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報告書 紀要 所報 (第四九号 2002)
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森本 淳生 高階絵里香 岩井 茂樹

開所記念講演会 (2001年度)  


肖像と記憶 ――横山大観《陶靖節》をめぐって――

高 階 絵里加

    

 横山大観が大正時代に描いた屏風作品のひとつである《陶靖節》(水野美術蔵)は,金地の上の竹林を背景に, 向かって左隻に陶淵明の姿を,右隻に無絃琴(弦のない琴)と童子の姿を描いている。中国東晋時代の詩人である 陶淵明の生涯とその詩は,文人の理想として古今の中国や日本の絵画に繰り返しとりあげられてきた。蕭統の 『陶淵明伝』によれば,詩人は楽器は弾けなかったが無絃琴を一つ持っていて,酔ってよい気分になるとそれを撫で さすり気持ちを表したといい,《陶靖節》はその逸話を絵画化したものである。しかしながら,大観の作品は,本来菊 か柳か松とともに描かれるべき詩人の背景が竹のみであること,また詩人が無絃琴を傍らに置き撫でるのではなく 琴から離れて立っていること,などの点において,伝統的な陶淵明の図像としても,大観がこれ以外に描いた陶淵 明像と比べても,異例である。



「ボストン時代の岡倉天心と横山大観《陶靖節》(部分)」
 

 大観がなぜこのような作品を描いたか考察するにあたり,童子と竹に注目したい。大観作品においては,《無我》や 《村童観猿翁》にみられるように,童子や子供は導かれるべき弟子としての存在を象徴している。そして頬に手を当て うずくまる童子のポーズは,大観も欧州旅行等で知っていたはずの,西洋美術の伝統における「憂愁(メランコリー)」 を表す。また竹については,岡倉天心があるとき松を観山,竹を大観,梅を春草に擬して松竹梅として興がったという 逸話が伝えられており,観山が松,大観が竹を描いた合作がいくつも残されていることからも,大観にとっては師で ある天心との強い結びつきを象徴するモチーフであった。天心と命運を共にすることで絵を生涯の仕事とする決意を 固めた大観は,すでに明治三一年の《屈原》において,官界を追われた孤高の詩人に天心をなぞらえていた。 《陶靖節》が描かれた大正8年は,天心の七回忌にあたる年であり,この作品は師への追悼の思いを込めて描かれた ものと考え得る。大正六年と七年には天心の命日に日本美術院の天心霊社前において荘重な追悼式も行われている。 《陶靖節》の詩人の立姿は,ボストンで写された一枚の写真の中の道服姿の天心像と酷似しているが,自らの立場の 表明として写真に写される自分自身のイメージにかなり気を配っていたと思われる天心自身が,在野の文人として 自己を演出していた可能性も指摘されている。琴の弾けなかった陶淵明のように,天心は自ら絵筆をとることはなかった が,弟子たちの筆に託して新たな伝統としての日本美術にその思想を表明した。亡き師への追悼の念とともにその 後継者としての決意もが感じられる《陶靖節》は,天心の持っている日本近代美術における偉大さを,改めて私たちに 教えてくれる作品にほかならない。



人文科学研究所所報「人文」第四九号 2002年3月31日発行