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森賀一恵 田中雅一 佐々木克


人文科学研究所所報「人文」第四五号 1999年3月31日発行

開所記念講演(1998年度)


戊辰戦争と徳川慶喜

佐々木 克    

 意図していることは,戊辰戦争を,幕末の政治過程の延長線上に位置付けて,これまでとは違った視点から検討してみよう,という試みであり,試論である。

 これまでの戊辰戦争研究(戦史類や藩史,地域史に属するものを除く)のほとんどが,戊辰戦争を日本近代の出発点に位置付け,近代からの視点で,主として近代史の研究者によってなされてきた。私の旧著『戊辰戦争』(一九七七)もその一つであるが,これにたいして近世史の側からみた戊辰戦争や,近世史の研究者からの戊辰戦争にかんする発言は,ほとんどないのが現状である。

 あらためて述べるまでもなく,戊辰戦争は,日本の近世から近代への転換点で起こった戦争であり,近世の最終段階での戦争であった。したがって,なぜ戦争というような,政治的対立の極限状況が生み出されたのか,その理由を,幕末における政治的対立や社会状況のなかから,探り出すという重要な作業が必要となってくる。

 ところで,幕末の日本国家と主要な政治勢力は,重要な国家的課題に直面していた。その課題とは,@人心の一致,A合議制の確立(専制否定),B内乱の阻止,以上の三点である。この三つの課題は,ペリー来航後の国難に際して,この課題を達成・実現して,挙国一致の体制を築かなければ,外圧に対抗できないという切実な認識のもとで唱えられたものであるが,しかしその実現の方策をめぐって,政治的対立が起こっていたのである。

 ところが幕末の日本国家と主要な政治勢力は,自らに課せられたこの国家的重要課題を,解決・達成できなかった。そのなかで,とくに幕府と事実上幕府を代表していた徳川慶喜が,その阻止要因をつくり,責任が重いと言う主張が,慶応三年後半期の世論となり,薩長倒幕派が幕府の解体・将軍慶喜追放に立ち上がり,戦争となったのである。


卜辞の法表現 森賀 一恵
軍事共同体の文化人類学――『暴力の文化人類学』以後―― 田中 雅一