「テクストの政治学――危機の時代における理論と批評」という共同研究班を,この四月より新しく発足させた。研究班のタイトルとしては,いくぶん座りの悪い名称ではあるだろう。ここに掲げられているのは,「テクスト」に重層的に刻印された「政治性」を読み解いてゆくという作法,要するに研究のスタイルであり,内容ではないからだ。
もとより共同研究であろうとする以上,扱うテクストの範囲もある程度は限定されていなければならない。この研究班が対象としているのは,二〇世紀前半に登場した哲学や社会理論,さらには科学論や文芸批評のテクストである。この時期に広く流通した「ヨーロッパ諸学の危機」や「近代の超克」といった〈脱―近代〉の言説のうちには,〈近代〉が自己を否定することで延命を図るというねじれた構図がみてとれるのではないか,そしてそこにこそ〈近代〉に固有の思考の回路を探るべきではないのか,と考えたのである。
これまでのところは,主に三〇年代の日本のテクストを読みついできた。保田與重郎の悪文に頭をひねったりしてもいる。テクストの選定からして手探りの状態だ。とはいえ,そうした試行錯誤のなかからこそ新たな問題が見えてくるのではないか,という思いがないでもない。〈発見術〉という古風な人文学のスタイルを実践してみよう,というわけである。うまくいけば新しい星座が見つかることもあるだろう。この研究班にもう少し気のきいた名前が与えられるとしたら,あるいはその時なのかもしれない。
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