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報告書 紀要 所報 (第五三号 2006)
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冨谷至 岩城卓二 王寺賢太 古松崇志 原田禹雄


人文科学研究所所報「人文」第五三号 2006年6月30日発行

所のうち・そと


つまらなかったNHK「新シルクロード」

冨 谷  至    

 昨年二〇〇五年からほぼ一年をかけて、NHKでは、日曜日にスペシャル番組「新シルクロード」を放映した。

 高い人気をほこり、今でもあの喜多郎のテーマ音楽と共に記憶に残っている「シルクロード」が放映されたのは、もう四半世紀まえの、一九八〇年だった。一九七九年に西安に滞在していた私は、第一回目が西安だったこともあり、大変興味をもって見ていた。西安の西門から出発していくシーンをいまでもよく覚えており、また白龍堆をこえて楼蘭王国(LA遺跡)に辿り着き、水のないロプノールを映し出し、最後に臨場感をもってミイラを発掘するその演出効果に魅せられた。シルクロードって面白いなあ、というのが正直な感想であり、以後、スウェン・ヘディン発掘文字資料にかんしてスウェーデンとの共同研究をおこなったのも、あのNHK「シルクロード」が与るところ少なくなかった。「NHKシルクロード」は、放映後、何種類かの書物として出版され、またビデオも発売された。やがて、阪大の教養部に移った私は、しばしばそのビデオを教材に使って授業をおこなった。東洋史にはあまり興味のない理系の学生を相手とした一般教養の授業には、「目で見るシルクロード」は、実に効果的であり、おかげで授業はやりやすかった。

 一九八〇年の「シルクロード」は、専門家、とりわけ中央アジアを専門とする研究者には、あまり高い評価を得たものではなかった。いくつかの考証に誤りがあり、またことさらロマンを駆り立てるその構成は、シルクロードを研究するプロにとっては、成る程手放しで褒められるものではなかったことは、確かであろう。私もそれは認める。しかし、そういった瑕瑾はあっても、やはりあの特別番組は、他の番組とは比較にならないほどよくできたものだったと私は思う。億という制作費をかけたからであろうか。

 そして半世紀後、「楼蘭王国」をその第一回目とした「新シルクロード」が始まったのである。しかし、それははっきり言って、私には面白くない、詰まらない、退屈した、興ざめしたものだったと言わざるをえない。何故だろう?

 その一つは、四半世紀まえには、「残された最後の秘境」であったシルクロードの各地が、もはや秘境でもなんでもない、その気になれば誰もが行ける地になってしまったからだろう。あの楼蘭とて、観光地となり、八〇年代の撮影隊が遭難しかけ、結局はたどり着けなかったダンダンウイリクも、別に今回の撮影隊がスタイン以後、初めて足を踏み入れた場所ではなくなっていた。初回のシルクロードのおかげで、秘境はなくなってしまったのだ。

 第二点は、初回の企画は、それなりの調査、研究をふまえていた。このたびの企画は初回の物珍しさという効果が期待できないことからして、いっそうの製作努力をせねばならない。にもかかわらず研究、調査不足であり、それを小手先の演出で片づけようとした。たとえば、コンピュータでの再現、フィクション仕立てという。これが実に陳腐で、またいい加減なのだ。はぎ取られ、戦火で灰燼に帰した壁画をデジタル画像で再現する、古代楼蘭人(それが、いったいいつの時代のことを言っているのかすらはっきりしなかったが)がロプノールの地に農耕をおこなったこと、敦煌北窟の一人の僧侶、そしてシルクロード放映時に発見された遣唐使井真成、番組はそれらをいわばフィクションとして再現する。しかし、これらは、それほど深みのあるものではなく、見るものに感動をあたえない。少なくとも私には、さほど面白いものとは思わなかった。とくに、フィクションは見ていて白けてしまった。「新シルクロード」は、とても授業にはつかえた代物ではない。

 また何を視聴者に訴えようとしているのか、焦点がぼけてしまっている。西部大開発なのか、地球温暖化なのか、シルクロードの歴史なのか、新出の考古遺物の発見なのか? その何れもが中途半端で、見るものをして退屈させるのだ。

 「企画・制作者は、もっとまじめに勉強すべきだ」、要はこの一言につきる。


小中学校教員を養成すること 岩城 卓二
晴れた日の朝には自転車で 王寺 賢太
二○○三年春北京にて 古松 崇志
奨励賞を受けて 原田 禹雄