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人文科学研究所所報「人文」第四七号 2000年3月31日発行

共同研究の話題


ポルノグラフィー研究

大浦 康介    

 「ポルノグラフィー研究」と銘打った研究班を発足させてからもうすぐ一年になる。これはもともと田中雅一さんと「やろうよ」「うんやろう」といったノリで二,三年前から話していたものが,確たる方向性も定めないままとにかく走り出したものである。

 ただ僕は僕で(そしておそらく田中さんは田中さんで)期するところがなかったわけではない。僕の場合は直接的には数年前からのサド研究がきっかけだが,それ以上に,人類学の人たちと少しつきあってみたいというのがあった。ソルボンヌでパリ第三大学の比較文学研究グループとCNRSのCRALが共同で推し進めている研究プロジェクトに「文学の人類学」というのがあって,その集まりに僕も何度か出させてもらったが,そこから受けた刺激もあった。

 他分野のことは分からないが,文学研究を長くやっていると知らず知らずのうちに一種の反射神経ができ上がってしまう。コーパスのとりかたや資料の「料理」のしかたがパターン化する。これを「メチエ」と呼ぶのだろうが,半面では硬直化である。材料が違っても料理の仕方が同じではやがて飽きがくる。飽きがくるだけならまだいいが,肝心の想像力が枯渇する。

 人文研というのは,このように硬直しかけた関節を異分野の人にほぐしてもらうのに恰好の場所である。「ポルノ研」(あまり省略して呼びたくはないが「ポル研」などという人もいる)には幸い文学,人類学以外にも,社会学,美術史,医学史などの専門家に集まってもらった。むしろ関節がほぐれすぎてふにゃふにゃにならないよう気をつけるべきかもしれない。話題が話題である。

 たとえばこういうことがある。『セクシュアリティーの歴史社会学』を書いた赤川学さんがゲスト発表をしてくれたときのことだが,彼はオナニーにかんする明治期以降の言説状況を正確に把握するためのデータの網羅性の必要を説いた。当然である。しかし文学研究者ならそこは少数の「特権的」あるいは「兆候的」テクストの分析で済ませてしまうところだろう。目指すところが違うといえばそれまでだが,そうとばかりもいえない(文学研究者のなかにも「歴史家」はいる)。この反応の違いの理由はいろいろあるだろうが,ひとつは文学研究者が「怠けもの」だからである。意味深い,味わい深いテクストだけを読みたいからでもある。

 こうして異分野の人との交流は,自身の「偏向」に開眼する契機でもある。もっとも僕がここで語っているのは,文学研究者一般ではなく,たんに僕個人のことなのかもしれないが。


無言をめぐって 横山 俊夫
宴の後,言葉の森 宇城 輝人
中国共産党史の今日 江田 憲治
「訳経僧伝」研究班のこと 真下 裕之