卜辞の命辞(占った事柄を記すことば)では,「不」「弗」類の否定詞が,殷人の意志で制御することのできない「雨」「年を受く」「疾」「死」などの動詞を否定する場合に用いられるのに対し,「勿」類の否定詞は「狩」「往」「侑」(祭祀の一種)など,殷人の意志で行うことのできる動作の否定に用いられる。ただし,同じ卜辞でも,占辞(占いの吉凶を判断することば)・用辞(占った結果,行ったことを記すことば)における否定詞の使い分けは,命辞と異なり,用辞では殷人の意志で制御できる動作「狩」「往」「侑」などが「不」で否定され,占辞では殷人の意志では制御できない「疾」「死」などが「勿」で否定される。また,主語,動詞,目的語などあらゆる統語成分の前に置かれ,その語を強調する役割を果たす虚字「惟」「恵」にも否定詞と平行する使い分けが見られる。命辞では,「惟」が殷人の制御できない天候や豊作や死や病について述べる文に用いられるのに対して,「恵」は殷人の意志による行為である往来・狩猟・祭祀などについて述べる文に用いられ,占辞・用辞ではその逆になっているのである。この否定詞や虚字の命辞における現れ方の違いは,「勿」類否定詞および虚字「恵」が意志または必要を表わす法的な(modal)語であることによると考えられているが,「恵」の否定形が「勿惟」であることもその説を補強するもので,用辞で殷人の行為の否定に「不」類が用いられることについても,過去の行為は「〜しよう」という意志や「〜しなければならない」という必要を表す法に関わらないからだという説明が成り立つ。占辞において「死」「疾」などの否定に「勿」が用いられることについては,意志により制御することのできる動作の否定に用いる「勿」で否定することによって望ましくないことが起こることを阻止しようとする呪文だ,「勿」が願望の意味を表すのだなどと解釈されている。しかし,英語の may や must のように義務論的な法と認識論的な法が同じ語形で表されることは多くの言語に普遍的に見られる現象であり,古代漢語の「宜」「当」「将」「欲」なども二種の法的意味を表わしうることから,卜辞の「勿」「恵」も二種の法を表しうるものだった,つまり,命辞の「勿」は意志や必要性などの義務論的な法を表し,占辞の「勿」は蓋然性・可能性などの認識論的な法を表したと解釈することも可能だろう。
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