最新 講演会 研究所 研究活動 図書室 出版物 アーカイブ 目次
報告書 紀要 所報 (第四九号 2002)
随想 夏期講座 開所記念 彙報 たから 共同研究 うちそと 書いたもの 目次
阪上  孝 森  時彦 John Breen

随  想


こぶ付きの半年

John Breen

 背伸びし過ぎた。人文科学研究所で半年の在外研究があれば,せめて二本ぐらいの論文が書けるだろう と思っていた。希望的観測だった。一本で精一杯だった。書いた論文のテーマは文久三(一八六三)年に 十四大将軍家茂が江戸を去って上洛して,孝明天皇に謁見を許された「事件」だった。幕末の歴史をやっ ている人なら誰でも知っている事件だが,それを研究した論文は不思議にも今までに一本もない。それだけ でもやる価値があるでしょう。私は文化人類学で展開した儀礼論を応用して将軍の参内を理解しようと考え ていた。謁見などの儀礼が権力と密接な関係にある,と儀礼論が指摘してくれる。幕末のように朝廷,幕府, 諸候などの権力関係が大きく動揺している時期こそ儀礼論を使って新しい光を当てることができると考えて いた。付属図書館にあった『文久三年記』,宮内庁で見つけた『野宮定効公武御用日記』,日文献にある 『維新史料稿本』などが主な素材となった。なかでも家茂の案内役をつとめた武家伝奏野宮の日記が謁見 を詳細に記録したもので,それを元に儀礼を確実に再現ができた。結論的に言えば,将軍の文久三年の参内 が幕末政治史の一つの重要な――もしくは一番の――転換期をなす,というふうに私が考えるようになって きたのである。原稿にもう少し磨きをかけて『人文学報』にでも出そうかと思っている。説得力のある論旨か どうか,御教示をいただきたい。

今までの在外研究は東京大学の史料編纂所などで過ごしたので,京都ははじめてだった。京都は予想 以上に住みやすくて,京都人は排他的だと言われていたが,その気配がなかった。京都は環境的に抜群 だった。第一,人文科学研究所の方々に歓迎されて直ぐに落ち着くことができた。名指ししていいかどうか わからないが,受け入れ教官を勤めて下さった高木博志さんはいつも研究のことで相談に載ってくださった。 高木さんがいなかったら私の研究がはかどらなかったに違いない。隣の研究室に幕末維新史の大権威 でもある佐々木克先生がいて,史料などの面で大いに助けていただいて,先生の斡旋で明治維新史学会 で研究報告もできた。その他,横山先生,落合さんから多くのこと教えていただいた。人文は実に恵まれ た環境で,感謝している。

 私は独りでなく,こぶ付きで京都入りをしたので,研究一辺倒というわけには行かなかった。富山出身の 妻,千賀にとっては数年ぶりの日本滞在だったし,存分に京都を観光して,友達もできて,それから実家 の富山も直ぐ――相対的に直ぐ――だった。三男(一二歳)の Nicholas は物心がついてから始めての 日本旅行だった。Nicholas は修学院小学校に入れてもらって,すぐに友達を沢山作ったし,どういうわけ か勉強をほとんどしなくて済んだ半年だった。最初,日本にきたくない,とさんざん文句を言っていた息子 は半年して日本を発つ頃となったら,日本がいい,イギリスに帰りたくないとまで言っていた。次男の Simon(一九歳)も一緒だった。九月から年末まで京都の全日空ホテルでバイトをしていた。ホテルで彼女 ができて,私達と一緒に日本を発つ計画をしていたのが棚上げとなってしまった。しあわせなものだ。

 私達 Breen 家にとっては京都での半年は一生忘れない,貴重な経験だった。研究にしても,何にして 京都がいい,京大がいい,と全員で考えている。是非また来させて下さい!


人文科学研究所所報「人文」第四九号 2002年3月31日発行