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報告書 | 紀要 | 所報 | (第四九号 2002) |
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麥谷 邦夫 | 田中 雅一 | 竹沢 泰子 | 船 山 徹 | 古勝 隆一 | 菊 地 暁 |
所のうち・そと |
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国連反人種主義世界会議に出席して |
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竹 沢 泰 子 |
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二十一世紀の幕開けをあまりに暗く悲哀なものとした「9・11」が生じたのは,南アフリカのダーバンで開催された国連 反人種主義世界会議が,人種主義・人種差別撤廃を宣言して閉幕した僅か三日後のことであった。テロ行為の野蛮性は 問題外として,その根本的問題の一つであるパレスチナをめぐるイスラエル・アメリカとイスラム圏アラブ諸国との対立は, 人種差別の撲滅を目指して連帯するはずの会議で相互の憎悪が一層表面化したと言わしめるほど,深く深刻なもので あった。シオニズムを人種主義の一形態として認めるか否か,それが奴隷制に対する賠償問題と並び,今回の世界会議 の最大の争点であった。大混乱の末の最終宣言では,イスラエルという名指しを削除し,パレスチナをめぐる双方の迫害 を列挙して人種主義を戒める内容となった。しかし真の合意からはほど遠く,双方に不満を残す結果となった。 私自身は国際人類学民族学連合のパネリストとして出席したのだが,私の予想以上に,過去の帝国主義・植民地主義 から今日のグローバリゼーションに至るまで,アメリカや他の西洋諸国に対する第三世界の反発は熾烈なものであった。 あるパネリストの一人が,「安い材料,安い労働力は,ここアフリカから彼らは得たのだ」と叫び,会場が拍手喝采で応え たことが印象的であった。 アパルトヘイト廃止を勝ち取った南アフリカが開催地となったのは象徴的である。しかし南アがこのような世界会議の主 催国になるには早熟すぎたという現地の声もあった。近代都市ダーバンでさえホテル数が圧倒的に不足し,会場から四〇
―五〇キロ離れたB&Bに回された客も多かったし,エクアドルの知人の男性グループは白昼ホテル前でナイフでシャツ を切られ,財布を奪われたそうだ。南アフリカの現在の失業率は四十七%だという。黒人居住区と呼ばれる地域に案内し
てくれたガイドは,アパルトヘイトの後遺症で今も多くの黒人が苦しみ,日々糧を求めてギリギリの生活を強いられている 人々は,犯罪に走るか精神病に陥るかどちらかだという。南アは他のアフリカ諸国に比べれば比較的裕福な国とされる。
しかしそれは平均値であって,ブラジルと並んで世界でもっとも貧富の格差の激しい国でもあるのだ。 インドのダリット(被差別カースト)に対する差別を「レーシズム」と認定するように訴える行進
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