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報告書 紀要 所報 (第四九号 2002)
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所のうち・そと


日本人らしからぬと言われて

古 勝 隆 一

  二〇〇〇年四月から十ヶ月間,台湾の中央研究院,歴史語言研究所に訪問学者として籍を置く機会を得た。伝統ある この研究所は,外国人学者に対してこの上もなく寛大であり,私の如き駆け出しにまで研究室を貸与してくれるのである。 若手の場合,一部屋を同性の二名で利用するのが原則らしいが,国籍の異なる人と同室になることも多い。私の室友は, アメリカの大学院で学ぶマカオ出身のLさんであった。

 いま思い返しても愉快な人であった。台北についても研究所についても,ほとんど知識を持ち合わせていなかった私は, 知りたいことのすべてを彼に問うた。彼自身,台湾に来てまだ数ヶ月であったにもかかわらず,細大漏らさず何事もよく 把握し,適切かつ面白く教えてくれた。彼が話す広東なまりの北京語は不思議とよく理解できた。

 ある日,街に出るために彼とともにタクシーに乗ると,運転手が「君たち香港人だろう」と声をかけてきた。Lさんは笑いな がら,即座に「そうそう」と答える。彼と私が同郷であったとは知らなかった。楽しいひとときに感じられた。

 しばらくして彼はアメリカに戻っていった。それまで彼に頼りきりであった私は,少し自立せねばと考え,積極的に市内に 出ることにした。生来,出不精ではあるが,好きなところに行くくらいは私にもできる。書店等を中心に歩き回った。

 台湾には気さくな人が多く,街で話をする機会も乏しくはない。彼らは私にこう言うのである,「君は香港人でしょ」。 初めのうちこそ,Lさんとタクシーに乗った時のことを懐かしみもしたが,こう皆が口を揃えるからには必ず何か理由がある のだろう。まず十回のうち八,九回は間違われた。残りは,お見事,日本人と言い当てる。それは大方,日本人相手に商売 する,日本語の達者な人たちであったが。

 間違われるたびに訂正した。納得してくれる人もあったが,多くは「あまり日本人には見えない。やっぱり香港人に似てる ね」と主張して不審げなまなざしを返す。終いにはうち消す気も失せた。なぜそう見えるのか。研究所の友人たちに聞いた が,「香港人には見えない」と言うのみで要領を得ぬ。

 ある時,気のおけない先輩,Z兄に意見を徴した。口がよいとはいえない彼は「それはひどい。『天不怕,地不怕,就怕 老広説普通話』ということわざ知っているか」と苦笑。天もおそれず,地もおそれず,げにおそろしいのは広東人の話す 標準中国語,と。

 ただ,誤解無きように言うが,もちろん,香港・マカオ人を含め,多くの広東人は私などよりはるかに流暢な標準中国語 を話す。いま思えば,テレビを見て修得したというLさんのそれも,味わい深いものであった。


hr> 人文科学研究所所報「人文」第四九号 2002年3月31日発行