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人文科学研究所所報「人文」第四八号 2001年3月31日発行

夏期講座(2000年度)


「人種」は存在するか

――文化人類学から語り直す――

竹沢 泰子

 「人種」(race)という概念は,「人間の生物学的な特徴による区分単位」(広辞苑)として一般に理解されている。コーカソイド・モンゴロイド・ネグロイドの三大人種群,あるいはオーストラロイドなどを加えた五大人種群などが最もよく知られている。しかし結論から言えば,生物学的概念としての「人種」は存在しないというのが今日の欧米の人類学者間での一般的理解である。日本においても日本学術会議の部会の下に設置され私も関与した「人種・民族の概念検討小委員会」では,最終報告書において,人類集団にみられる変異は連続的なのであり,「現在では,人類集団をさらに人種という分集団に分類する生物学的根拠はないと考えられている」と明言している。

 “race" という用語が人間の出自に関して用いられ始めたのは一七世紀初頭であり,日本語の古来からの「人種」という語が今日的な意味合いで使われ始めたのは江戸末期と言われている。そもそも上記のような人種分類は,一八世紀の近代科学の父祖たちが,身体形質,なかでも皮膚色を重視し,白,黒,黄などの色彩語彙を併用しつつ,人類集団を分類しようとしたものである。しかしその背景には,「存在の大いなる連鎖」,悪魔としてのサルに対するイメージ,旧約聖書の物語の曲解,「白」=善,真実,純潔,「黒」=悪,虚実,汚れなどとする色のシンボリズムなど,ユダヤ = キリスト教世界における伝統的世界観が土壌として存在していた。そして一九世紀に入り,植民地主義の発展にともない,それぞれの「人種」は,西欧人を頂点としたヒエラルキーのなかに位置づけられるようになった。しかし頭蓋骨の容量の差でもって「科学的」に証明されると信じられた人種間の差異や序列も,実際には科学者の偏見に基づく恣意的サンプル操作などによる捏造であったことは,近年グールドなどが明らかにしているとおりである。


コーカソイド,ネグロイド,類人猿の顔面角の比較(19世紀後半)

 世界の非工業化社会の諸地域には,ヨーロッパ人を「赤い人」,あるいは日本人や中国人を「白い人」と認識したり呼称をつけている事例が数々存在する。古典的な人種分類も,あくまでもそのような自己と他者との線引きに基づく極めて西欧中心的な世界観の反映に過ぎないと捉えることが現実に即した解釈であろう。

 「人種」という用語の廃止を唱える研究者が存在することも事実である。が,歴史的な分類・序列化によって生じた「過去の重荷」,そして現存する人種差別の構造や,マイノリティのアイデンティティの問題を考える折,学問的にも,人種を社会的構築物として捉え直す視点が,広く求められていると言えよう。


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