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報告書 | 紀要 | 所報 | (第五三号 2006) |
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冨谷至 | 岩城卓二 | 王寺賢太 | 古松崇志 | 原田禹雄 |
人文科学研究所所報「人文」第五三号 2006年6月30日発行 | |
所のうち・そと |
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二〇〇三年春 北京にて |
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古 松 崇 志 |
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二〇〇三年三月三〇日、わたしは初めての在外研究のために北京へと出発したが、かの地では、新型肺炎SARSの流行がすでに始まっていた。四月に入ると、感染力の強い肺炎は爆発的に広がっていったが、中国政府は恐慌を避けるべく、二〇日まで一貫して事実を隠蔽しつづけた。だがこの間、多くの北京市民は携帯メールやインターネット掲示板などを通じて、北京で異常な事態が進行しつつあることを知り始めていた。同時に情報は錯綜し、さまざまなデマも流れた。SARS感染を抑えるために、北京を封鎖するという話がまことしやかに語られ、スーパーなどで人々が食料品を競って買い求めるパニックも目の当たりにした。感染を防ぐためのマスクが飛ぶように売れ、街の店頭からはマスクが消えた。このときこの国の新聞・テレビなどの報道機関が、まったくもって政府に統制されていることを改めて実感させられたが、同時に、都市部での携帯やインターネットの普及によって、中国政府が旧来型メディアを通じて情報を完全にコントロールすることはもはや不可能な時代となったことも知った。二〇日の政府記者発表を境に、感染抑制の措置が採られ始め、至る所で消毒液の臭いが立ちこめるようになった。公共施設は閉鎖され、多くの会社も休みになり、完全に非常事態に入った。人々は家にこもるようになり、走っているバスはがらがらで、閉店に追い込まれるレストランもあった。 |
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文献調査をする予定だったいくつかの図書館はみな閉鎖になってしまったし、フィールド調査旅行を行おうにも鉄道などに乗って北京を出ることを禁じられてしまったから、まったく仕事にならないということで、やむを得ず五月初旬に一時帰国することにした。日本に戻ると、各マスコミが、これ見よがしな中国批判もあいまって、SARSについてセンセーショナルな報道をこぞって行っていた。そして報道の多くは決してSARSという疫病についての正確な情報を伝えることを目的とするものではなく、大衆の興味を引き、恐怖をあおるものであった。SARSについて多くの日本の人々は無知であった。五月に起きた京都・大阪での台湾人旅行者をめぐる騒動はマスメディアの無責任と大衆の無知をさらけ出した事件であった。数日前に感染疑いのある旅行者の通った場所はみな徹底消毒が行われ、風評被害で誰も来なくなり大損害を被ったのである。そうした報道の結果か、中国からやって来た人間に対してはある種の差別、偏見のごときものも広がっていったし、わたしたち自身直接に味わったこともあった。 家族で初めて過ごした外国生活はSARS騒動の渦中に身を置くという衝撃的なものとなったが、日中両国のメディアや社会がかかえるそれぞれ異なる問題を、身をもって考えさせられる機会を得たことは、今となってはよい経験だったと思っている。 |
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