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報告書 紀要 所報 (第四七号 2000)
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人文科学研究所所報「人文」第四七号 2000年3月31日発行

所のうち・そと


一・一七が今伝えるも

竹沢 泰子    

 阪神淡路大震災から五年を迎える前日の日曜,私は火災による犠牲者の最も多かった長田の鷹取からモニュメントのある三宮まで歩くという神戸愛(・人)ウォークに参加し,私の生まれ育った街を違う目で見てみた。長田には定住外国人の調査で度々訪れている。三宮はいつも通るところだ。けれど全行程を歩いて再々確認したこと,それは「復興」をめぐる東の三宮と西の長田のあまりにも大きな落差だった。鷹取を歩き始めて眼前の風景に異様を感じた。それは新築の家の垂直・水平の線と古い家の傾斜線,舗装された道路の平面とひび割れた道の凹凸の混在だった。

 国道沿いの入り口から入った菅原市場は,プレハブばかりでほんの数十メートル。全部シャッターを降ろしたままだ。震災後テレビで元気な立ち直りを見せたかにみえた菅原市場も,今は転業廃業,残る五店がスーパーを同じ場所につくるという。そしてその出口から先に広がっていたのは,あたり一面の更地だった。ポツンポツンと小さな新築の家と基礎工事。人が戻っていないのだ,ここには。

 長田の街には,焼き肉屋,ケミカルシューズの小さな作業場,三菱や川崎重工の下請けの鉄工所が多い。そんな街のなかに朝鮮学校もある。コリアンやベトナム人,被差別部落といったマイノリティの多い街。震災直後から次々に長田では新たな「外国人」支援のNGOや多言語放送のFMなどが生まれたが,長田は神戸の街の「多文化共生」の最先端の実践場となってきた。震災の折の国籍の壁を越えて見られた住民同士の助け合いは,国が超過滞在の外国人犠牲者の家族への弔慰金を拒むなど差別を設ける一方,外国人も同じ「地域住民」との意識を強めた。そして,住民,NGO,県・市の自治体と下から押し上げる形で援助し,隣人の外国人に対する大きな意識変革をもたらしたと言っても過言ではないだろう。そんな「共生」が,ユートピア化はできないにしても,日常的実践となっていることを,街を歩きながらも感じた。

 小雨の中歩く長田の行程のあちこちで,自治会の人々がテントをはって温かい飲み物の差入れをくれる。トイレを開放してくれる。土地を出し合って広げられた道。話し合いから出来た新しい集合住宅。譲った残りの小さな土地に私財で建てられた母子像と泉。震災の後に生まれたものはそこにもあった。

 神戸の人は不思議なほど前向きだ。あの日以来,国内外を問わず,災害に神戸のボランティアがいかに活躍してきたかは我々も知るところだ。語られる美しすぎる言葉に半ば懐疑的だった私も,五年の歳月を振り返るさまざまな機会に接して,前向きな人達の声がそうでない人達の声をかき消すほど強く,一歩一歩地獄からはい上がってきた後にこそ見せるやさしさなのだと悟った。人々のきずな,思いやり,助け合い…… 彼ら・彼女らがいう,一・一七から明日へと伝えたいもの,世界へと伝えたいものを確かに垣間見た気がする。


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