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人文科学研究所所報「人文」第四七号 2000年3月31日発行

開所記念講演(1999年度)


西学の伝来と明清時代の実学思潮

杜 石 然(佛教大学教授)

 西洋科学文明が本格的に中国に受容されるようになるのは,清末になってからである。しかし,中国の近代化を考えるうえで,その前代の史的展開,すなわち伝統科学がどのように発展してきたのか,そして明末清初にヨーロッパ宣教師によってどのように西洋の学問が紹介されたのかを,振り返ってみるべきである。

 中国科学技術史上,漢代には後世の規範となるべき多くの成果が生まれた。魏晋南北朝になると,インドを初めとする西域文明の伝入により,新たな刺激が加わった。唐代中葉より始まった土地私有と土地売買は宋代に加速化し,農業生産は大いに増長した。同時に紡績・製紙・造船・兵器製造等,各種の手工業も著しい進展をみせ,中国古代三大発明に数えられる火薬・印刷術・指南針もこの時期に実際面での応用が大いに進んだ。宋元期の科学技術は,伝統科学の絶頂期を迎えたといってよい。

 明代になると,科学技術の発展という点では,特に天文数学の分野で顕著であったように,宋代に遠く及ばず停滞状況にあったといえる。ところが,明末になると,ヨーロッパのイエズス会宣教師が到来し,西洋の学問,いわゆる西学を積極的に移植しようとした。イエズス会は,西洋科学史においてはコペルニクスの地動説に反対し,中世のスコラ哲学に執着したことで記憶にとどめられているけれども,東洋においては西洋科学文明の啓蒙家としての大きな役割を演じたのである。

 明末清初には,西学の伝入とほぼ同時発生的に実学思潮の興隆が起こった。それがなければ,たとえ宣教師達の努力があっても西学の伝来が成し遂げられたとは考えにくい。また,実学思潮の影響の下で,伝統的な科学技術も大きな成果を上げた。宋応星の『天工開物』や李時珍の『本草綱目』はその代表的な例と言えよう。

 実学思潮が与えた影響を列挙すれば,次の五点である。(一)批判精神(心学への批判),(二)懐疑精神,(三)「経世致用」思想,(四)実測・実験・実証思想,(五)積極的な西学の受容。

 明清時代は,社会の変化という観点からみれば,古い伝統を墨守する中国における近代化の最初の一歩であった,と言えるであろう。しかし残念なことに,決して中国の頑健な社会システムを変えるには至らなかった。そこに,実学思潮の限界があり,中国の近代化は,さらに第二,第三の段階を経て進められなくてはならなかったのである。


中国近代における帝国主義と国民国家――日本のアジア主義との関連において―― 狭間 直樹
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バスチド - ブルギエール