢文 船山  徹