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報告書 紀要 所報 (第四五号 1999)
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人文科学研究所所報「人文」第四五号 1999年3月31日発行

所のうち・そと


二度目の台湾訪問で感じたこと

籠谷 直人    

 一九九八年一一月一五日から一九日の五日間に台湾の「中央研究院」Acadenia Sinica で開かれた,第九回「太平洋科学協会期距間大会」に参加した。主催機関は同院の「台湾史研究所準備処」Institute of Taiwan History Preparatory Office. 社会科学,人文科学,自然科学などをすべて含めての国際会議で,その開催は台湾史研究所準備処が独立した研究所になるための実績造りの一環だという。

 私の報告は,一一月一七日の午後,S―3―1の Asian Business and Taiwan : AHistorical Perspective のセッションでおこなった。司会者は,同準備処長の女性研究者の劉翠溶先生。大会に参加して思うのは,日本の学会と比較して女性のスタッフ多いこと。私たちのセッションや,懇親会などで挨拶する同院の研究スタッフの半分近くが女性であったことは印象的だった。

 台湾への訪問は,一九九七年一一月に訪れてから,今回で二度目。今回の報告は,その最初の台湾訪問で収集した「戦前期南洋華僑関係資料」を基礎にしたもの。資料の多くは台湾総督府の刊行物だったが,日本ではみられない希少な文献資料だった。資料を収集した対象機関の,台湾大学研究図書館,同大学法学院付属図書館(旧台北高等商業学校),中央図書館台湾分館などがいかに資料の宝庫であるかを痛感した(台湾大学研究図書館に所蔵されている「戦前期南方関係コレクション」については河原林直人氏(大阪市立大学大学院)が仮目録を作成され,利用が可能)。今回の報告参加は,そのときに協力してもらった中央研究院や台湾大学の諸先生への「お礼」も含意してのものだった。

 自分の報告日以外は,もう一度,これらの図書館をまわりながら,資料収集と街の見学に時間をつかった。台湾大学と台湾師範大学のある大安区から,その西の中正区に移動して台湾大学法学院(中正区の東)に行き,さらに西の万華区に入り,最後はふたたび東に向かって大安区北部の中央図書館台湾分館に移動するコースをたどった。万華区ではいつも見学を勧められていた龍山寺をたずねた。林満紅先生(中央研究院近代史研究所)の解説では,この区は日本統治時代の風景をいまでも残しているところで,日本や中国福建省と取り引きしていた台湾商人の店が多くあったところだったという。地図で確認しても,広い道路が碁盤の目のように位置づいている大安区や中正区と違って,細い路がやや込み入ったかたちで位置づいている気がする。

 大安区と中正区を歩きながら気になるのは,自動車とバイクの利用の多さとそれらのスピードで,とくにバイクの多さには驚いた。学生も主婦も自転車を多く利用する百万遍の風景はここでは見られない。とくに小さな子供をバイクの前部にのせた女性の利用者を多くみかける時,ここでは買い物用自転車がバイクに代替している印象を受ける。台湾では,モータリゼションが急速に浸透したことを伺わせる。それだけに路も狭くて,自転車の利用者を見かけた万華区には親近感をもった。

 自動車の多さに対応して大安区と中正区の道路幅はかなり大きなものだったが,それに比べて歩道の整備は遅れていた。歩道には場所ごとに段差がある。これは,言い方を変えれば,車椅子での移動は極めて困難な歩道ということになる。会議で同席した社会地理学専攻の方にきくと,こうした街のインフラの問題は,台湾の輸出志向型工業化が背景になっているという。対アメリカ合衆国輸出の拡大によって膨大な外貨を稼ぎ出す経済は,どうしても内需への関心は副次的になる。モータリゼションとともに大衆消費社会をつくりだしたとしても,輸入代替型工業化をたどった国と,日本の植民地時代には第一次産品輸出経済であり,戦後は輸出志向型工業化をたどった経済国とでは,インフラへの関心に差が出てくるという。その国の経済の型とインフラの様相の問題を考えた。

 もう一つ印象に残ったことは,街のなかには持ち返り用の料理品店が多く立ち並んでおり,多くの女性客が買い物に訪れ,いたるところでにぎわいをみせていたことだった。買い求めるものは調理用の食材ではなく,すでにでき上がった料理品,つまりテイクアウト品であった。これは言い方を代えれば,京都高島屋の地階「食料品売り場」が,地上にたくさん現われたような風景である。こうした風景がたちあらわれるのは,女性の有職率の高さを背景にしているという。すこしでも家事労働を省略しようとする社会の合理的な判断の結果であった。それゆえ朝食においても,こうしたテイクアウトの店や屋台のにぎわいがみられた。会議に参加する女性研究者の多さが印象的だったが,こうした女性の社会進出には家事労働を省略しうるような,こうした社会的なインフラが下からでき上がっていなければならないと感じた。道路のような上からつくらるインフラと,テイクアウト品を提供する店のような下からのインフラに,台北市の特徴をみたようであった。


断章 ――ある問答から 冨谷  至
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