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報告書 | 紀要 | 所報 | (第五三号 2006) |
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井波陵一 | 籠谷直人 | 田中祐理子 | 船山徹 |
人文科学研究所所報「人文」第五三号 2006年6月30日発行 | |
共同研究の話題 |
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アジア・ネットワークの研究 |
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籠 谷 直 人 |
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〇四年度から開始した共同研究は、もう一年継続することにした。一七世紀から現在までのアジアにおける広域市場秩序の存在を検討している。主権国家をつくりだすことが優先課題であった時代には、境界線の明確でない「地域」は各政治主体の利害の対立する場として描かれてきた。本研究では、そうした対立ではなく、むしろ「秩序」の場として捉えなおそうとしている。 なかでも、一九世紀の東アジア史について研究会ではおおいに議論されている。これまでこの時代について議論されてきたことは、「自由貿易」原則の強制というヨーロッパの近代的帝国主義がもたらした「衝撃」と、それに対応する旧「帝国」の清朝中国と「鎖国」後期の徳川日本のあり方であった。その政治過程に注目するならば、清朝のアヘン戦争、アジア諸国の開港といった、近代への移行の断絶面であった。しかしヨーロッパで規範となった自由貿易原則が、アジアに浸透する過程そのものは、いまだ十分に明らかにされていない。日本近代史に即して考えれば、自由貿易原則は関税自主権という「主権の侵害」そのものであり、通史の対象はその主権の回復過程と、そうした制度に依拠して登場する経済主体に焦点が絞られた。あきらかに自由貿易は成長を阻む制度であった。しかし、近年の「アジア共同体」論の台頭のように、アジアにおける自由貿易体制の形成が広域な課題になるなかで、いかにして自由貿易原則は東アジアで根付いたのであろうかという関心も高まっている。そうした関心に歴史学はこたえているだろうか。 |
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一八世紀からの中国では交易の拡大に寛容な貿易システムが導入されていたことが解明されつつある。清朝の広東システムといった厳しい管理貿易を「遅れた」ものと描く欧米の認識は、そうした貿易システムを批判する、または攻撃する言説を用意する。しかし、近年の清朝史はそうした欧米の認識から自由になりつつある(岩井茂樹、村上衛の各氏の議論)。西における主権国家システム―重商主義―自由貿易―帝国主義の時代変遷に対して、東には「倭寇的空間」―海禁・鎖国―(管理貿易)―互市システム―自由貿易の時代が存在したことになる。 自由貿易原則がそこから生まれ出るヨーロッパの東インド会社の「独占」の後退も、たんなる産業企業家の市場圏拡大の利害から説明されるものではないことがわかった。東アジアでの稼ぎを本国に送金する際に、東インド会社の送金方法はコストがかかった。むしろ東インド会社を一度も作らなかったアメリカ合衆国の商人がふりだす手形のほうが送金方法としては簡単であった(川村朋貴、西村雄志の各氏)。自由貿易は送金方法の競争と送金の中核であったロンドン・シティの成長を背景にしていた。 そのほか、共同研究をとおして得られた知見はおおい。今年はその一部を論集『帝国の中のアジア・ネットワーク―長期の一九世紀』(京都)として世に問いたい。あわせて二〇世紀のアジア市場秩序を議論している。 |
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この字、なんの字、気になる字。 | 井波 陵一 |
「啓蒙」を求めて | 田中祐理子 |
複雑系としての仏教漢文 | 船山 徹 |