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竹沢泰子 | 池田巧 | 真下裕之 | 小牧幸代 |
人文科学研究所所報「人文」第四八号 2001年3月31日発行 | |
夏期講座(2000年度) |
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「故郷でインドを想い眠る」 |
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――前近代におけるインドとイスラーム世界の人的交流―― |
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真下 裕之 |
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題に掲げたのは,十八世紀にインドを訪れたイラン出身の詩人の詠んだ次のような対句の一部である。 毎夜,故郷でインドを想い眠るインドの享楽・歓楽を見たものは皆 ペルシア語で詠まれたこの詩では,故郷に戻った詩人が,かつて滞在したインドの宮廷での楽しき日々を懐かしんでいる。故国イランでは得られない経済的・社会的栄達を,この詩人はインドに見いだしたらしい。 十三世紀以来,イスラーム世界では詩人たちの伝記集が書かれ続けた。「詩人伝」と呼ばれるこのジャンルの文献からは,インドとイラン・中央アジアなどの地域との間で,詩人たちの活発な往来がかいま見える。右の詩人のような例は,けっして珍しいものではない。 そのような移動の前提となるのが,これら諸地域において等しく文化語,公用語として用いられたペルシア語の存在である。ペルシア美文の素養を備えたペルシア詩人たちは,イスラーム政権の文書行政を支える人材として,支配者層の手厚い保護を受けて活動した。ペルシア語を軸にしたこのような共通の文芸文化圏を,最近の研究者は「ペルシア語文化圏」と呼ぶことを提案している。 詩人たちの移動のパターンについて注目すべきなのは,これら諸地域出身の詩人たちがインドに向かう例は数多く見られるにもかかわらず,逆にインド出身の詩人たちが他地域へ向かう例はきわめて少ないことである。この傾向は,十九世紀前半まで変わることはない。そして,冒頭の詩に見られるとおり,インドに到来した詩人たちは,ペルシア語文化圏の他の地域よりも手厚く遇されたのである。 このような一方通行の人材移動の背景について,他地域における政治的混乱や宗教的迫害などのプッシュ要因が主たるものとは考えられず,インド側のプル要因を考えるべきである。詩人伝の記録からは,インドにおいてペルシア文芸の素養を身につけるのは至難の業であったことがほの見える。にもかかわらず,インドのイスラーム政権においてペルシア語は文化語・公用語であり続けた。社会の枠組みを支えるために,外来の有能な人材が厚遇された事情は,このような文化的落差にあると考えられる。 ペルシア文学史においては,十六世紀以降は「インド様式」の時代であり,ペルシア語文化圏のいかなる地域よりも,インドにおいて圧倒的な数のペルシア語文献が書かれた。その生産力は,このような外来の人材の流入によってつねに刺激され続けていたと考えられる。 |
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「人種」は存在するか |
竹沢 泰子 |
西南中国の民族と言語 |
池田 巧 |
インドのイスラーム教徒とカースト制度 |
小牧 幸代 |