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人文科学研究所所報「人文」第四八号 2001年3月31日発行

夏期講座(2000年度)


インドのイスラーム教徒とカースト制度

――身分の高い「民族」と低い「民族」の分類をめぐって――

小牧 幸代

 平等主義的なイスラームの理念と,人間を生まれに基づいて上下に配列する身分制度としてのカーストのイデオロギーは,互いに相容れない性質のものである。だが,インドのイスラーム教徒の社会には,カースト的な分類とそれを維持する社会慣行が存在する。

 この社会で,社会的に上位に位置づけられるイスラーム教徒は「アシュラーフ」(アラビア語起源の言葉で「高貴な身分のイスラーム教徒」を意味)と総称される。アシュラーフに分類されるのはサイヤド,シェーフ,ムガル,パターンという4つの集団である。これら4集団の名祖はアラブ,イラン,トルコ(中央アジア),アフガニスタンなどの「外国」,つまりインドではない地に起源をもつとされる。

 それに対して,社会的に下位に置かれるイスラーム教徒はインドに起源をもつイスラーム教徒,すなわち改宗前は様々な職能カーストに属するヒンドゥー教徒であったといわれる。アシュラーフではないとされる彼らは,ヒンドゥー教徒のように「伝統的」職業を基盤とした職能集団に属している。例えば,織工,鍛冶屋,大工,石工,肉屋,菓子屋,油屋,洗濯屋,造り酒屋,旅館・飲食店,土器造り,綿屋,仕立屋,染屋,床屋,牛乳屋,腕輪屋,給水,楽隊,吟唱詩人・系図詠み,物乞いなど。

 「アシュラーフ」と非アシュラーフ――「高貴な身分のイスラーム教徒」と,そうではないイスラーム教徒――,両者の区別は民俗語彙における二分法からも明らかである。「身分の高い民族(ウーンチー・コウム)」と「身分の低い民族(ニーチー・コウム)」,「奉仕を受ける人(ジャジマーン)」と「奉仕を提供する人(カミーン)」,「大土地所有者(ザミーンダール)」と「職人(ダストカール)」,「先進階級」と後進階級など。

 このように,インドのイスラーム教徒の社会は観念上,上下に大きく二分されている。その境界を維持するための主要な装置として,両者間には招待・訪問や共食といった社会的交流がないこと,厳格な婚姻規制によって姻戚関係を結ぶことが回避されていることなどの社会慣行をあげることができる。

 このような序列に対して反発はないのだろうか。社会的に下位に位置づけられてきた職能集団は,事実,地位上昇運動を展開してきた。例えば,集団の名称の変更(「高貴な身分のイスラーム教徒」の名称のあり方を模倣),社会慣習の変更(婚姻儀礼や衣服などをイスラーム的だとされるものへと変更),宗教実践の変更(ヒンドゥー教徒の祭礼への参加を断念。イスラーム復興運動に積極的に参加)など。

 ただし,集団名の改称が「高貴な身分のイスラーム教徒」の模倣であるのに対して,社会慣習や宗教実践の変更は「高貴な身分のイスラーム教徒」に対抗するものである。そこでは「高貴な身分のイスラーム教徒」は生まれはイスラームの中心により近いかもしれないけれども現実のふるまいは必ずしもイスラーム的ではない,自分たちのほうがイスラームの教えを忠実に実行している,あるいはイスラームにおいては全てのイスラーム教徒は平等なのであるから「高貴な身分のイスラーム教徒」と自分たちの間に序列はないのだといった主張がなされている。

 しかしながら,このような地位上昇運動は現代インドの留保制度によってブレーキをかけられる傾向にある。留保制度が提供する優遇措置のために,後進階級に分類された彼らの間ではジレンマも生じている。

 さて,現代インドのカースト制度は,果たして古代インドの『マヌ法典』の時代から連綿と続いてきたものなのだろうか。今日の研究者は,「ヒンドゥー教」が「発見」されたイギリス植民地時代に,それが「想像」または「創造」されたのではないかという論を立てる。彼らは一九世紀の資料に遡って,それを実証する作業に取り組んでいる。

 最後に――,ここでは「人種・階級・民族」という今日では当たり前のように受け取られている概念を,その概念が成立した社会背景に立ち戻って再考するというテーマのもとで,現代インドのイスラーム教徒のカースト制度を取り上げた。民族,宗教,カーストに基づく分類は,時代や社会状況に応じて変化するものであり,非歴史的なものではありえない。カースト的地位の上昇運動は,その具体例を提供する。こうした社会内部のダイナミズム,変化を求める動きは,現実にとどまることを知らないのである。


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