「六祖慧能は実在する」といまさらながら,若い友人に話しかけたところ,かれは反論した「先生,そんなこと言っても,いまだ,かつて六祖慧能の実在を疑った人は,いませんよ」と。たしかに,その通りだが,しかし他方,近代の敦煌禅文献の発現ととも急速に進展した文献批判の結果,『六祖檀経』をはじめとする諸史料が,ほとんど完全に疑わしくなってしまって,六祖慧能の実像が,ぼやけてしまったことも確かだ。あたかも六祖慧能が実在しなかったかの如くに,黙殺されている。
北朝後半期以来の仏教思想史の根幹の動きは,『大乗起信論』の一心の哲学に帰結する,その一心の哲学は,北宗禅の一心の禅定修行へとつながる,と思想史の事実を確認してきて,いま,六祖慧能が,敦煌出土の『神会語録』の影にかくされているようでは,本当に困る。六祖慧能のところで根本転回が転回しているのでない限り,宋之問,王維,杜甫における唐詩の成立も,呉道玄,王維などにおける水墨山水画の成立も,理解できなくなる。まして南嶽懐譲から馬祖道へ,青原行思から石頭布遷へと伝心された南宗禅も,始源が喪失されてしまう。六祖慧能において転回した根本転回を,歴史事実として理解するには,どうすべきか。いかに断片的であろうと,歴史事実を一つ一つ確認していくより他ない。そうすれば,風幡問答も,則天武后の招請も,おそらく伝衣も歴史事実になるだろう。そして『祖堂集』に伝えられた六祖慧能と弟子達との問答の言葉も,実録であるにちがいない――それらによって六祖慧能において「空」であるとさとることによって根本転回して,近世文化を創造する根源のコミュニケーション,「説法」(即「仁」)の場が開けている,というところまで,共同研究の結論を究明していきたい。
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