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秋田茂 | 井狩彌介 | 船山徹 | 大原嘉豊 |
人文科学研究所所報「人文」第四八号 2001年3月31日発行 | |
共同研究の話題 |
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「図像学」の研究 |
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大原 嘉豊 |
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中国美術の図像学研究班は,発足したばかりの研究班である。着任したばかりの私も早速事務方を勤めることになった。その一方で,班員として研究報告もせねばならない。そこで,研究班のテーマが引っかかってくる。 図像学は,美術史学草創期の,エミール・マールによる西洋キリスト教美術研究に源を発する。彼は,その造形の意味を読みとる解釈学を基礎に,作品を連ねることで,一二世紀から一八世紀に及ぶ壮大なキリスト教の歴史そのものを浮かび上がらせた。その成果は4大部の著作に結実している。学生時代,彼自身の編纂による抄録本を岩波文庫で読んで深く感動した記憶がある。最近,国書刊行会から原本の翻訳がやっと刊行され,早速入手した(まだ読んでないが……)。彼の業績が成功したのは,その素材の良さにもある。様々な説話に彩られた宗教美術は図像学に最も相性のよいものであり,私の専門の仏教美術に関しても,勝れた業績が多く残されている。が,だからといって,やれと言われてなかなか出来るものではない。班員の皆さんが研究発表に際してテーマと折り合いをつけようと苦慮されているのは,宜なることと思う。方法論などというものは,あくまで手段であって,強い動機・目的がなければ研究自体が成立しない。 考えた末,昨年の調査以降気になっていた藤田美術館の伝李公麟筆九歌図を取り上げた。その詳細には触れないが,原本をコピーするという行為の中での写し崩れや変更が,その時代の価値観を反映し,それらの氾濫が李公麟の真の様式実態を歪める一方で,逆にその故に移りゆく時代の嗜好に適合し,彼の名声を拡大再生産していったという点に,興味を感じた。この美術作品のコピーという行為は,そのオリジナルの図像型式自体に価値が認められて初めて存在する。こうした直接的なコピーでなくても,西洋絵画にギリシア彫刻の姿がパラフレーズされて使用される如く,意味内容を一旦措いて,図像型式が一種の造形言語として受け継がれていく歴史を扱うのも,興味深い。美術史は,作品誕生の瞬間の 5W1H の解明に目を奪われ,完成後の受容・解釈の変化が手薄になりがちである。著録類を読みながら,李公麟に対して,彼らが思い描いた様式イメージと,あの傑出した五馬図によって現在の私達が抱くそれとがどの位一致するか,深淵を覗き込むような思いに囚われた。「図像学」という方法的課題に,色々考えさせられる一年であった。 |
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共同研究「帝国の研究」参加記 | 秋田 茂 |
南インドのヴェーダ写本研究班覚え書き | 井狩 彌介 |
検索と出典さがし | 船山 徹 |