最新 | 講演会 | 研究所 | 研究活動 | 図書室 | 出版物 | アーカイブ | 目次 |
報告書 | 紀要 | 所報 | (第四七号 2000) |
随想 | 夏期講座 | 開所記念 | 退職記念 | 彙報 | 共同研究 | うちそと | 書いたもの | 目次 |
井波陵一 | 籠谷直人 | 田中祐理子 | 船山徹 |
人文科学研究所所報「人文」第四七号 2000年3月31日発行 | |
共同研究の話題 |
|
複雑系としての仏教漢文 |
|
船 山 徹 |
|
共同研究班「真諦三蔵とその時代」を始めてちょうど一年になる。真諦は六世紀の中頃に中国の南方各地を転々としたインド人僧侶。四大翻訳家の一人ともいわれる。この人物を軸に、インド文化と中国文化の思想的歴史的交渉を具体的に知ることをめざしている。 研究班で読んでいるのは、真諦自身の教説を弟子が書き残したものである。それはふつうの翻訳とは異なり、彼自身の考えを説いたものである。そのきわだった特徴のひとつに、中国文化圏の聞き手を初めから想定しつつインド人の立場から発言する点がある。中印文化の混淆的性格である。ただ、それがきれいな形で現存していれば、ことは単純明快だったのだろうが、現実は複雑を極める。弟子の書き残したもの自体が散佚し、現存しない。そのため、我々は後代の諸文献に引用される真諦の発言の断片をかき集めて読んでいる。そうした場合、錯綜した状況が生じるであろうことは容易に察しがつく。不確定要素が多く、引用は原文のままと考えてよいかといったあたりから検討をはじめねばならない。 佛典とりわけ翻訳調の文体も難物だ。抽象語が夥しく、ほとんど新造語ともいうべき見慣れぬ訳語すらあり、原語を想定せずには全く理解不能な場合もある。さらに音訳語がまるで当代日本語のカタカナのように多用される。そしてそれらが助字の用法にクセのある、なかば強引で機械的な四字句の連続を形成する。その結果、正統漢文の読み手には読むにたえないような、ゴツゴツとして晦渋な、しかし妙に迫力ある独特の文体ができあがる。 |
|
とりわけ真諦の場合は、解決のつかない一つの素朴な問題がある。我々が読んでいるものは文語としての仏教漢文なのであるが、では、インド人である真諦自身はいかなる言語で中国の弟子たちに語ったのか。インドの学術標準語としてのサンスクリット語か出身地ウッジャイニーの土着語のいずれかで話したことを、別人が漢語に通訳したのか。それとも最初から漢語で話したのか。もし後者なら、師のしゃべる口語の、恐らくはブロークン・チャイニーズを弟子たちが正規の文語表現に変換して筆記したのか、あるいは、我々が読んでいるのとほぼ同様の文章が真諦の口から発せられたのか(この可能性はあまり高そうに思えないが)。──弟子たちが残した真諦の伝記には「先生は漢語にきわめて堪能であり、通訳なしで何ら支障はありませんでした」とある。しかし賞讃の辞とその解釈はもちろん別問題だ。また伝記は真諦の不遇を論じ、かつて真諦が自殺を図ろうとしたことも記す。悟りにむかって修行する僧侶の自殺行為をあからさまに記録する伝記はむしろ珍しい。 私はむかし学生のころ、サンスクリットを学び、文法的にきっちりわかる面白さや、印欧語としての論理性と明晰性に、わが日本語の対極にあるものを感じ、惹かれた。それから時は経ち、いつごろからか、種々の因子が絡み合った一筋縄ではゆかないような事柄に妙味を感じるようになった。かつての「すっきり分かる面白さ」から「分からない面白さ」へ。そして今、複雑系ともいうべき漢文の、しかも仏教漢文という奇っ怪なるものに何かとてつもない奥行きと謎を感じ、わくわくさせられている。その一つの典型が真諦にある。 |
|
この字、なんの字、気になる字。 | 井波 陵一 |
アジア・ネットワークの研究 | 籠谷 直人 |
「啓蒙」を求めて | 田中祐理子 |