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報告書 | 紀要 | 所報 | (第四五号 1999) |
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吉川忠夫 | 勝村哲也 | タカシ・フジタニ | ピエール・バイヤール |
人文科学研究所所報「人文」第四五号 1999年3月31日発行 | |
随 想 |
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オイシイデス |
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ピエール・バイヤール |
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今回,六ヶ月間日本に滞在する機会を得て,ずいぶんいろいろと面白い経験をした。四歳の息子にとっては電車とテレビ・アニメ(彼は叡山電車と新幹線とパワーレンジャーをこよなく愛した),一歳半の娘には日本で見るさまざまな動物がとくに興味深かったようだが,父親もまた多くを学んだ。そのひとつが「オベントウ」の作り方である。私は,妻が仕事の都合で娘を連れてフランスに帰国したあと,一ヶ月半ほど息子と二人だけで暮らしたのだが,そのあいだ幼稚園の指示にしたがって数回弁当を作った。かなりうまく作れるようになったと自負している。この経験は将来かならずやいろいろな機会に生かされることだろう。 日本人の(とくに女性の!)親切に何度もふれたことも印象的だった。ある雨の日,息子と連れ立ってバスに乗っていたときのことである。息子は込み合ったバスのなかで傘の骨を折ってしまい,悲しそうな顔をしていた。ところが,バスを降りたとたん,停留所近くの売店の女性が駆け寄ってきて息子に子供用の傘を差し出したのである。また別の日,今度は自転車に乗っていて雨に見舞われた。私と息子が軒下で雨のやむのを待っていると,目の前に一台の車が止まった。なんと家まで送ってあげよう,しかも二台の自転車もいっしょに運んであげようというのである。 |
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日本語にまつわる経験も忘れられない。私は今回の滞在で日本語がかなり上達したと勝手に思っているが,もともとゼロからの出発なのだから当然といえば当然である。しかし会話はむずかしい。なまじっか最初の受け答えをうまく切り抜けると,相手はこちらが相当話せるものと勘違いしてまくしたてはじめる。こちらはこちらで,相手の言うことがさっぱり理解できないまま,乏しい知識を総動員して必死でしゃべるので,そうなるともうちんぷんかんぷんである。二つのモノローグといったところだ。それぞれが一所懸命,別々のことを話しているのだから,第三者から見たらさぞかし奇妙な光景であったにちがいない。 こんなこともあった。ある日,私は人文研の近くのレストランに入った。メニューが読めないので,若いウェートレスに説明を求めたが,それでもよく分からない。私はしまいにメニューに書いてあるひとつの料理の名を指差し,「オイシイデスカ?」と訊ねた。するとウェートレスは少し困った顔をして,「チョットマッテクダサイ」と言い残し,厨房の方へと消えた。見ると女主人とおぼしい女性となにか話している。しばらくして戻ってくると,今度はきっぱりと言ったのである。「オイシイデス!」 |
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(訳・大浦康介) | |
私的な私的な話 | 吉川 忠夫 |
バーチャル・ネイバーフッド | 勝村 哲也 |
日本・沖縄・朝鮮 | タカシ・フジタニ |