一九九八年度から二〇〇一年度までの四年間にわたって組織された「十六・十七世紀アジアにおける言語接触」
班では,一九九九年度から Doctrina Christiana の一五九三年タガログ語版の会読に取り組んできた。この文献の
背景には大航海時代以降のアジアにおける大規模なキリスト教の布教がある。ヨーロッパの言語と東・東南アジアの
言語が初めて体験した大がかりな接触,その最初期のものが本研究班のテキストとして選ばれたのである。この
タガログ語版解読の手がかりとして,ほかにスペイン語版・ポルトガル語版や,ほぼ同時代に翻訳された日本語版・
ペルシャ語版・中国語(■南方言)版など多種類に及ぶテキストが用意された。班員の国籍も日本の他フィリピン・
ルーマニア・ドイツと多様な上に,それぞれの専門も中国語学・キリシタン語学・キリシタン文学・東西交渉史学と多岐
に渡っている。研究班では,各々が専攻する分野をふまえ,得意とする角度からタガログ語版の解読に取り組んでき
た。
一通り日本語訳が終わったところで,二〇〇一年の秋からは,報告書作成へ向けて訳注の見直しをすすめ,同時
に本国フィリピンに成果を還元するためにテキストの英訳を並行して行っている。そこで改めて,原文を解読する(で
きるだけ原文に近い日本語におきかえる)作業と日本語に翻訳する(できるだけわかりやすい日本語に直す)作業が
全く次元を異にしていることに思い至った。解読の段階では,元々のタガログ語の構造に忠実に訳すことを原則とし
ていた。そうすることによりタガログ語版とその元になったスペイン語版との相違や言語接触の様相を解明することが
できるからである。この原則は,発音・語彙・文法のすべての面に及ぶ。例えば発音を反映させた外来語の表記につ
いて。タガログ語版では,固有名詞やタガログ語に翻訳できなかった概念は,スペイン語でそのまま表記されている
が,これらについては我々の日本語訳でも原則カタカナで表記することにした。タガログ語の音韻を考慮し,例えば,
地獄という意味の infierno は「インペルノ」と表している。語彙・文法に関しては,タガログ語と日本語の構造の違い
により,日本語に置き換えるのに苦心した。例えば,「クリスティアノたちの信仰の基礎,十四項目」の一節には,「わ
れわれの主なるセス・キリストが,まだ生んでいないときも生んだあとさえも,本当のビルセンである,本当のビルセン,
サンタ・マリアに生んでもらったことを信じなさい」という訳がある。このような訳文を,原文の構造を活かしながら,
日本語として通用する表現にどう変えていくか,頭を悩ませるところである。
スペイン語からタガログ語へ,当時の訳者たちが頭を悩ませていたであろう言語接触の原点に,僅かながら私た
ちも立ち会えたような気持ちでいる。
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