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人文科学研究所所報「人文」第四七号 2000年3月31日発行 | |||
所のうち・そと |
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親碗を叩く |
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岡本 稲丸 |
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絵巻物や風俗図の隅に,当時の障害者の生活が窺えますが,外見に現われない聴覚障害者を探すのは難儀です。その点江戸時代の大部な百科事典『和漢三才図会』巻十「人倫の用』(一七一三)に図版入りで各種の障害者が紹介されます。ろうあ者「(おふし)」は碗を叩いて門付する乞食姿。百年後一茶の「時雨れるや親碗叩く唖乞食」(文政二年句帖,典拠本は「親椀ヌ:ぢ」)もそのままで,近世ろうあ者の姿が偲ばれます。 ところで聖書もそうですが,法華経も障害者には残念な資料です。第三章に当る「譬喩品(ひゅぼん)」に「この経を謗るが故に罪を獲ることかくの如し」とし,要約するのも大変ですが,死後は阿鼻地獄から堕落,流転,地獄を出れば畜生に堕ちていじめ殺され,蟒(おろち)に生まれ変ると小虫に虐(すす)られて死ぬ。人に生まれても,躄(いざり),背傴(せむし),盲,「生まれながら輒(すなわち)聾・にして諸根(感覚や意識)を具せず」等,障害は不信心の応報と口を極めて説かれます(岩波文庫『法華経』上)。 水子を免れた障害者は,村の農作業や巷の徒弟として共同体に養われて働きましたが,仏様に見離され,飢饉等に徒食を責められて,脱落の他ありませんでした。薬も無かった昔,障害は他人事でなく,誰しも安心立命に仏の名号を唱えた時代です。ことばの不自由なろうあ者は鉦や碗の音色に,自らは掌の振動に信仰の証をこめて,社会に自己の承認を求め,人々はそこに施しの機縁を得て,他の障害ともども当時の秩序があったといえましょう。 そのような乞食仲間の命の保障となる心の交流,施行の情報,乞場の協定,他の障害者仲間や施主との交渉等に,手話や通訳は必需で古代にも遡りましょう。精査するうち国宝豊国祭礼図屏風(一六〇四)の施餓鬼部分に,手話シーンとみてよい情景を発見できました(次頁図版参照)。 |
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手話の情景(推定)国宝「豊国臨時祭礼図屏風」(徳川黎明会蔵) 慶長9年(1604)秀吉七回忌の施餓鬼部分 指に視線を合す人々。手話とみて今日流に解説すれば“明日行く”でしょう。 |
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