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森本 淳生 高階絵里香 岩井 茂樹


開所記念講演会 (2001年度)  


ポール・ヴァレリーと表象の危機

森本 淳生

 

 世界貿易センタービルに旅客機が激突し,ビルが倒壊する――昨年九月十一日におきたテロ事件の映像は, テレビを見ていた少なからぬ人々にさまざまな衝撃を与えた。それにつづくアフガン戦争は,かつての湾岸戦争 のようにニュース映像によって逐一報道されながらも,テロリストや炭疽菌といった「見えない」脅威を相手にす るために,たえず表象不可能なものの存在を意識させるものであった。逆説的に言えば,映画のようにみごとな ビル崩落の映像は,世界を表象することの綻びをシンボリックに表象していた,ということになろうか。

 ポール・ヴァレリー(一八七一―一九四五)は,第一次世界大戦後のヨーロッパを診断した「精神の危機」の なかで,ヨーロッパがもはや自己のイメージを喪失していると指摘した。近代精神はそもそも「断片化」したもの であり,資本主義的な欲望のたえざる運動は,精神のみならず社会のありかたをも「無秩序」なものにしたと言う。 社会を成り立たせている「信用」は危機に瀕している。恐慌は貨幣に対する信用の危機であり,歴史の教訓は もはや未来を見とおす役には立たない。平和という約束事が破られれば,戦争という「純粋な現実」が現れる。 議会制度も官僚組織も本質を欠いた形式的な手続きに終始しているように思われてくる。社会が個人を越えた 広がりを持つものである以上,それはさまざまな表象のシステムに対する人々の「信用」によって成り立っている。 危機に瀕しているのは,この「信用」なのである。

 独裁者が現れるのはそのような時である,とヴァレリーは言う。それは無秩序に対する秩序の要求であり,精神 の抱く明確な自己表象への欲望である。ヴァレリーにとって独裁者は「頭脳」の統一性,「顔」や「人格」の統一性 であった。この独裁は芸術家として,国家という作品を作るだろう。ここにはラクー - ラバルトがナチズムに関して 指摘した「国家唯美主義」と通底する問題意識がある。

 以上のように「表象の危機」のメカニズムを見たヴァレリーは,自己をヨーロッパの表象となすことでこの危機に 対処しようとする。いわば「ヴァレリー」という表象を作ろうとしたのである。それは伝統的フランス語とフランス詩を 保存し,「ヨーロッパ知性」を代表=表象するものであった。そうした演技にヴァレリーはたえずアイロニカルな意識 を持っていたが,それが危機に対する想像的解決でしかなかったこともまた確かなのである。ヴァレリーは解決策 としてではなく,ひとつの問題としてわれわれにつきつけられている。



人文科学研究所所報「人文」第四九号 2002年3月31日発行